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国家から人間、そしてまた国家へ~ウクライナ侵攻が変えた安全保障の概念~


はじめに

 
 なぜ今国防なのか。

 Guardian Tech Labでは、「技術の進化に伴い顕在化するリスクから、クニ・ヒト・モノ・カネ・情報を守り抜く」の理念のもと、これまで安全保障とテクノロジーの分野の動向を幅広く発信してきた。
 その中でもとりわけ重点を置いてきたのが、防衛・国防の分野である。具体的には、防衛省をはじめとした政府機関の発行する文書の解説や、国際的な防衛協力の動向に関する発信を行ってきたが、なぜ防衛・国防の分野が重要なのだろうか。
 今回の記事では、第二次世界大戦後から現在に至るまでの「安全保障概念」の変遷をたどりつつ、なぜ現在我々が、そして日本が、ひいては世界がここまで防衛・国防を重要視するのかを改めて問い直しておきたい。

第二次世界大戦後から冷戦期:国家の安全保障

 世界で計5,000~8,000万人の尊い命を奪われた人類史上最大の戦争、第二次世界大戦は1945年の夏に終わりを告げた。
 この戦争で勝利を収めた米国とソ連を中心とした連合国は、もう2度とこのような災禍を繰り返すまいと、戦後処理と国際秩序の再編を試みたが、その結果新たに生み出された国際秩序は、東西に分断された米ソ2極構造であった。すなわち、冷戦の始まりである。
 冷戦の進展は、世界の主要な地域を東西陣営に線引きし、その境界領域では分断国家や線引きに伴う緊張が生じた(中西寛、石田淳、田所昌幸、2013年)。朝鮮半島は南北に、ドイツは東西に分割され、それぞれが自身の正統性を主張しあった。中国大陸では、毛沢東率いる共産党と蒋介石率いる国民党の内戦の結果、北京と台湾に分かれ、現在でも台湾海峡が緊張の火種となっている。
 1950年代以降は、米ソ間の軍事的な対立も顕著であった(中西ら、2013年)。1957年10月4日、ソ連は、人類初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功した。米国をはじめとした西側諸国は、ソ連に技術的に後塵を拝していることを痛感する(いわゆるスプートニク・ショック)とともに、人類が自国領土から核を含む兵器を容易に持ち出す手段を獲得したことに対して世界の政策決定者たちは危機感を募らせた。1961年にはベルリン危機、1962年にはソ連によるキューバ社会主義政権への核兵器供与をめぐるキューバ危機が立て続けに発生し、大国間の対立の根深さが露呈した。
 このような時代背景の中では、「安全保障」といえばもっぱら「国家安全保障」を指すのが普通であった。西側諸国からすれば「いかにして自身の自由主義と資本主義的な価値を東側から守るか」ということが、東側諸国からすれば「いかにして自身の共産主義的価値を西側から守るか」ということが専らの関心事項だった。
 国境線で隔てられた各国にとって、外敵(西から見た東、東から見た西)から自国の領土・国民・主権を守ることが“安全保障課題”だったのである。

冷戦の崩壊とポスト冷戦期:国家安全保障から人間の安全保障へ

 1989年11月9日の「ベルリンの壁崩壊」を機に始まった東側陣営諸国の動揺は、「冷戦の終結」という結果を持って幕切れを迎えた。その過程では、「東欧社会主義圏・軍事ブロックの解体、ドイツ統一、全欧安保協力会議のパリ憲章(90年)における不戦の誓いなど、冷戦の主舞台となった欧州で東西対決型紛争の条件がなくな」り、また、「アフガニスタン、アンゴラ、カンボジアなど、第三世界の紛争からも東西対立の面が消え、その限りで沈静化や局地化した」と坂本義和東京大学名誉教授と中村研一北海道大学教授は指摘する(出典:朝日新聞出版『朝日現代用語・知恵蔵2020』(朝日新聞記事クロスサーチから))。あえて批判を甘受する言い方をすれば、国際社会は”平和”になり、多くの国は「自国の防衛」ということを以前ほど考えなくても良くなったのである
 その結果、従来の自国防衛を核とした安全保障の概念にはどのような変化が起きたのか。Gary KingとChristopher J. Murrayらは、以下のように語る。

The collapse of the Soviet Union, the reduced threat of a major-power war, and the supposed peace dividend unleashed a wider debate about whether to broaden the concepts of security further.
These debates led to calls to consider security from a global perspective rather than only from the perspective of individual nations and the idea of common security. More recently, writers have settled on the phrase human security to emphasize the people-centered aspect of these efforts.

ソビエト連邦が崩壊し、大国間戦争の脅威が減少し、平和の配当が期待されるようになったことで、安全保障の概念をさらに広げるべきかどうかという議論が広まった。
こうした議論から、安全保障を個々の国や共通の安全保障という考え方だけでなく、グローバルな視点から考えることが求められるようになった。さらに最近では、こうした取り組みの人間中心の側面を強調するために、人間の安全保障という表現に落ち着いた。

King, G., & Murray, C. J. (2001). Rethinking human security. Political Science Quarterly, 116(4), 588.

 冷戦は終結し、大国間戦争の脅威がなくなった。その代わりといっては言い過ぎかもしれないが、疫病、難民、貧困、内戦、テロリズム、食糧危機、環境問題といったグローバル規模の課題が以前よりも可視化されるようになった。そこで、守るべき対象の議論の中心を国から個々の人間の人権や生活へと徐々にシフトさせていくべきなのではないか、という議論が見られるようになったのである。いわゆる「人間の安全保障(human security)」論の登場だ。
 特に象徴的だったのは1994年の出来事だ。国連開発計画(UNDP)は1994年にHuman Development Reportを発行したが、その中で「human security is not a concern with weapons — it is a concern with human life and dignity(人間の安全保障とは、武器に関わる問題ではなく、人間の生命と尊厳に関わる問題なのだ)」と述べ、人間の安全保障の重要性を大きく取り上げたのである。国際連合という権威ある機関がこのように述べたということもあって、これ以降人間の安全保障はグローバルな主要アジェンダと化し、G7/8サミットでも議題に上がるほどになった。
 日本でも政府文書でもその傾向は見られた。1999年の『外交青書』(第42号)を見ると、「第2章 分野ごとに見た国際情勢と日本外交」の「第3節 より良い地球社会の実現」の冒頭に「1 総論-人間の安全保障」と題された独立した項目を立てて、日本が行う政策を解説している。独立した項目が立っているということは、日本の外交政策において、人間の安全保障というテーマがそれなりに大きな比重を占めていることだ。こうした日本政府のグローバルな課題への強いコミットメントは、人間の安全保障論の台頭を象徴するものだった。
 なお、人間の安全保障論の隆盛は民間レベルでも見られた。その一例として挙げられるのが、2004年の東京大学教養学部総合文化研究科内での「人間の安全保障プログラム」の発足である。「ひとりひとりの人間が安心して生活できる平和な社会を追求する『人財』を育てる」の理念のもと設立されたこのプログラムは、教育・研究レベルでも「人間の安全保障」が主要なテーマになりつつあることを示すものであった。

新興国の台頭、そしてウクライナ侵攻:国家安全保障への回帰

 大国間戦争の脅威がなく、国際社会(少なくとも日本を取り巻く安全保障環境)が”平和”であったのも今から振り返れば「束の間の出来事」であったのかもしれない。2010年代以降、米国に匹敵する新たな国が台頭しはじめた。
 中国である。2000年代から加速度的に成長した経済力を背景に、急速な軍事化を進め、実力による現状変更の試みを見せるようになったのである。2010年の尖閣海域での中国漁船の日本公船への衝突問題、2012年の尖閣国有化問題はその好例だ。
 そのような折、2012年の秋には、習近平政権が誕生した。南シナ海における力による現状変更、一帯一路構想に基づく国際的枠組みの修正の試み、「戦狼外交」と呼ばれる猛々しい外交が展開され、近隣諸国や西側諸国の対中認識は大きく改められることとなった(宮本雄二、2023年)。
 2017年に誕生したトランプ政権は、長年米国が追及してきた中国との「関与(engagement)」、すなわち中国との関係強化を通じたマネジメントという外交路線を一転させた。米国の2017年版の国家安全保障戦略(National Security Strategy 2017)は「ライバルに関与し、国際制度やグローバルな通商制度に受け入れることで、それらの国々が穏健なアクター、信頼できるパートナーになるという想定」は「結果的に誤りであった」と断じた(p.3)。その上で中国やロシアは米国にとっての競争相手であることと、そうした認識に基づいた国家戦略が今後展開されていくことが示されたのである。
 これを機に「米中対立」が決定的なものとなり、世界各国もそれに基づくポジショニングを行うようになった。ここに再び、大国間戦争の脅威が現れ、各国の安全保障政策の中核が再び「国家安全保障」へと再シフトし始めたのであった。
 この流れが決定的になったのは、2022年の2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻だ。世界平和の使者たるところの国連安全保障理事会内の常任理事国の構成員が、力による一方的な現状変更の試みを見せたことは世界に大きな衝撃を与えた。「国家間戦争はもう起こらないだろう」「国連安保理を中核とした安全保障体制がそれを防いでくれるだろう」というポスト冷戦期の幻想を打ち砕くには十分すぎる出来事であった。
 日本政府もこうした世界の動きを重く受け止めている。2022年版の骨太の方針では、その冒頭で「力による一方的な現状変更という国際秩序の根幹を揺るがすロシアのウクライナ侵略、権威主義的国家による民主主義・自由主義への挑戦」を国家の難局として取り上げ、「厳しさを増す東アジア情勢や権威主義的国家の台頭など国際環境の変化に応じた戦略的な外交・安全保障や同志国との連携強化、経済安全保障」の重要性を強調している。
 安全保障といえば、「国家安全保障」の方が優先される時代が再び到来したのだ。

終わりに

 岸田文雄首相は今年4月の米上下両院合同会議での演説で「ポスト冷戦期はすでに過ぎ去り、人類史の次の時代を決定づける分かれ目にいる」と訴えた。これは、すなわちポスト冷戦期における、西側世界の繁栄に裏付けられた「”平和”な世界」という考え方はもう過去の遺産であるという裏のメッセージを含んでいるようにも思える。
 実際、上述のように世界の安全保障環境は厳しさを増してきており、各国の安全保障の概念は、国家安全保障に再シフトし始めた。こうした流れ故に、日本でも防衛・国防は重要性・緊急性の高い国家課題として重要視されているのである。近年の防衛予算増額という政治的な動きからも読み取れるだろう。
 もちろん、「今すぐに戦争が起きる」だとか、「日本は危ない」と言った不安を煽るつもりは全くない。しかしながら、「もしも」の可能性を考えて準備をしておくに越したことはないだろうし、そもそもその「もしも」を起こさないために防衛能力の強化を通じて抑止力を高めておくことが必要であることは言を俟たないだろう。
 そして、日本は民主主義の国である故、主権は国民にあり、究極的に国家の方向性は国民が決める。安全保障もその範疇の外ではない。そのための的確な判断を下すためにも、国民一人一人が安全保障に対して正しい理解を身につけていく必要がある。
 我々Guardian Tech Labは、そのための一助となれるよう、今後も安全保障やテクノロジーの動向を発信し続けていく。

参考文献

  • 中西寛、石田淳、田所昌幸『国際政治学』有斐閣、2013年。

  • 宮本雄二「日中国交正常化50周年-建設的で安定した関係の再構築は可能か」『国際問題』No. 711、2023年。

  • King, G., & Murray, C. J. (2001). Rethinking human security. Political Science Quarterly, 116(4), 585-610.

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