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どうする三年日記

以前カウンセラーの方に勧めていただいたジャーナリング。三年日記という形で三冊目に突入している。(色気のない写真だなぁ)

黒い表紙が少し重たく感じられたので2020年からの一冊はブラウンの表紙のものに替えてみた。一日分たった5㎝×6㎝のスペースに記していくのは当初たやすいことだと考えていたがとんでもなかった。

一行どころか一文字も書けない日は結構な頻度で起こった。そもそも心が萎えた日々を送りながら、何を書けというのか。でもまあ何とか「埋めて」きた。
本棚の端にだるい感じで斜めに収まっていた一冊目の1月1日(2014年)を開いてみた。

31日より実家
●●神社初詣
夕方、兄弟たちと正月

小学生の三文作文にすらなっていない。その日のスペースいっぱいに書き始めたのは17日以降だった。いや、欄を埋めたに過ぎない。だがこれを続けてきた。継続は力なり。

はて、何の力になったのだろう。空白を作らない、何かを感じるようにする、手先を動かし続ける、書くためのネタを考え続ける、心情吐露の場を作る?日記なんて人に見せないのに?

まあいい。これまで一日の空白もなく続けてきたこと自体にちょっとした充足感がある。

「人は生きている、ただそれだけで大きな価値があるのだ」(大河の一滴:五木寛之著)にわずかながらプラスアルファの活動ができたと思うことにする。

偉そうなことを書いたところで、一日の空白を見つけた。入院して手術を受けた日だった。これはしかたないか。その後、この日の欄を埋める気にはなれなかった。

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