オナ禁は宗教か?

はじめに

本文中にて宗教についての記述があります。私は無心論者ですが、宗教・宗教者を尊重しております。私は宗教は救いになるし、人間にポジティブな影響を与えれるものだと信じております。

 オナ禁というなんちゃって苦行 

 殆どのオナ禁者は「オナニーを我慢すればXXが得られる」という動機でオナ禁を始める。XXは「モテ」であったり、「筋力増大」であったり様々であるが、ネットを見ている限り非科学的なご利益が多く見受けられる。それはまるで

「OOを我慢すればXXのご利益がある」

というカルト宗教の現生利益のようである。これらをカルトというつもりは全くないが、イスラムのラマダンや仏教のお盆など、禁欲・断食の慣習は多くの宗教に見受けられる。(イスラムは現生利益を否定しているが)。もちろん、ラマダンとオナ禁では、目的が全く違うのは承知している。ラマダンは、自分のためだけの断食ではない。貧しくて満足に食事を取れないひとの気持ちを理解するためでもあるという。私はイスラムについて詳しく学んだことはないが、高潔な理由だと思う。それゆえ、日本のオナ禁コミュニティの態度が滑稽に見えて仕方がないのだ。

 ネットを見ていると、日本でオナ禁は仏教の「修行」のイメージをもって取り組まれているように思える。そしていつの間にか、禁欲が信仰となり、迷信となったのだろう。そして彼らがいうオナ禁の「ご利益」というのは、「コンビニで買い物した時に若い女性店員がお釣り返す時に手を添えてくれた」とか「電車で女性がこっちを見ていた」などと、まるで思春期の少年のようのな可愛らしさがそこにはある。

日本の根性論文化

 オナ禁が日本で宗教化したもう一つの原因として、日本の根性論文化が挙げられるだろう。「結果」より「頑張る過程」に重きを置く日本の教育思想は数多くの「結果より過程」派の人間を生み出した。オナ禁において重要なのはオナ禁で得られる結果より、オナ禁で(禁欲の過程で)「苦しむこと」であり、その彼らの信じるオナ禁効果はまるで、「結果より過程」派の「頑張ったからなにかあるだろう。」といった願望のような曖昧なものである。

 オナ禁がカルト的として、一部の人たちから煙たがられるのはこういった理由があると思われる。オナ禁がもっと人口に膾炙するには、多くの人を納得させれるような思想が求められている。そして今のオナ禁界隈でそれが育っているようには思えない。対して、ポルノ産業は、HD動画やVRなどハード面、コンテンツ面の両方において、年々成長して巨大化していっている。


2020/09/17 一部編集 

 

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