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【短編】『秋の終わりごろに』

 高校の中庭にプレハブ小屋がある。小屋と言っても優に100人は収容可能だから適切なもっと別の呼び方があるのかも知れない。そこがわたしのいる吹奏楽部の部室だった。

 プレハブ小屋の屋根を覆うように植わっている大きな銀杏の木から落ちた黄色の葉っぱを避けるようにして、プレハブ小屋へ続く外のコンクリート通路を急ぎ渡った。

 今日は三年生の引退式ともいうべきちょっとしたセレモニーがあるのだ。

 部活の最大イベントである夏の定期演奏会が終わった後、先週の文化祭のステージをもって今年の主なイベントは終わった。それは三年生の部活引退を意味していた。

 部室の中を見渡すともう、ほぼ全員揃っているようだった。

「ピロコ! おせーぞ!」
「すいませーん」

 楽器セクション順に引退する三年生の挨拶があって、その後に送り出す側の一二年生のスピーチが行われるのだ。自分のフルートセクションが一番最初だったから急いでいたのだ。間に合って良かった。

 ゆかり先輩の挨拶が始まった。彼女は東京の大学を受験するらしい。どうしても青さんをチラッと見てしまう。ここだけの話だが、ゆかり先輩と二年の青海あおうみタカ先輩は相思相愛。認めないのは本人達だけなのだ。たった今の事を言うけど、ゆかり先輩はずっと青さんを見ながら話している。そんなことさえ気がついてしまう。どうしてわたしは、こんなにあの二人が気になるのだろう。

「それでは、次、小菅ヒロコさん」

 わたしが話す番になった。だけど、不意にじわっと目の周りが熱くなり、ありきたりだけど前もって考えていた台詞が何も出てこない。

「ピロコ、頑張れ!」

 青さんの声だった。そうだ、青さんとはもう一年、まだ一緒にいられるんだ。そう思ったとたんに言わなくちゃならない事があったのを思い出した。

「ゆかり先輩にはずっと言いたかったことがあります」
 少しざわざわし始めたのがわかったが、気にせず続けた。

「ゆかり先輩が卒業して後ですけど、来年からは練習終わったら青さんと一緒に帰ったりしていいですか? 」
 もう、ざわめきどころではなくなっていた。

 どうしてこんな言葉が自分の口から出てきたのかわからない。自分でも戸惑っていたその時だった。

「みんな、うっせーんだよ!」

 ゆかり先輩だった。皆、しんとして次の言葉を待った。

「ピロコ。言っとくけどタカはかわいい後輩! 仲はいいけどな。だから...…好きにしなよ」

 言い終わるや駆け出して部室を後にした。皆、あっけにとられるばかりで静まり返った。不思議なことに最後までゆかり先輩は青さんを仲のいい後輩以上とは認めようとしなかったのだ。
 

 三年生は、会が終わると皆さっさと帰っていった。大学受験の準備などで忙しいのだ。一二年生は残って来季の活動計画などの打ち合わせをした。終わる頃には、もう外は真っ暗だった。昇降口を出て風を感じた時、冬が近いことを皮膚感覚でも知る。

 ふと前を見ると青さんが自転車を押して歩いていた。見ていられないほど肩を落としている。謝ろうと思った。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

「あの...…、ごめんなさい。わたし...…」
「いいんだ。ゆかりの事なら、わかってるから」

 それ以上言葉が出なかった。

「ピロコ、彼氏と仲良くな。じゃあ...…」

 青さんは自転車に跨ると勢いよく漕いで行ってしまった。

 ゆかり先輩のまねして言う訳じゃないけど、あいつは彼氏じゃないよ。仲のいい友達だから。

 
 それからひと月も経たないある日、信じられないような噂を耳にした。ゆかり先輩が卒業式を前に、どこかに行ってしまったらしいというのだ。確かめたくて青さんを探した。

 この時期の吹奏楽部の活動は、各々校内の空いている教室に分散しての個人練習だった。やっとのことで一人で練習をしている青さんを見つけると、後先考えずにいきなりその教室に飛び込んだ。

「なんだよ。ピロコ、どうした?」
「あの……、ゆかり先輩は今どこにいるんですか?」

 青さんは首を横に振っただけだった。

「わからない……。急にいなくなったんだ」
「担任とかも知らないんですか?」

「ああ、ゆかりはお母さんと突然、家を出た。それだけ。行先はわからない...…」

「青さんに連絡は?」
「……」

 青さんは焦点の定まらない目を譜面台に向けたままだった。見ていられなかった。
 
「ゆかり先輩の家に行ってみます」

「待てよ、ピロコ!」

 青さんの制止を振り切って、わたしは教室を飛び出した。
 
 

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