見出し画像

人工知能と欲望論

人工知能に関して「欲望論」をもう一度確認のために当該箇所のみ再読。

欲望論でも、巷で有名なジョン・サール(哲学者)の「中国人の部屋」の事例なども紹介されていますが「人工知能は人間と全く同じになるかどうか」という点に関しては人工知能の専門家と概ね同じ意見。様々な形で否定しているが、一部紹介すると以下の通り。

人工知能という二進法(欲望論ではスイッチのオンオフと表現)によって情報処理される機械が、人間の生理的機能も、心の心的機能も、認識論的にも全て置換できるという前提そのものが「壮大な錬金術」として批判。

哲学者ウィトゲンシュタインの事例を出し

「ある事態についての全ての要素命題をあげ、これに真偽のマークをつけること、これは言語を完全にデジタル化された厳密なルールのシステムとして措定するときに可能となる。だがこの論理学的前提をウィトゲンシュタインは後期の哲学的探究における言語論的洞察によって否定する。それは事柄と言葉との原理的な交換不可能性として、また絶対的に厳密なルールの規定不可能性として示される(欲望論第1巻643頁)」

として、言語の厳密なルールの規定不可能性と同じこととして否定。簡単に説明するのは難しいのですが、現実に使用されている言語は、その使われている状況、時間軸においても空間軸においても、その使う集団ごとについても、その組み合わせは無限に変化し、論理的にこれを置換するのは不可能だということです。

機械翻訳の事例を考えるとこれもわかりやすいかもしれません。専門家の中岩浩巳氏によると、翻訳機の場合は、ルールベース翻訳とパターン翻訳の2種類があり、ルールベース翻訳は文法と単語の意味に分解して論理的に翻訳しようとするパターンなんですが、これでは全くトンチンカンな答えしか出てこない。ウィトゲンシュタインの言うとおり、言語は原理的に論理化・ルール化できないのです。したがって今の主流はパターン認識といって、膨大なデータを蓄積して機械学習(ディープラーニング)をさせつつパターンごとに対訳を置換していくという方法で開発しているそうです。

人間の思考や想像(=心的なもの)は、言語によってなされているわけで言語のしくみがデジタル化不可能であれば、心的なものの完全な人工知能(=デジタル)への置換も不可能ということ。

さらに物理学的に人間の心を解明しようとする動き(物理主義的一元論)に関しても、物理的存在から意識が発生していることは間違いのない事実(欲望論的には普遍的確信といいます)だとしてサールを引用しながらも、

[現代の生活世界における自然な推論からは「心的なもの」が物理学的、あるいは量子学的秩序の構成から現れ出るという確信は動かし難く、不可疑である。しかしそのことは「心的なもの」と物理学的秩序の「同一性」を意味しない。それは一つの高次のレベルのものであり、それが「何であるか」を物理学的な概念によって説明することはできない(同647頁)]。

として、心が物理的に脳にあるのは普遍的確信(事実)ではあるが、だからといって心の機能が、物理的秩序によって説明できるわけではない。

当然ながら脳の物理的秩序としての「シナプスの電気信号の交換機能」が完全に解明されたととしても、論理や数学的秩序では説明不可能な「心的なもの」をそのまま説明できる訳ではない。そのような存在を人工的に実現できるというのは「科学が我々の世界の全てを説明できる」ということと同じで既にその答えは、哲学の世界では「不可能」という結論。

欲望論では、人工知能の可能性等の昨今の認知科学の隆盛は「近代のはじめに哲学者たちが夢想し挫折した普遍数学の試みの現代的再演(同638頁)」とし、過去から何度も繰り返している不毛な議論というように聞こえました。

*南アフリカ共和国 西ケープ州 ベティーズベイ ケープペンギンのコロニー



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?