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【開催報告】Dialogue -GS哲学-(2021/6/10)

こんにちは、学生スタッフのこーやです。

今回は、6月10日(木)に開催されたイベント「Dialogue -GS哲学- 」の内容を振り返りたいと思います。この記事を読んでくださっている方にも、イベント当日の雰囲気や対話の内容を楽しんでいただけたら幸いです。

1. イベント企画背景

 本質的な問いと向き合うことは、とても骨の折れる行為ですが、その過程を経て、自分の中の軸となる考えなどが築かれた経験をした方もいるのではないでしょうか。僕自身、ジェンダーやセクシュアリティに関する本質的な問いをはじめ、様々な答えのない問いに頭を悩ませてきました。しかし、自身との対話や他者との対話を通して、そのような問いと向き合うことで、自分の軸となる考えなどを築くことができました。このような過程や経験は、人生を生きていくうえで、とても大切なものだと個人的に思っており、その築いた軸は生涯自分を支えてくれるものだと思っています。誰かのこのような過程や経験のきっかけづくりがしたいと思い、このイベントを企画しました。

2. イベント当日

 イベント当日は、参加者の皆さんと対話を通して、2つのテーマについて考えを巡らせました。
 イベント前半では、「性自認の解釈」「自分自身の性別の感じ方」のようなテーマで対話が始まりました。

「性自認が男女どちらでもないと感じ、そのどちらでもないというのがしっくりくる。」
「誰かに聞かれたとき、クエスチョニングと答えるようにしているけれど、その言葉では表しきれない自分だけが感じるリアリティがある。特定のセクシュアリティを表す言葉を、他者に自分を簡単に説明するために、ある意味戦略的に使っている。」
「そのリアリティを説明できるのは、自分の言葉だけ。でもその言葉を紡ぐことってとても大変なこと。」
対話の中では、このようなお話を聞くことができました。

 自身の性別の感じ方だけでも、多様であり、特定のセクシュアリティを表す言葉では、表現しきれない部分もある。自分の中のリアリティを表現できるのは、自分で紡いだ言葉だけ。この対話を通して、性の多様さ、繊細さを改めて感じるとともに、そんな性とどうこれからも共に歩んでいくかを考えさせられました。

 イベント後半では、参加者の方からいただいたテーマ、「誰かに踏まれ、誰かを踏みながら、生き延びること。」について対話をしていきました。
 皆さんはこの文をどう解釈し、どのようなことを思い浮かべるでしょうか。とても抽象的な文ではありますが、でもどこか思い当たる節があるという方もいるのではないでしょうか。イベント当日も、参加者の方がそれぞれ思い当たるお話をして、対話が深まっていきました。
 僕は、「生きることそれ自体が、誰かに踏まれ、誰かを踏むこと。」かもしれないと思いました。そう考えると「生きる」ことは、やはりとても"重み"のあることですよね。もしかしたら、この記事を書いている今も「誰かに踏まれ、誰かを踏んでいる」のかもしれませんね。

3. 学スタ後記

 久しぶりに自分で企画したイベントを開催しましたが、1つのイベントを企画することの大変さを改めて感じるとともに、達成感のようなものも感じ、個人的に心が満たされています。また、このイベントを終え、この記事を書いている時に、思い出した文があります。

「Everyone has their own colors.」

 これはGSセンターのホームページにも掲載されている英文なのですが、皆さんはこの文をどう解釈し、どう日本語訳しますか。

 皆さんに「この文をどう日本語訳にしますか」と聞いた僕は、この英文を日本語訳できません。「何だよそれ」と思う方もいらっしゃるかもしれません。そのような方にもし説明を付け加えるなら、「日本語訳にできない」というより「したくない」のです。この英語の表現だからこそ、表せられるものがある気がしていて、そしてそれがとても大切なものであるとも思っています。

 さて、そろそろ収拾がつかなくなりそうなので、この辺りで筆をおきたいと思います。最後までご一読いただきありがとうございました!


学生スタッフ こーや