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父への手紙 19 いつの時代も中央大学法学部が世界一

 中央大学の卒業生及び在校生にとって朗報ではないが、父は中央大学が東大よりも優れた大学であると言い続けて、アルツハイマーと未知との遭遇を果たした。

以降、話せなくなったので、今でも同じ思いでいるのかを確認できずにいる。

 就職した先が、海外の顧客を専門に扱う子会社だったため、英語はできたのだろう。

当時、名古屋に住んでいた父は、英語の強い南山大学が進学先の候補でもあった。

 英語が得意だったため、外交官を目指すことにしたのだと言うが、そこで中央大学法学部へ進学する。

皮肉なもので、大学卒業後には、英語が話せれば有利な企業に就職をしたわけで、もし南山大学に進学していたら、生涯勤め上げた企業でも、現役時代以上に活躍の場を広げることが出来たかもしれない。

 中央大学に進学したことで、英語の読解はあるかもしれないが、話すという機会にはあまり恵まれなかったのかもしれない。

結局、話せないまま卒業し、外交官にもなれなかった。

 色々夢破れた父ではあったが、中央大学法学部は、東大以上に法曹界には影響力があるという誇りだけは敗れてはいなかった。

本当の統計はどうなのか、定かではないが、人工知能に聞いてみると、東大の方が多く合格者を出したと出ているものの、年度によって異なるという。

 人工知能での結果では、「どちらに進学をしようが、個人の努力と能力で変動する」というコメントだ。

 正直、司法試験にどちらの大学が多く合格者を輩出するかどうかは関係なく、AIが言うように、個人の学習能力により合否は決まるわけなので、どこに行ってもいいと思う。

 そんな父の偏見に私はプレッシャーを受け続けることになる。

高校受験の頃も、父はいい高校への進学を望んだ。

もし判定で私が記入する学校は、どこも父をがっかりさせるような高校だったようで、承認欲求を満たすべく、父がどのレベルから「承認射程圏内」に入るのかという話を漠然とすると、偏差値で言うと65~70を指している。

 最終的に60を超える私立にはどこにも受からなかったが、63の公立に合格して、そこに行くことになった。

実家から遠く離れた高校で、同級生に進学先を伝えると、口をそろえて「どこそれ?」だった。

私も知らなかった。

偏差値を追っていったら、浮上してきたといういい方が正しい。

 父のあくなき学閥への追及は、大学入試にも続いていく。

通常、学閥というと、東大か京大、早稲田か慶応、みたいに取り上げられることが多く、当時、実際には、そういう見えない戦いが繰り広げられていたと思う。

早稲田の中でも勝ち組の学部と負け組の学部など、合格した人の中でも学部閥があったと思う。

 父の戦いは、「中央かそれ以外か」である。

この戦い、どうなんだろう。

父からしたら、二択なのもあり、天下分け目の「関ヶ原の戦い」と同レベル。

東大VS京大、早稲田VS慶応なら、文字通り天下分け目になるかもしれないが、中央VSそれ以外となると、ほぼほぼ四面楚歌で、戦わずして負けているともとれるのではないかと思える。

 父の中央大学熱は、受験の世界では終わらず、駅伝にも広がり、駅伝を見なければ新年を迎えられなくなったのも、この熱のせいである。

ジカ熱並みの感染力である。

 2024年の現代、リンクトインを活用しながら転職活動をする。

リンクトインは、企業マン向けのフェイスブックと言ったところで、企業家のネットワークに使える他、リクルーターや企業が採用候補者を探すプラットフォームとしても、頻繁に使用されている。

 リンクトインは、ユーザーの多くが外国籍か外資系出身者で占められており、国内企業でしか働いていない人は、あまり使用していない。

リンクトインでは、学歴、職歴、顔写真を公開している人が多いので、面接が決まると、面接官の経歴をリンクトインで確認してから面接に臨むことが多い。

 このプラットフォームで出てくる出身大学は、上位校の場合は、東京大学、早稲田大学、慶応大学、海外の大学が圧倒的に多い。

日本全国には、日大出身者が圧倒的に多いのだと思うが、日大出身者でリンクトインをあまり見かけない。

それだけ、国内企業で就労しているということだろう。

 中央大学も同様に卒業生は多く点在しているようだが、リンクトインではあまり見かけない。

日大同様に国内企業に多く就労しているということなのかもしれない。

 卒業生の多さで言えば、中央大学出身者は国内では多いので、父の戦いもそれなりに奮闘できるのかもしれない。

でも、父がいう「中央の出身だ」と私の「タウソン大の出身だ」は、お互いにピンとこないくらいの「何の話」の世界である。

 そんな父ではあるが、ずっと家族に関心がなかったものの、受験にだけは興味を示すというか、受ける大学を大学と認めない。

承認欲求は私も満たせないのはもちろんのこと、多くの大学もその承認を得られていない状況だった。

 父からすると、日本に大学と認められる大学は15大学くらいしかなかったとみていい。

こういう状況だと、受験も張り合いが出ない。

いくら偏差値を上げていっても、所詮承認欲求は満たされないわけで、高校時代に承認などなくても精神力を保てるという、ツワモノは多くはない。

 自己肯定感は、日に日に落ちていったが、「早稲田大学には行きたい」という思いは強かった。

国公立は科目の量的に難しいと判断し、3教科だけで勝負する私立の中から、トップに近い学校を目指したい、というのが理由だった。

 現役時代には、教育学部、商学部、文学部を受け、一浪の時にも教育学部、商学部、文学部、社会科学も受けたかもしれない。

早稲田の中でも比較的良問の試験を出す学部を選んだ。

 現役も一浪も全滅に終わるのだが、父は戦が終わる前に、「玉音放送」を流した。

「日本から受け入れられなかったんだから、海外へ行ったら」という厳しい言葉を頂いた。

戦わずして勝つことを奨励する、孫氏の兵法とは逆に、鎧を纏わず戦地に飛び込んだ我が子を無駄死にさせるのは忍びないと思ったのだろう。

 私は、その後渡米をすることになるが、入試2年間全滅の汚名が、留学に行ったという事実だけで、「神童現る」みたいな反応に変わったのだ。

英語を話せずに渡米したにも関わらず、言い換えれば、飛行機に乗れば、誰でも同じことが出来たにも関わらず、留学という事実が汚名を返上したわけである。
 
父への手紙
 親父の中央愛は、今の学長が誰かは分かりませんが、学長冥利に尽きることでしょう。

中央法学部は、確かに有名でした。

ただ、もし仮に自分が、東大法学部、早稲田法学部、中央法学部すべてに合格したら、東大法学部に入学していた可能性は高く、きっと親父も同じだったと思う。

 箱根駅伝は、出場校からすると嬉しいイベントかもしれませんね。

ああやって、ブランド愛というのは、強くなっていくものだと思います。

親父のその熱意、繰り返し同じ時期に同じものを見て、同じものを応援するというのは、間違いなくブランドビルディングに繋がるし、私の社会人でのマーケティングで学んだことにも繋がる、分かりやすい教えだったと思います。

 また、受験全滅という大敗の背水の陣を青天の霹靂に変えたあたりは、V字回復を再現したもので、時には大きな投資をすることで現状を打開するという兵法論を学んだ気がします。

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