見出し画像

すべて貰いものだけで作った山の家が、縁を結びなおす(北海道東川町在住/庄内孝治さん)

階段、窓、お風呂。すべて貰いもので作った「山の家」

透明な青空とひんやりとした白い景色に、どっしりとした存在感で佇む木目調の家。町の中心部から15分山奥に車を走らせると見えてくるのは、東川町に80年住む庄内さんの家。

画像2

「農家の畑の土地を起こすときに出てきた岩、階段も窓もトイレもお風呂も全部ほとんど貰い物なんだ」

友人の納屋を壊すのを頼まれた。「壊したもの、持っていく?」と言われたところから始まった貰い物で作る念願の手作りの家。大工に相談しながら鉛筆と定規で図面を紙一枚で描くところから始まった。

画像5

画像21

「小さい頃から忠別川で日が暮れるまで浸かってたくらい魚が大好き。だからニジマスが飼える池は家の中に絶対に作りたかったんだ。」

画像6

画像7

「冷え性なんだよね、よもぎ風呂がいいんだよ。孫は嫌がるんだけどね。」

画像2

木の息遣いを見ながら木材を選び、階段の木を磨き上げるのに1ヶ月。

画像3

「階段に特にこだわりすぎちゃってさ、結局完成に6年もかかってしまった」

画像4

6年も、と庄内さんは言うけど、こんなに大きな家が自分の手で作れることそのものが心の底からびっくりだ。しかもほぼ貰い物で。

画像9

窓のサッシまで貰い物なので、よくみると不揃い。

画像9

戸棚が空いてる様子を見た知人のバーのママが、もういらないからおいてよ、と湯呑みを両手に抱えてもってきた。「よかったら置いてよ」がこの家にはたくさんある。

画像10

いらなくなるはずだったものが、庄内さんの家で新たな役割を貰い、またいきいきと輝きはじめている。

縁に身を委ねて、縁を重ねる

庄内さんは旭川生まれ。柾屋根職人の親に連れられて6歳で東川に来た。中学を卒業してから5年ほど親の元で職人として回った。

画像12

トタン屋根ができてからは柾屋根職人としての仕事が無くなった。それからは木材の運搬の仕事に付いた。大工の送り迎え、建材の買い出し、運搬。

現場についてから工事が終わるまでの2時間は毎日暇だったので、ある日「お前もやってみるか?」と声をかけられた。元々職人だったので器用さが求められる仕事は得意。運搬担当ながらどんどん仕事を任されるようになった。その経験で庄内さんは家の構造や作り方が頭のなかに入っている。

画像11

そんな折に町の役場の仕事で、圃場整備の仕事の空きが出た。自分が知らないところで「庄内がいいんじゃないか」と話が出て、引き抜かれようとしている噂を知った。「引き抜かれていいんですか?」と戸惑う庄内さんに対して社長は「いってこい」のひとつ返事。

そこから29年58歳で退職するまで、ずっと役場勤務。そんな庄内さんと、道路整備・除雪トークに花が咲いた。

除雪プライド

画像17

「旧除雪車がカッコイイんだ。ボートみたいにとんがった先でガガガガって雪を跳ね除けるのは自分でも気持ちよかったなあ」

東川は4月になっても雪が溶けない、雪深い町。東川に住み始めて気付いたことが二つ。除雪がきれい、除雪車がめちゃくちゃカッコイイ。雪深い日に雪かきに困ってる朝に、颯爽と雪を攫って行ってくれる姿に思わずときめく。

画像14

「冬の東川町ってさ、大通りに出るときに雪が道路端に積もっちゃって、右折側が特に見えにくいことない?マニュアル通りにやると、道路の雪は高く積もりっぱなしで視界は狭いままなんだけど、3回に1回はその高く積もったさっと雪を払ってた。たった1分なんだよね、行って戻って払う。それで心地よくなるんだったらやるよね。」

画像15

除雪業務を任されてやっているというよりも、町民が過ごしやすい町をつくるため。人として気づいたから余分に除雪をする。特別気合を込めているよりも、ふつうだしあたりまえだよね、という肩の力が抜けた言葉にカッコイイなあと感動していたら、

「いやあ、だって、困るでしょ。みんなやってたよ。」と庄内さんは照れながら笑う。

画像13

庄内さんは今でも、誰かが庭の木の剪定に困っていたら駆けつけ、スキー初心者の若者がいると聞けばインストラクターとして雪山で熱心に教えている。一番の楽しみは古稀70の野球チームでプレイすること。

縁が集い、帰りたくなるみんなの家

庄内さん家は、役場職員のひとたちが飲んで集まる場所にもなった。元々建設車両課の係長にもなった庄内さんは、飲酒運転で皆を返すわけにはいかないと寝泊まり用に予定していなかった二階部分を建てた。

画像16

庄内さん家は、毎年恒例の町内のイベント写真甲子園のOBOGが集う場所にもなった。ポスターの三人はよく覚えてるらしい。庄内さんの部屋の窓とソファの写真が準グランプリにもなったことがある。

画像18

写真甲子園の高校生、昔からの友人、家族。ふらっといろんな人たちが交差する庄内さん家。写真、雑貨、日記、庄内さん家にはいろんな人たちが来た跡がたくさんある。そして庄内さんはとても記憶力がいい。

アルバムを開きながら「この人はスキーがとてもうまくて3日で頂上から15分で降りられるようになった。何年間もやってきたけど筋がよかったなあ」なんて、鮮やかな記憶を語ってくれる。

画像19

本人よりも覚えてくれている人がどこかの町にいることって、すごく幸せなことなんじゃないかなあと思う。みんながふらっと来たくなる、なにか持ち寄りたくなる、だれかの旅路が残っている家。

画像20

「インタビューとか仕事とかしにこなくていいからさ、いつでも遊びにきなさい」と手を振る庄内さんの笑顔に、すべてが詰まってるような気がした。

◎ぐるりとのあとがき

今回の記事の取材にあたって、初めて庄内さんにお会いした。にもかかわらず、取材の約一ヶ月後、木こり仕事をするからよかったら見においで、と呼んでくれた庄内さん。そのあとも何度かお電話をもらったりして、お話した。庄内さんはひとつひとつの縁を大切にされて、そして、受け入れてくれる。とてもあたたかいひとだ。だれかが覚えていてくれるって、こんなにもうれしい。初めてお邪魔したときから懐かしい庄内さんちは、とても居心地がいい場所。そして、それを感じているのはもしかしたら人間だけではないかもしれない。いろんな場所からそれぞれの人生ならぬ、"もの生”を経て庄内さんちにたどり着いたものたちは、なんだかみんな幸せそうで。いろんなものが雑多にあるようで、それらはずっと一緒にここで暮らしてきたみたいに、不思議とひとつだ。流れ続けるラジオの音も、自然の音と混じりあって耳に馴染む。庄内さんちには、庄内さんのやさしくてあたたかい人柄もすべて、ぎゅっと詰まってるような気がする。
(清水エリ / 撮る人)
「縁をとことん大事にする天才」
初めて庄内さんの家に行く道すがら「庄内さんのことを悪く言う人は町内にほとんどいない」と紹介されました。会ってみて、ああ、縁をとてもとても大事にする方なんだと節々から感じ、帰り道には「私は大事にしたい縁を大事にできてるだろうか」と考えふけってしまいました。縁を喜ぶ、誠実さ、覚えている、再会を喜ぶ。一見シンプルなこと。それをずっと大事にすることは簡単なことではない。それでも庄内さんは難しい顔はせずに軽やかに楽しみながら縁を大事にされる。こういうことを、天才と呼ぶのだと思いました。縁を大事にする天才、庄内さん。
(安井早紀 / 書く人)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?