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とりあえず目を瞑る

この瞑るという漢字を意識して目を瞑るだけで、少し禅の感覚に近づけるような気がするのは僕だけでしょうか。
ダイエットを始めようと思いながらも、なかなか本格的にできないでとりあえずコーヒーに砂糖を入れずにブラックにしてみると、すこしだけダイエットできたような感覚になるくらいの感覚ですが、この瞑るを意識して目を閉じる。

次に心の中を無にしてみよう、、、、無理でしょう。
これができたら、悟りであり、到底辿り着けない境地であります。
ですので、とりあえず0は無理でも1にしてみよう。
目を瞑り、様々な思考のあふれる中でとりあえず、無、無、無。
と無だけを念じてみると、これは意外に簡単にできます。
今、僕の頭の中の思考は108の煩悩に承認欲求が入交り、乗で増え続けて無量大数まで膨れているので1になれるだけでありがたいのです。

なんでもそうですが、やらないよりは、とりあえずでもやった方がマシでしょう。
考えすぎないで適当で良いと思うのです。
そもそも瞑想で何かを考えるなど矛盾であり、ましてやちゃんと禅をしようなどと難しいこと考えたらどうにもならねぇよ。
ブッダ様には悪いけど適当にやらせてもらいます。

渋沢栄一の、論語と算盤で、「論語を小難しくとらえる学者先生は、口やかましい玄関番のような者で、孔子には邪魔な者だ、こんな門番に頼んでみたら生涯、孔子に面会できない」と書いていたので適当で良いのでしょう。
涅槃 半分眠っているからな。
海に行ったら海を見て、山に行ったら山を見て、SEXしたらSEXに溺れ、目の前の食事に感謝し舌鼓を打ち、ブランド品とSNSで遊び、時々反省の意味も含めて目を瞑ると、なんか少し良い事した気になって落ち着くよね。

先日ドライブに行った葉山の海が素敵で、つい人生を振り返ってみたくなりましたが、ちゃんと本格的に人生を振り返るのはなんか面倒くさいですね。

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