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声のこと その2

先日、声のことを書いたのですが、反響が多くて少し驚いています。
皆さんが同じように感じておられるのですね。

先日、書いたのはこちらです。
https://note.com/groupcube_70/n/nace8dfe18e2b

私がやっているのは公務員試験の面接対策です。5年目になりました。
一昨年までの2年間はほぼオンラインで、一日中、来る日も来る日もでした。昨年は半分がオンラインで半分が対面講座でした。九州、中国、四国の大学に赴きました。
対面講座は当然マスクに換気に距離を大きく開けてと万全の対策をして臨みました。やがて、マスクが当たり前になって、不便を不便と思わなくなっていましたが、自身の心肺機能が落ちていると自覚できるほどに、坂道、階段でハアハアと動機が激しくなっています。
一刻も早くマスクを剥ぎ取って、自由に息を吸って吐いてどうどうと楽に歩きたいと思っています。

3月には自治体のアピール試験の面接対策に盛岡に行ってきました。
これまでは、本番の面接もマスク着用だったのですが、今年はおそらく質疑応答の際だけマスクを外すことになると予想されるので、ご自身の裁量で外して模擬面接にも望んでいただきました。
学生たちは声が小さくなっている、滑舌が悪くなっているだけではなく、表情も乏しく全体のパフォーマンスの力が格段に落ちていると感じました。

声だけではなかったのです。
こう言ってマスクを外した学生がいました。
「外したくないな、表情を読み取られるのが嫌だ」
ドキッとしました。
長いオンライン授業や外出規制で人間関係を構築する力を養う機会を奪われてきたのではないだろうか。マスクをしてごまかして生きる方が楽になってしまっていないだろうかと心配になりました。

この13年間、キャリアカウンセラーとして就職支援に携わってきましたが、本来はマスクを外すのが相手への礼儀でした。外さない理由があれば、そのことを断って着用していました。
明らかに花粉症や風邪の季節やインフルエンザの流行時は自主運用です。
マスクはマナーの範疇でもありました。

だが、そうではないこともありました。就職支援の講座生で絶対マスクを外さない人が数人は居るのが普通になっていて、単に誰もマスクをしていないクラスがあるとちょっと嬉しいぐらいでした。そんなクラスは、風通しがいいというか、コミュニケーションが盛んで連携が取れていました。
表情の半分が隠されている。自分を隠しておきたい人がいるとどうしても一方通行のコミュニケーションになってしまいます。
自分をあからさまに見せたくないという思いがそこにある場合がある。自己重要感、自己肯定感の欠如を人に見せないで済むとどこかで安心できる。そういうわけで、マスクには本来の目的以外に二次的な利得もある。ということになるとそれは簡単に手放せなくなる。
表情を鍛えることを怠けることにもなり、そのことは豊かな感情の発露さえ妨げていると言っても過言ではない気がします。
堂々と自分の顔と表情に自信を取り戻す日が来ることを、他人の思惑に囚われていないで、自己責任だと割り切って自由な学生らしい姿を取り戻してもらいたいと願っています。

第5類に移行する5月8日、よーいドン!で外すことになった。青い空にマスクが投げ放たれる。そんなこと夢かな・・・。


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