深海の底からでも「クリエイター」は発信し続ける!
Noteで駄文を晒し始めて3週間が過ぎた。
いろいろな方の実にさまざまなnoteを見ると、励まされ、勇気づけられ、楽しくもなり、また心配したりする。
・孤島でひとり悩んでいるような
・当てもなくさまよっているような
・それからどうなったんだろうと思うような
・で、なに?と思うような・・・(この文がそうでもあるが)
多様な文章に出会う。
そうして何か書いてお金が入れば、なんて考えている人はゴマンといるだろう。自分も物書きにでもなれればと思う時がある。だがこのまま綴っていてもその可能性は極めて低いことも分かっているし、そもそも文筆業の方に対して、「にでも」とは失礼だ。
「うつで会社を休んだ人はなぜ喫茶店のマスターにでもなろうと思うのか」を書いている時に思ったのだが、なんとなくなれそう、できそうと思っていることと、実際になれる、できることの差は実に大きい。
それでも発信し続けることの意味はあるように思う。
たとえネット上の文字・情報の洪水、大海、深海の中に溺れていようとも。
航空機事故で事故原因の究明に大切な「フライトレコーダ」は衝撃に強く、高耐腐食性で、最大30日間、最大6000メートルの深さに沈んでも、超音波で「ピング」を放出するよう設計されているという。(Wikiブラックボックスより抜粋)
海の底からでも超音波を発信し続けるフライトレコーダの如く、noteにおいて「クリエイター」である書き手は発信し続けることに意味がある、と改めて思う。それが誰かを元気づけ、励まし、ときに鼻で笑われたり、呆れられたり、感心させたりする。でもそれは他でもない、自分のためなのだ。
それでいいのだ。
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