セカハンの姿勢から学ぶ「対等」
こんばんは!少し投稿が空いてしまっていました。すみません!といっても継続して読んでくださっている方がどのくらいいるのかあまり把握してませんが...読んでくださっている方ありがとうございます!
とあるきっかけで、セカンドハーベストジャパンさん(以下セカハン)について調べることがありました。その中で、創業者のチャールズさんの考え方にとても共感し憧れをもちました。
セカハンの活動の事実だけをとれば、廃棄される予定の賞味期限の近いものなどを集め必要な人に届ける活動(フードバンク)で食料支援をしている団体となります。
食料支援と書きましたが「支援」とつけるのは、セカハンの姿勢を考えると不適切かもしれません。
セカハンは食品を提供してくれる食品会社に、支援をお願いすることはないそうです。ただただ理念やシステムについて説明するだけなのだそうです。
信頼関係を作れば自然と食品は集まる。「足りないのは食品ではなく協力者」といったこともおっしゃっていました。
チャールズさんはセカハンをはじめる前に1年近く自らホームレスを経験しています。その中での気づきがこの姿勢を作っている一つのきっかけになったようです。「食料を与える」という行為は時に「完全ではないあなた」の烙印を押します。
セカハンの目指している関係は、「鉛筆を2本もっていて隣の人が鉛筆を忘れていた。だから1本渡してあげる。」そういった関係のようです。
フードロスになる食品を集めるが、同時に食品を受け取る人がいなければ、パズルのピースは埋まらないと考えるのです。だから、感謝する必要もないし感謝される必要もないのだそう。
こうした姿勢が協力企業との間にも食品を受け取る人との間にも「対等」を築き上げているのだと想います。
福祉に携わっていて「対等」を意識していても体現するのは予想以上に難しい気がしています。どこか「与えている」というような支援になっていないか、考えていく必要がある気が改めてしました。
まだまだ初心者ですが、福祉が限られた対象のものではなく、人々がより豊かになるためのものであることを発信していきます。よかったらサポートよろしくお願いしますm(__)m