マガジン

  • ポンコツばあちゃんの終活日記

    永遠のセブンティ 終活適齢期にあって、ちまちま片付けて時間が過ぎていく。 後、どれだけ残されているのかわからないのに 残された日々を楽しまなくてはもったいないのではないのか。 ポンコツがどれだけ発動するのか数え上げれば もう。可笑しくて笑うしかない。 これも終活かなと思う。 他の人は知らんけど~。

  • ひいばあちゃんのお小言集

    実は私が母から食らったお小言を私の孫が食らってる体で書いています。必要だなとか、いいこと言ってるなとか、やっておいたらよかったなとリスペクトできるお小言をご紹介します。 登場人物は、私と母と娘と孫娘です。

  • 私の100枚の自分史

    一枚の写真や絵から語り継がれる自分史。  「思い出の1枚」から質問シートに答え、お互いにシェアをしながら進めます。いつしか過去の出来事や思いが未来へと繋がっていく。  人生という大きな線上にある一つの点を切り取って、思い出の写真とともに短いストーリーにまとめると「一枚の自分史」になります。  なにげない日常生活の中に自分史があります。自分を見詰めることによる発見に驚き、この後の生き方のヒントが生れたり、ご自身の来し方に親愛の情が湧いたりする。  100人と書くプロジェクト。誰かと一緒に書く100枚の自分史です。

  • 親子の対話・・・お別れを考えるマンダラエンデイングノート

  • 母のお作法・・・こころの思草(しぐさ)

    母は若いころに、福井の山奥から東京に出て、旧家の行儀見習いさんとして女中奉公しながら高等技芸専門学校に通っていました。 その頃に、一番女中さんから厳しく行儀作法を仕込まれました。 私は母から言われて自然にできていること、今頃やっと分かったことなど、分かっていてもできないことなども、ここに書いておくことにします。 たぶん、母は伝えたかったはずのこころの思草(しぐさ)です。

最近の記事

ポンコツばあちゃんの終活日記18:74年のデトックスⅠ

ということで、この日はおっかなびっくりで初めてのデトックス体験。 近所に住む心の学びのお仲間の理学療法士、温熱療法士のタケちゃんの施術を受けてきました。 まず、着る岩盤浴の専用シートを着て、身体の滞っている部分に温熱療法。あちちとなる方もいるんだそうですが、気持ちよく温まる~。おしゃべりも心地よくって~。 その後は、何が起こっているのやらよくわからないままに足湯みたいな器械に足ポチャ、その後はただの癒しタイムとはいきませんでした。 それまでに、タケちゃんの体整えレッスン

    • ポンコツばあちゃんの終活日記17:一番したかったことができていた。

      先々週は宮崎でお仕事してました。行く時は体力温存で飛行機やったんですが、帰りはのんびりと大好きな陸の旅をしました。 まずは、宮崎から別府まで「特急にちりん」で、もう、停車する駅が特急停車駅なのにどこも鄙びていて旅情をそそってきます。これはJRでしか味わえへん醍醐味です。 人生で2度目の宮崎でした。高校の修学旅行で訪れて、日南海岸や鵜戸神宮と青い海と洗濯岩をクラスメートとはしゃいで歩いた。でも、今回はお仕事です。宮崎ではどこにも行けてません。 前々日に東北から帰って、その次

      • ポンコツばあちゃんの終活日記16:日本のひなたで仕事をしたら

        梅雨明けの宮崎、いきなり36℃で関西とはまた違ったストレートな暑さ、さすがに南国や~!「日本のひなた」といわれてる。そうか日向(ひゅうが)って(ひなた)って読むもんね。 そんなリゾートみたいなところで大学生活を送っている学生たちってどんなだろう。 とにかくせかせかしていない。それまでの東北の学生が地道に準備して真剣に取り組んでいる姿とは一味違っている。県民性なんかな・・・。 農業、林業、化学の学生がやって来た。しかもメンズばかりとは珍しい。学部の傾向かもしれんけど、理系って

        • ポンコツばあちゃんの終活日記15:「みちのく一人旅」50数年後の続編

          今年の期間限定のお仕事は5月中旬から7週間ぶっとおしでオンライン。 来る日も来る日も家に籠っていると、「ウォー、どっか行きたい」ってなってました。 7月に入って、やっと対面が始まって、伊丹空港から花巻まで飛行機で飛ぶ。ちょっと表には出せませんがね、心の中はですよ、まるで小学生並みにはしゃいでいました。 梅雨最中に東北に向かうわけですから、日本中で集中豪雨に見舞われていた時節、集中的な雨は覚悟の上でしたが、着いたその日だけ普通に降られて、盛岡でも遠野、花巻でも全く降られること

        ポンコツばあちゃんの終活日記18:74年のデトックスⅠ

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        • ポンコツばあちゃんの終活日記
          17本
        • ひいばあちゃんのお小言集
          45本
        • 私の100枚の自分史
          135本
        • 親子の対話・・・お別れを考えるマンダラエンデイングノート
          34本
        • 母のお作法・・・こころの思草(しぐさ)
          6本
        • 習作集
          6本

        記事

          ポンコツばあちゃんの就活日記14:不来方のお城そぞろ歩き

          今日は、盛岡にいます。お仕事です。 6時から不来方のお城(盛岡城址)を朝歩きしてきました。 岩手山は残念ながら曇っていて見えなかったんですが、城山から望む岩手山の眺望は抜群なんです。昨年の3月にきたとき、雪をかぶった姿がきりっとして美しく、仕事場の教室から見える岩手山にしっかりと見守られているようでした。 もう10年以上前に未来質問をしたとき、 「10年後は日本中を旅しながら仕事をしてるよ」 「その旅のエッセイを時々雑誌に載せてもらってるねん」 「おかげさまで、旅の費用は心

          ポンコツばあちゃんの就活日記14:不来方のお城そぞろ歩き

          お小言集24:習い事をするんやったら

          「習い事するんやったら、先生になるところまで続けるんやで、途中で止めるぐらいやったら、最初からやらんとき」  それが、ひいばあちゃんからの教えでした。 一度やり始めたことはものになるまで続けました。その教えのおかげで多くの資格を手にして私は食い逸れることはなかっけれど、時にそれは呪いのように私を縛ることにもなりましたが、中途半端で止めることはありませんでした。   これまで、どんな習い事をしたか辿ってみました。  初めての習い事はお習字だった。小学校低学年時代に1年くらい

          お小言集24:習い事をするんやったら

          ポンコツばあちゃんの終活日記:誰と本の話をしているか

          私は年間100冊前後ですので、さほどの読書家というわけではないのですが、本の話をするのは大好きで、少しも飽きません。 本バナシをする相手はいるようでいないものです。高校時代からの読書家の友人とはよく盛り上がったものでした。人生を折り返すころまで、お互いに美味しいものが大好きなので、安くて美味しいものを探し当てたら一緒に出かけていました。 お酒と一緒に軽くいただいて、そして必ず最後は本屋さんにいったものです。前回から、会うまでに読んだ本でお薦め本を紹介をしあって、購入して帰る

          ポンコツばあちゃんの終活日記:誰と本の話をしているか

          ポンコツばあちゃんの終活日記:まほろばの夢

          気が付けば、時代を遡っていました。そんな小一時間、古代のお話しを聞いていたら、遠い昔の恩師の笑顔が浮かんでいました。そこは大阪府堺市なかもずのカフェ、メゾン・ド・イリゼでした。 1970年の春、橿原公苑合宿所での部活の合宿を終えて、仲間と飛鳥巡りをしていました。その頃は、飛鳥のあちこちで発掘作業が行われていました。 部活の仲間と明日香浄御原板葺宮の発掘現場を通りかかった時、見覚えのある方が作業をされていました。声を張り上げていました。 「先生!こんにちは!」 「関大の学生

          ポンコツばあちゃんの終活日記:まほろばの夢

          一枚の自分史:孫からのラブレター

          20年前、母が逝きました。WEB日記に残された、その数日の記録や心のさまが甦ります。 2004年8月1日(土) 母の告別式。11時に告別式は始まった。月初めの月曜日ということでお越しいただける方は極少ないだろう。予想した通りでした。でも、お母さん、かえって、身内ばかりで心おきなく別れを告げることができましたよね。 お寺のご住職から、自分たちの告別式をしなさいと言われていました。言われたときは、突然だし、何も浮かばなかった。入棺するとき、何を入れてあげたらいいのだろうと・・

          一枚の自分史:孫からのラブレター

          一枚の自分史:晴天の霹靂「何してくれるのよ、お母さん」

          母と6人の孫+α、花博を行く、迷子顛末記  1990年8月10日、母は65歳、 私が40歳で兄は中学1年生13歳、妹は小学4年生10歳の夏休みのことでした。  母は、まだ幼い7人目の孫を除いて6人の孫、そして+αで近所の小学生で多分ひろちゃんという名前だったと思う。一人で子供たちを連れて大阪花の万国博覧会に颯爽と引率をして行ったことがありました。  子供たちにとって夏休みのいい思い出になるはずでした。ところがとんでもないことになったのです。  前日から兄と妹の二人は子ども

          一枚の自分史:晴天の霹靂「何してくれるのよ、お母さん」

          お小言集2:恩送り

          「親孝行しようと思うなら、母さんには何もしなくていいから、子供に親からしてもらった以上のことをしてやりなさい」  母のお通夜には先代からのお付き合いのご住職が来て下さり、心のこもったお経、正信念仏偈を皆でお勤めをしました。  私たちはお正月とお盆はいつも母と一緒にお寺に行き、正信念仏偈をあげていましたから、全員がお経をよめたのです。  それが母の一番楽しみにしている一番の年中行事だったのです。普段、一人で暮らす母への親孝行のつもりで欠かさず勤めました。そのことを本当によかっ

          お小言集2:恩送り

          お小言集3:遠足の小学生との相席劇場

          「ちょっとづつでもええから詰めたら、誰かが座れるでしょ」 「こぶし一つ詰めなさい!」 電車の座席などで、後から乗り込んできた人の為にみんなで腰を浮かしてサッと幅を詰めてもう一人分のスペースを作る思いやりの行動。公共マナーですね。 電車で座っていて、人が乗ってくると「こぶし一つ詰めなさい!」と母はよく言いました。少しずつ詰めたらもう一人座れます! 脚は肩幅以上には広げないでね~、座席は荷物の置き場にしないでね~。譲り合えたら嬉しいですね・・・。 こんなことがありました。我が

          お小言集3:遠足の小学生との相席劇場

          お小言集4:我が計らいにあらず

          「頼まれ事は使命事。どうせ受けるんやったらごちゃごちゃ言わんと一つ返事で快く受けなさい」 高校卒業三十周年の同窓会、当時は四十八歳、阪神淡路大震災の3年後、同級生の身にもいろいろ起こっていた。みんなまだ若いつもりでいるのが可笑しい。すでに卒業して三十年の月日が流れている。人生の後半に向かっていることに気付かないでいた。確実にそれぞれの歩んできた人生が面差しに影を落としつつあるようだった。それは私も例外ではなかった。  三次会になって初めて担任のA先生の欠席に話題が及んだ。

          お小言集4:我が計らいにあらず

          お小言集:「もったいない」

          「勿体ないことしてたらえらいことになる。1円を笑うもんは1円に泣く」 物の本来あるべき姿がなくなるのを惜しみ、嘆く気持ちを表している日本語の単語である。 「物体(もったい)」とは、元来は仏教用語で、「勿体無い」は、もともと「不都合である」、「かたじけない」などの意味で使用されていた。 現在では、それらから転じて、一般的に「物の価値を十分に生かしきれておらず無駄になっている」状態やそのような状態にしてしまう行為を戒める意味で使用される。(Wikipediaより) 贅沢を諫

          お小言集:「もったいない」

          お小言集5:成長のためのタネを蒔く

          「蒔かない種は生えない」 あなたがしたいことは何なの? あなたができることは何なの? あなたが求められていることは何なの? できること、過去の中からそれを探して証明できますか? 学生時代に力を入れたことは何ですか?それを今の学生さんは「学チカ」と呼んでいます。行動特性を評価するための求人面接における大切な質問です。 あなたの人生では何にチカラを入れたのか。どんなふうにチカラを入れてどんな成果・結果を得たのか。そして、結果に至るプロセスを細かく引き出していく。プロセスから

          お小言集5:成長のためのタネを蒔く

          お小言集28:澄んだ心ですみません

          「すいません」、「ごめんなさい」  素直にごめんなさいと謝ることができますか?  今から思えば、若いころは結構かたくなでした。歳を経て、ごめんなさいと、ずいぶん澄んだ心で言えるようになりました。  仕事をする中でよく見かけたのが、その時すぐに謝れなかったことで問題を大きくしてしまう場面。心のこもっていないごめんなさいは相手に必ず伝わります。第二クレームを招いてしまう。  誤れば済むでは、クレームの内容までたどり着きません。だから、同じクレームが繰り返される。  あるいは

          お小言集28:澄んだ心ですみません