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一枚の自分史:「かわいそう」って言わないで

私は三十五歳、 上の子は九歳で下の子は五歳の頃だった。 下の子の保育所から家までのルート上で起こったことだった。

仕事を終えて帰ってきた私に、上の子がこう言った。
「 今日、僕な~、小谷のおっちゃんにめっちゃ褒められたんやで~」
 へー、なんて言って 褒められたんだろう。いつもは口の重い子が聞く前にどんどん話してくれた。おっちゃんは、
「おまえは賢いな~、 何担いでんや? 昼寝用の布団か?重たないんか?」
泉州弁丸出しのおっちゃんの純朴な声がしてきた。
「うん、大丈夫やで」
おっちゃんに褒められて、よほど嬉しかったのだろう。反対に私は「ごめんね、いつも遅くなって」と母親として不甲斐なさを感じていた。
妹は、保育園に通っていた。仕事で遅くなる時は、兄にお迎えを頼んでやってもらっていた。金曜日はお迎えの親が昼寝用の布団を持ち帰って干すことになっていた。持ち帰るにはまだ九歳の兄には荷が重かった。しかも大人の足でも家まで十五分ほどかかる。この子たちの祖母が手作りした重いふとんだった。保母さんたちは、布団を置いていくように言ってくれたが、彼は「持って帰ります」と主張したらしい。困った保母さんが一計を案じて、布団に二本の紐をかけて、背負えるようにしてくれた。 それからは金曜日は時々、か細い体に大きな布団を背負った兄と何も持たずに軽々とお気楽に歩いている妹の姿が見られるようになった。
「それにしても、妹のほうはお気楽なもんや、兄貴に全部持たせて、しゃーないな~」
とおっちゃんは言って豪快に笑ったそうだ。そのあたりも、兄の琴線に触れたらしい。素晴らしいどや顔をしていた。
妹は妹で言いたいことがあるらしい。
「兄ちゃんはいつも人に会ったら挨拶せぇと言って、私の頭を無理やりに押さえつける。それやったら、私が挨拶もできんあかん子みたいや」
それは、この際、関係ないかもしれないが、確かにそういうところあるよなとは思った。せめてしっかりした兄をアピールして、優位性を保っていないとやりきれなかったのだろう。

妹は全速力で走って家に帰ってくる。 兄は重い布団を担いで走れないから
「 待て~、走んなよ~」
と、わ~わ~と言いながら帰ってきた。二人からは汗の匂いと日向の匂いがした。
妹の額には髪の毛が汗でぐちゃぐちゃになってかかっていた。 まる出しになったおでこが可愛かった どうしても下の子には甘くなり、可愛く感じてしまった。
兄には、つい 無理を強いてしまっていた。友達と遊びたいのに、私から無理やりに言いつけられてしぶしぶ保育所にお迎えに行っていた。しかも、やんちゃな妹は思い通りにならなくて苦労したことだろう。
それなのに、知った大人から「かわいそうに、 こんな大きな荷物を担がせて」と言われていたらどうだろう。実際にそんな言葉を浴びせた大人はいただろう。
本人はやっぱり自分のことをかわいそうな子だと思い、ひどい母親だと思ってしまったことだろう。

 小谷のおっちゃんには私だって援けられていた。人のことを かわいそうにと同情する前に、子供にかける言葉をセレクトできる田舎の中年男性にはないセンスだと思った。 それだけに相手を思って自然に出てきた言葉だと思った。私たち親子を優しく見守る 兄のような存在だった。それだけに小谷のおっちゃんご夫妻ともに早逝なさったことが惜まれてならない。私はありがとうと言えていないままだ。
私たち親子はこれまで出会った人たちに生かされていると感じている。 ありがとうは思ったらすぐその場で言おうと子どもには伝えていたけれど、自分はできていなかった。できてないことばかりで嫌になる。けれど、子どもは
「「おっちゃんありがとう」と僕は伝えたよ、 嬉しかったからね」
「おっちゃんは「うん、がんばれよ! お母さんを援けたりや!」って言ってた」
と、屈託がない。兄は言った。
「お母さん、これからもお迎えは僕に任してええからね」
けれど、お迎えを頼むと、必ず「嫌やのに」という顔をもろに出す。それを見るといつも心が折れた。見ないふりして軽いタッチで、「お願いね~」と無理強いしてきた。大人になって、兄が小谷のおっちゃんの歳になっても無理強いは連続している。やっぱり上の子って本当にかわいそうだ。


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