本業でライターをやっていますが、縄文の遺物を求めて訪れた博物館や郷土資料館の情報を載せ…

本業でライターをやっていますが、縄文の遺物を求めて訪れた博物館や郷土資料館の情報を載せいています。たまに旅の記録や感想も。 本体?のnoteはこちら。( https://note.mu/ishimurakenji

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  • JOMOSEUM

    縄文の遺物を展示する博物館や郷土資料館、まれに美術館を”JOMOSEUM”と名付けて、訪れたJOMOSEUMについての情報を掲載していくことにしました。こちらでリスト化されますので、縄文鑑賞のご参考にどうぞ。

  • 土器、土偶、縄文遺物探訪記

    あんな土器や、こんな土偶に、獣面把手から細石刃まで、ユニークな造形の縄文の遺物を全国津々浦々訪ねて回る探訪記。

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JOMOSEUMリスト(随時更新)

縄文の遺物を見られる博物館や埋蔵文化財センターの情報を掲載する「JOMOSEUM」を2020年の1月にはじめました。自分が訪れたスポットの情報を写真とともに掲載してゆくことで、これから訪れようという人と博物館などのお役に立てばという気持ちでやっています。 自分が訪ねたことがない場所の情報も知りたいので、ゆくゆくは広く情報を集められるプラットフォームにできたらなぁなどと夢想していますが、まずは自分が訪れたスポットを100ヶ所くらいリストアップしていきたいと思っています。 タ

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    • 火焔と王冠の断片たちとのぞきからくりー新潟市巻郷土資料館[JOMOSEUM]

      新潟市西南部の西蒲区にある巻郷土資料館はこのあたりの民俗資料を中心に展示している施設で、覗き穴から紙芝居をのぞく「のぞきからくり」という珍しい装置が目玉です。 縄文の展示は、ケース2つ分ほどで大部分が、土器の破片で、火焔型、王冠型が多く見られます。完形の土器は大木系と思われるものでした(写真撮影は可ですが、個人利用のみなので写真はありません)。 西蒲区は信濃川より海側の地域なので縄文時代の遺跡がそれほど多くはないのかもしれません。 地域の歴史を伝える資料館としては貴重な

      • 少しでもわかる信濃川文化圏の特色ー加茂市民俗資料館[JOMOSEUM]

        新潟県中越地方の加茂市の民俗資料館の一角に出土品の展示があります。メインは民具などの民俗資料なので、数は少ないですが、旧石器、縄文、古墳時代のものが少しずつあります。 加茂市には信濃川の支流加茂川があり、その流域にいくつかの縄文遺跡があるようです。 土器は新潟らしい王冠型土器が。 火焔型土器の鶏冠状突起のようなものも出土しています。 旧石器時代の石器もありました。 展示品は少しですが、新潟は川があればどこでも縄文の遺跡があることはわかりました。小規模でもこういう資料

        • オホーツク文化の至宝に縄文とのつながりを感じるー羅臼町郷土資料館[JOMOSEUM]

          北海道の東の端にある知床半島は東側半分が羅臼町で、西半分が斜里町です。羅臼町は海岸沿いに縄文、続縄文、オホーツク文化、擦文、アイヌと各時代の遺跡が分布していて、長らく人が住んでいたようです。 知床半島の根元辺りにある郷土資料館は廃校を利用して2011年に作られました。教室2つ分くらいが考古の展示に当てられていて、土器と石器が多くあります。 一番古い土器は縄文早期の沼尻式土器、沼尻式土器は道東で最も古い土器形式で広く分布しています。同じく早期の東釧路Ⅲ式土器、中期の北筒Ⅱ式

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        • 火焔と王冠の断片たちとのぞきからくりー新潟市巻郷土資料館[JOMOSEUM]

        • 少しでもわかる信濃川文化圏の特色ー加茂市民俗資料館[JOMOSEUM]

        • オホーツク文化の至宝に縄文とのつながりを感じるー羅臼町郷土資料館[JOMOSEUM]

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          172本
        • 土器、土偶、縄文遺物探訪記
          15本

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          北日本最古の土偶と早期の土器と朱漆塗土器ー三沢市歴史民俗資料館[JOMOSEUM]

          青森県三沢市といえば三沢基地ですが、基地や空港のある舌状台地と平地で構成されています。縄文時代は小川原湖が入江になっていて半島担っていたと考えられています。 海岸段丘状ということで、貝塚遺跡が分布し、旧石器時代から人の営みが見られ、縄文時代早期の遺跡も多くあるようです。資料館にも、北日本最古と考えられる縄文早期の約9000年前の土偶が展示されています。肩の部分に刺突文と朱がみえます。 同時期の早期の土器も多く並んでいて、特にきれいな貝殻文土器を多く見ることができます。

          北日本最古の土偶と早期の土器と朱漆塗土器ー三沢市歴史民俗資料館[JOMOSEUM]

          唯一右に曲がった鼻曲土面と他地域との交流を感じさせる遺物の数々ー六ヶ所村立郷土館[JOMOSEUM]

          下北半島の根元付近にある六ケ所村といえば、原子燃料サイクル施設が有名ですが、その周辺に石油備蓄基地や巨大な太陽光発電施設、風力発電施設もあり、大規模な開発が行われています。 そんな開発もあって縄文時代の遺跡も多数発掘されていて、立派な郷土館も建てられています。郷土館の展示のメインも縄文で遺物の展示もたっぷり、広い展示室に色々なテーマで遺物が並んでいます。 土偶は何か所かにありますが、板状土偶が多い印象。野辺地町の「縄文くらら」と同系統の脚付きの板状土偶もありました。 土

          唯一右に曲がった鼻曲土面と他地域との交流を感じさせる遺物の数々ー六ヶ所村立郷土館[JOMOSEUM]

          縄文くららと赤漆塗木鉢、2つの重文がお出迎えー野辺地町歴史民俗資料館[JOMOSEUM]

          青森県野辺地町は陸奥湾の一番奥まったところにあり帆立貝が名産です。野辺地川の扇状地部分が狭い平地になっていて、あとは丘陵地になっています。 野辺地町歴史民俗資料館は町の歴史を通じ展示する資料館ですが、縄文の割合はわりと多めです。 その理由の一つは「縄文 くらら」の愛称もある国指定重要文化財の土偶です。後期前半の土偶で、板状土偶の形態を取りながら足がついていて自立するのが特徴です。愛称の「くらら」も某アニメの「クララが立った」が由来だとか。 360度どこからでも見られるの

          縄文くららと赤漆塗木鉢、2つの重文がお出迎えー野辺地町歴史民俗資料館[JOMOSEUM]

          世界遺産の貝塚の見事な骨角器たちと円筒式土器の変遷。ー二ツ森貝塚館[JOMOSEUM]

          二ツ森貝塚は青森県七戸町にある世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産の一つです。前期から中期の集落跡で、小川原湖が入江になっていた縄文海進期には海岸段丘上にあったと考えられます。 二ツ森貝塚館はそのガイダンス施設で廃校になった小学校を改装し、七戸町の遺跡から出土した遺物もあわせて展示しています。世界遺産関連の展示施設は新しかったりきれいに整備されたものが多いですね。 入ってすぐの廊下は七戸町の遺跡から出土した遺物のコーナー、山屋(2)遺跡出土の遮光器土偶と、矢倉

          世界遺産の貝塚の見事な骨角器たちと円筒式土器の変遷。ー二ツ森貝塚館[JOMOSEUM]

          世界最古?の土器と切断蓋付土器と帆立貝の墓ー東北町歴史民俗資料館[JOMOSEUM]

          青森県東北町は下北半島の根っこにあり、小川原湖に面した低地と丘陵地からなるかなり広い町です。世界遺産の二ツ森貝塚はお隣の七戸町にあり、小川原湖は縄文時代には入江になっていて、東北町にも貝塚が分布していたと考えられています。 縄文時代の遺跡も多く、珍しい遺物も出ているようです。日本最古で世界でも最古級の土器といえば、同じ青森県の大平山元遺跡から出土した約16000年前の土器ですが、こちらにはさらに古い約17000年前のものとされる土器が展示されていました。 放射性炭素年代測

          世界最古?の土器と切断蓋付土器と帆立貝の墓ー東北町歴史民俗資料館[JOMOSEUM]

          世界遺産関連資産・長七谷地貝塚と美しい土器たちに重文の貝輪もー八戸市博物館[JOMOSEUM]

          青森県八戸市で縄文といえば「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産である是川石器時代遺跡とそのガイダンス施設である是川縄文館です。世界遺産でかつ国宝も展示してあるということで縄文のメッカの一つといえます。 そんな八戸市の通史展示を行っているのが八戸市博物館で、是川石器時代遺跡の関連施設でもあり、世界遺産の関連資産である長七谷地貝塚のガイダンス施設でもあります。 是川石器時代遺跡や国宝が出土した風張1遺跡は後期から晩期の集落なので是川縄文館の展示はその時期が中心ですが、八戸

          世界遺産関連資産・長七谷地貝塚と美しい土器たちに重文の貝輪もー八戸市博物館[JOMOSEUM]

          合掌、筒型、着脱式、珍しい土偶がぞろぞろ出てくるー階上町民俗資料収集館[JOMOSEUM]

          青森県階上(はしかみ)町は、八戸市の南西、岩手との県境にある町です。八戸と岩手県の久慈をつなぐ高速道路建設で多くの発掘調査が行われ、縄文の遺物もかなり出土したようです。 民俗資料収集館は古い学校を利用した施設で考古資料と民具などの民俗資料を展示してあります。小さな町で人員も限られているということで公開日は月2回だけですが、事前に連絡すれば公開日以外でも平日であれば見学できます。 一つの遺跡からではないですが、いろいろな土偶が出土しています。目玉と言えるのは小さな合掌土偶。

          合掌、筒型、着脱式、珍しい土偶がぞろぞろ出てくるー階上町民俗資料収集館[JOMOSEUM]

          旧石器から平安まで人々の暮らしが見えるー上田市信濃国分寺史料館[JOMOSEUM]

          長野県上田市の信濃国分寺跡に建つ信濃国分寺史料館はその名の通り奈良時代に建てられた信濃地方の国分寺の史料展示を中心とした博物館ですが、それ以前の旧石器時代からの考古資料も展示してあります。 縄文時代の展示はそれほど多くありませんが、土偶も含めより優れたものを少数精鋭で展示している感じです。周辺の地域のもの中心だと思いますが、上田市は縄文遺跡も多いので、あちこちの遺跡から出土したものが展示されているようです。 館内は撮影禁止でしたが、ホームページにWEBギャラリーがあるので

          旧石器から平安まで人々の暮らしが見えるー上田市信濃国分寺史料館[JOMOSEUM]

          世界遺産の集落と周辺遺跡の土器・土偶がもりだくさんー御所野縄文博物館[JOMOSEUM]

          世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産の一つである岩手県一戸町の御所野遺跡。縄文中期の大きな集落遺跡ですが、この遺跡と一戸町の各遺跡から出土した遺物を展示しているのが御所野縄文博物館です。 博物館の1階は御所野遺跡の出土品の展示や縄文人の生活を再現したシアターがあります。御所野遺跡における発見の中でも重要なものの一つが、焼かれた住居の跡から当時の家が土葺きであったと判明したことでした。それにまつわる展示もあり、縄文の人々の生活が身近に感じられます。 御所野遺跡出

          世界遺産の集落と周辺遺跡の土器・土偶がもりだくさんー御所野縄文博物館[JOMOSEUM]

          土器も土偶もちょっとずつー熊谷市埋蔵文化財整理所[JOMOSEUM]

          埼玉県の熊谷市には県の埋蔵文化財収蔵施設もありますが、市の施設としても、熊谷図書館・郷土資料展示室、熊谷市立江南文化財センター、熊谷市埋蔵文化財整理所と3つも文化財を展示する施設があります。 その中の一つ熊谷市埋蔵文化財整理所は、熊谷市スポーツ・ぶんか村「くまぴあ」の一室に文化財を展示している無人の施設です。 熊谷市は利根川と荒川に挟まれた平地を中心とした関東平野の最深部にあり、縄文の遺跡も多くあります。 埋蔵文化財整理所の展示はコンパクトで点数は少ないですが、旧石器時

          土器も土偶もちょっとずつー熊谷市埋蔵文化財整理所[JOMOSEUM]

          石器の長い歴史は感じられるー甘楽町歴史民俗資料館[JOMOSEUM]

          群馬県高崎市の西隣の甘楽町の歴史民俗資料館は建物が大正時代に作られた繭倉庫で日本遺産にも指定されています。富岡製糸場を中心に養蚕業が盛んな地域だったので、その展示や近世の展示が中心です。 縄文の遺物は土器と石器が少しずつ。このあたりは良質な石が取れたのか石器が多く出ているようです。旧石器時代の有舌尖頭器もあるし、石棒は見事なものでした。 縄文時代にあまり力が入れられてない感じはしますが、遺跡がないわけではないので、もっと出土品が出てくるかもしれません。 甘楽町歴史民俗資

          石器の長い歴史は感じられるー甘楽町歴史民俗資料館[JOMOSEUM]

          石棒づくりと世界遺産の下の縄文遺跡ー下仁田町歴史館[JOMOSEUM]

          ネギで有名な群馬県西部の下仁田町。縄文時代にネギは生えてないはずですが、長野と関東をつなぐルート上にあるということで、縄文の遺跡もあるようです。 下仁田町歴史館は下仁田町の通史的な展示もしていますが、メインは富岡製糸場と一体で世界遺産になった「荒船風穴」です。天然の冷蔵庫としてカイコガの卵を保存した場所らしく、それはそれで興味深いものでした。 その分、縄文の展示は少なめ。ちなみに撮影禁止だったので、写真はありません。リーフフレットの展示風景がこちら。 土器片や土偶のかけ

          石棒づくりと世界遺産の下の縄文遺跡ー下仁田町歴史館[JOMOSEUM]