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あらためて、生きるための「不要不急」とは?

何が「要」なのか。何が「急」なのか。

結局は個人で判断するしかないのでしょう。そういった難しい判断を、誰しもがこの半年続けてきています。

そこで感じているのはいわゆる「文化的なこと」が「要」である、という感覚です。

生きる、とは?

そりゃ、病気には最大限の注意を払う必要があるのでしょうけど、人間はロボットではないのですから、接触を完全に避けての生活を続けることには精神的な限界があるものだと思います。

ちょっと意味合いは違いますが、「人はパンのみに生きるにあらず」ということでしょう。短期的には禁止や自粛ができますけど、中長期的な病気との戦いの中では、こういった人間の特性を禁止や自粛し続けるのは限界があり、向き合う必要があるのでしょう。

そういった意味で、スポーツをして体を動かすことや、旅行に行くことや、演劇といったもの(いわゆる「文化的なもの」)などは、中長期的には「要」なものでしょう。

今後どうやって中長期的な「要」を感染防止しつつ、行っていくのか、というのが日常生活でもポイントになってくるでしょう。

今思うと、非常にわかりやすいメッセージである

さて、その時に注意すべきこととしては、結局のところ、専門家会議がそのだいぶ早い時期から提唱していたことがそのまま今も生きていると思います。

「三密(密閉、密集、密接)を避ける」

「とにかく手洗いをしっかりとする」

「マスクなど活用して飛沫に注意する」

結局、個人レベルで気を付けることとなるとこのあたりが変わっていないのですね。よく報道されている薬・ワクチンの開発については、私のような一般人レベルでは「ふーん、早くできたらいいよね。でも焦って副作用でたら怖いから注意深くやってほしいね」なんて感想(または祈り?)が出てくるだけでしかないので、結局は日常生活にはなんの意味もなさない情報でしかないと思っています。

早い段階で、上記のようなメッセージをシンプルに情報発信していたことは重要だったと思います。おそらく今後もこれらに気を遣って生活をしていくことにかわりないのだと思っています。


病気との戦いが長期戦になる、という予想は報道で聞いていましたが、それがどういったことなのかをイメージするのは難しいことでした。

でも、そう思いながらも、もう半年が経ちました。いつの間にか長期戦の状況になっています。社会にも、自分の心身にもそういった変化があるように思えるような気がしています。


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