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傲慢なのは、「味わう」していないから?

傲慢という言葉からは、「自分勝手」という言葉が連想されます。

「自分の思い通りになれよ」という言葉がより具体的には出てきます。

自分の基準と合わないものが出てきた時に、それを力でなんとかしようとする時に、傲慢さを感じます。周囲に対して。それは物事でも、人に対しても同様です。

よく考えれば四六時中、傲慢になっているように思います。それが表面に出てこないようにしているので、社会生活をしています。でも、心の中は、違うように思います。

「違いを楽しむ」とか「違いから学ぶ」といった姿勢が重要なのはわかっていても、瞬間的に出てくるのは、違いからのイラッとする瞬間的な反応です。

大事なのは、瞬間的反応に流されていくのではなく、そのイラッという感覚を感じて、「味わう」ことなのではないか、と思います。

「味わう」という言葉は一般的ではないかもしれませんが、そのイラッとした感情の背景やその理由といったことを見つめて、考えてみる思考はまさに「味わう」といった比喩がぴったりなように思うのです。

味わうためには、余裕みたいなものが必要なように思います。

では「余裕」とは何なのか?

一般的な定義ではなく、自分の感覚的な意味付けを考えて深掘りするのは尽きないものです。

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