キャプテン
キャプテンという称号は、令和の時代ではただの重荷なのか、それとも周囲から一目置かれる得な位置づけなのかは分からない。
しかし、昭和の世界では、キャプテンと言われれば、チームの牽引役として選ばれれば名誉職のようなものである。
バスケ部に入部すると、1年生の中でのキャプテンを決めなければならない。
しかし、入部したての状況で、相手のバスケの技術力は勿論、チームを牽引するリーダーシップがあるかどうかなんて言うのも分かるはずもない。
恐らく顧問も、毎年このタイミングでキャプテンを決めてきたから、同じやり方を踏襲してきただけだろうと思う。
私が顧問なら、その学校のバスケ部をまとめるキャプテンが3年にいるので、その一人をキャプテンとした方が、キャプテンの重みが重くなり、その役に選ばれることの価値も高められると思う。
実力が分からない時に選出されたキャプテンだと、ただの責任取りに感じるのは、きっと私だけではないだろう。
3年のキャプテンを唯一のキャプテンとし、1,2年はそのリーダーシップのもとに鍛錬を続ける。
誰にも指示されない中、自らの判断で自分の学年をまとめる行動パターンに出る人を、横目で観察しながら、真のキャプテンシーを発揮できている人は誰かを見定めるべきだと思う。
また、3年が引退する時に、3年が選ぶ候補者、2年が選ぶ候補者、1年が選ぶ候補者をそれぞれ別々に投票してもらい、その内容を加味したうえで、顧問が最終的に指名した方が、全チームが納得できるキャプテンになるだろう。
私の兄もバスケ部で、後輩にも印象を残せた先輩として部内では知られていた。
その印象が強いため、先輩方は当時の兄の姿を私に勝手に投影し期待をする。
そんなことを知らない私は、始めたばかりで飲み込みも悪い。
先輩方は、「思っていたのとちょっと違う」そんな印象を受けたはずだ。
特に顧問はそういう印象を受けていた。私が3年になった時、顧問から
「兄貴はどうしている?元気にしているか?」
と聞かれ、
「まだ高校でバスケ続けています。」
と答えた。正直、兄のプレイを見たことがないので
「兄は上手かったのですか?」
と聞くと
「兄貴は、上手かったよ」
と顧問は応えた。顧問は続けた。
「兄貴は、上手かったのになあ」
と暗に「私が出来が悪い」ことを匂わせる。
顧問の中では、私だけでなく、私の代全体の出来の悪さを表現したようにも思えた。
兄の2年下で私の1年上の先輩は、他校と喧嘩に行くほど喧嘩も強かった。
ヤンキーではないものの、他校のヤンキーが喧嘩を仕掛けてくれば、なぜかバスケ部とサッカー部が相手に行くという習わしがあった。
その都度、顧問から張り倒されるにも関わらず、喧嘩に行くパターンを止めることはなかった。
それだけとがっていたのだが、バスケの試合ではほぼ勝利を収めていた。バスケのチームとしては、顧問は非常に可愛がっていた。
私の代は、喧嘩っ早い人がいなかった。
それは全校生徒の中で、私の代からヤンキーが消えた。バスケは下手だが、喧嘩の問題は起こさない。
でも、飴を食べたり、学校帰りの買い食いを見つかったりなど、喧嘩に比べれば可愛い校則違反をする部員がいた。
なぜか、私はやっていなくとも、同じ場所にいたりして責任を取らされる感じで一緒に張り倒された。
バスケの秀逸なチームが他校の喧嘩で相手を張り倒す、まさに「スラムダンクの流川」が私の先輩であり、「バスケが出来ないのに、喧嘩はする桜木」がまさに私の代だった。
「スラムダンク」では、桜木を認めないゴリというキャプテンがいた。
流川も桜木をバカにしている。その中で晴子さんだけは、桜木の才能に気づき応援、顧問の安西先生も彼の才能には気が付いていて、最終的に彼だけ特別メニューをさせるという指導もあった。
私の代は、「上手くもないのに、せこい違反ばっかりしている」ことに顧問はいらだったのだろう。
部活を終えてからの買い食いなどは、部活の顧問の管理責任としても問われるだろうからだ。
問題起こすのは仕方ないかもしれないが、「少しは試合に勝てよ」と思っていたと思う。
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