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つらいの、つらいの、とんでけ、いい加減。

亡き父は片耳の聴力をほぼ失っていたので補聴器を付けていた。

身体的に「五体満足」ではない人が「五体満足です、私」と隠しながら仕事をしてた苦労は目の前で見てきた。そうでもしなければ、採用してもらえない社会に常に疑問を抱いていた。

嘘をつかなければ採用してもらえない。嘘をつき続けなければいけない精神的なもの。今より起業するハードルが高かったこと(つまり選択肢は狭い)。

彼は片耳だけだったけど、補聴器をつけていても聞こえにくい方向というのがあった。それに、最近の補聴器はわからないけど彼がつけていたのはたまにハウリングして「ピー」ってなることがあって、補聴器を付けていることをがばれないように(ハウリングして)ボリュームを下げていたのかもしれなくて、聞こえてなかったな、と思うときは声を大きくしてもう一度話しかけることもあった。知らない人がいるときはもう一度代わりに繰り返してあげることもあった。それもこれも、補聴器を付けていることが人生を左右するほど、公にしてはいけないこととして生きるしかない社会だったから。

乙武さんの本が出版されて、障がい者雇用が推進されて、少しづつ変わってきているように見えるけど、電車の中で倒れた人に手を差し伸べない人や人身事故で電車が遅延してると会社に遅刻するとブーブー駅員さんに文句言ってる人と見ると、全然変わってないなー、って思っちゃう。

だれもが同じで、健康で、お金もってて、髪の毛はげてなくて痩せていて、若くてピアノやってて両親そろってて、みたいな人ばっかりじゃねーよ、どの世界も。

どうして、そんなに同じじゃないといけないのかね。

別になにもしてくれなくていいから、せめて、その場所に、どんな誰かがいてもいいじゃんか。

でも、ケガしてたら手くらい貸してあげるくらいの感情がある世界で生活したいよ。明日は我が身、とか思わないのかね。けがして生活一変するかもよ。病気になるかもよ。脳梗塞でぶっ倒れるかもしれないじゃん。みんな自分だけは不死身とか思ってるんのかな。

だから、だから?日本社会はたぶん無理。私は。 もうすこし優しい世界にしたい!って思ってた時期もあるけど、たぶん無理。

なんども言うけど、そう簡単に人は変わらないよねー。自分もね。

本気で逃亡したいぞ。今すぐ。



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