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yuka〖ユウカ〗┆あらためて自分は何者か考えてみること
と、題名に書いてみたものの私は何者にかになれているのだろうか…そんなことも気にせず生きてきた27年間。
広島県で生まれ、都会に憧れ新社会人で東京に出て(正しくは埼玉県)、お金の使い方もわからないままカッコイイ都会人になろうとして、中途半端な都会人となり、そうして去年ふる里広島県に帰ってきた。
そんな27年間。短いのか長いのか。これから振り返って考察したいと思う。
![](https://assets.st-note.com/img/1681729048287-1I9BMULdvn.jpg?width=1200)
高校受験がピークだった10代
私は兄と同じ道を歩いていくものだと思っていた
5つ離れた兄がいる。兄が好きだったものは私ももれなく好きだった。ファミコン、64、ゲームキューブ。お察しの通り私の家は任天堂の独裁。
朝早くから夜遅くまで広島市街へ勤めに出ていた母。兄とゲームばかりしていることに対し嫌な顔をしたことはあまりなかったように思う。
兄は本当に頭が良かった。広島弁で言うと「頭がえらかった」
わからないことに遭遇したらすぐ兄に聞いていた。でもその答えが返ってくることは一度もなかった。
「自分で調べんちゃい」
この返事は通算何回聞いてきたんだろう…
中学生は勉強ばかりした。
兄と同じ高校に行くためだけに。
だから合格した時は人生の最高潮に達した。まだ15歳の若さで。
27歳の私が振り返っても、高校の合格発表ほど達成感・自信・希望というキラキラワードを同時に獲得できた瞬間は未だ他ない。
高校受験で一生分勉強したと自負していた私は入学後パタリと勉強を止め、物理テストで0点を取っても笑っていた。
「自分で調べんちゃい」
そう言ってくれていた兄は有名大学へ入学し、もう私の近くにはいなかった。
あぁ、今ならわかる。そうやって自分で興味を持ち調べ、学ばないと兄のようにはなれないんだと。
利便性と安心を求めて決めた看護学部への道
工学部に行っていた兄を見て、私も工学部に入るんだと思っていた。
工学部が何であるかも知らずに。
大学受験を考える頃には、兄の学力には追いつけないほど学力もやる気も衰退。
片親で育ててくれた母から、どんな状況になっても1人で生きていける力が必要であると知っていた私は、資格が必要な職業に興味を持つ。
大学受験の際に考えた「私は何者になるんだろうか」
自分がこれまで触れてきた職業しか知らなかった私は、どれもピンとこず【職業大百科】みたいな本まで読んで知らない職業を知ろうとした。
その結果どれもピンとこず、実家から通える大学で資格が取れるものというフィルターから看護学部という道を選択。
志望大学に合格するためだけの勉強をし、合格。
同じクラスの子達はみんな、国公立大学の後期試験まで諦めずに戦っている中、ひと足お先にお花見までする始末。
看護師国家試験合格
さすがに看護師国家試験の勉強は情熱を持ってやり遂げ、無事合格。
にも関わらず、高校合格した時のような達成感・自信・希望というキラキラワードは獲得できなかった。
「あぁ良かった。これで看護師免許GETだぜ。」
本当にこんな感じで。
私がほしかったのは看護師として働く未来じゃなくて、看護師免許だった。
薄々感じていたものの、そっと気付かないふりをして埼玉県へ移住した。
憧れの関東生活も不完全燃焼か
希望の配属先になるも1年で挫折
看護業界に少し詳しい方であれば、1年で挫折した=看護師キャリア終了ね。とすぐ伝わるでしょう。
看護師国家試験合格時に感じた、少しの違和感は間違いなかったのかもしれない。超急性期での3交代制に早期ギブアップ。
仕事終わりは広島にいる母とばあちゃんにLINE電話し、鼻水まみれの泣き顔を晒し続けることが日課。
一緒に働いていた先輩方はみなさん素晴らしい方でした。
そんな環境でさえも、3年間石は積めなかったのです。
貯金はマイナス額を更新し続ける。とりあえず働こう
早期リタイアした看護師キャリアの終着点では、お国が定める税金たちがゴールテープを持って何も知らない私を待っていた。
アルバイトとは違う金額を突然稼げるようになった社会人1年目の私は、お金の正しい使い方でさえ知らない。
だから当然貯金もしていない。全て東京に魅せられた服ばかりに消費。
あれよあれよと普通預金はマイナスを更新し、そろそろ働かないと母を頼る寸前だったのでとりあえず美容看護師として就職。選んだのは男性美容。
理由は広島じゃできなそうだったから。
THE・東京をやってのけたい一心で、ここで看護師免許というカードを使用したのだった。
4年間勤めた男性美容。そして広島へ帰る
男性美容は本当に楽しかった。仕事自体も楽しかったし、自分のプライベートな時間を確保できて初めて生き生きとした社会人生活を手に入れることができた。
この頃今の夫と出会い、私の夢のひとつ「おばあちゃんになったらコーヒー屋をしたい」という夢を割と早期に叶えるため一緒に広島に帰ることに。
現在とこれからの私は何者か
広島移住し、結婚。
現在はコーヒー屋。
そして今日から始めたnote。
ザーッと自分について書いてみたら、案外長くなりnoteの動きも鈍くなってきたから最後は少し雑になってしまったかもしれません。
思い返してみてわかったことは、高校受験以来、あれだけの情熱とキラキラに出会えていないということ。
そして少しずつの惰性を重ねながら大人になってしまっている自分であること。
そして私は今、夫とコーヒー屋/プラントベーススイーツのお店をしている。noteに自分の興味を必死に書いてみる。そして諦めない。継続していきたい
その先に待つ自分が、何者であるのか。
新しい情熱に出会えてキラキラしているのか。
それを確かめにいきたい。
だから明日も私は綴る。
yuka〖ユウカ〗
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最後まで読んでいただきありがとうございます。皆様からのサポートは私が応援したいと思う、また次の方へ還元します。サポートは私に明るい気持ちと大きな自信を届けてくれるもの。この同じ気持ちはどんどん広めたいんです♡