『聖なる海とサンシャイン』「吉井和哉についての二、三の事柄」(So re-mix 2023/12/31 version)
『聖なる海とサンシャイン』
人が海に戻ろうと流すのが涙なら抑えようないね
それじゃ何を信じ合おうか……
始めてこの曲と出会ったのは、大学受験の真っ只中だった。
同時期に発売された「バラ色の日々」とともに、俺の中では対になっている。
学生当時、『バラ色の日々』は愛聴したが、『聖なる海とサンシャイン』はあまり好きな曲ではなかった。
数年前までは。
『バラ色の日々』は、受験・卒業の季節にフィットしていた、というのもある。
今ひとつ曲全体が好きになれなかったのもある。
18歳には分からない歌だったのだ。
プロモーションビデオは好きだった。初めて観た時、「角川映画の予告編みたいだな」と思った。俺は詳しくないからわからないけれど、エヴァンゲリオンの影響もあるんだろう、(俺にとっては)市川崑調のテロップとか、世界観とか。
最近、ヘビーローテーションで聴いている。
CDでは全部で6バージョンが発表されている。
特典盤として、ライブバージョン、ライブCDバージョンもある。
吉井和哉自身、迷っていた時期なのだろう。
俺には、ネット上では長年「いい友達」と表現している、親友がいる。
劇作家の河田唱子女史だ。
彼女は一般的な仕事をこなしながら、演劇活動をライフワークに持って活動している。
「ウキヨホテルプロジェクト」としてプロデュース方式で作品作りを重ね、今年度、合同会社になった。
俺は彼女の「補佐」を勝手に名乗っている。
公には「助手」であるが、心の中ではサポートを誓ったから「補佐」だ
彼女とは2009年度に受けていた、劇作家協会の戯曲セミナーで知り合った。
2010年に戯曲セミナーが終わり、それからは近くもなく、かと言って遠くにもならず縁が続いた。彼女が作る舞台には可能な限り行った。
俺の中でずっと意識していた相手だったのだけど、なんだかんだあって、奇妙に連鎖する縁の巡り合わせもあったりして、2017年に決定的な再会を果たす。
それ以前も連絡はしていて。
俺は忘れてしまっていたのだが、ひとり暮らしをしていた際に彼女に相当長い、病んだ手紙を送っていたようだ。
ノイローゼになり、入院する前後のことだと思われる。
相当に気を遣わせてしまったようで、色々と迷惑をかけてしまった。
申し訳ないと思っている。
彼女の作った作品を観に行った際に、感想をネットに載せた時に「知り合いの劇作家」と書いたら、猛烈に抗議を受けた。
「お友達でしょうが!」
俺自身が屈折していた時期なのだと思う。
彼女をどう表現していいか、分からなくなっていたのだと思う。
近年、この話になった時に「あんだけの手紙を送っておいて、知り合いはないだろ」と言われた。
そうですよね、ハイ。
そのこと以降は「いい友達」と表現している
彼女とは、あまり面と向かって話をしない。
おそらく面と向かって話す、声でのやりとりは、1年で24時間もないだろう。
文明の利器を使って、やりとりし合う。
それも数時間単位で。
それこそ、「おはようからおやすみまで」だ。
毎日やりとりを続ける日々があって、今がある。
空白期間は、もちろんある。
そりゃそうだ、365日毎日というわけにはいかない。
俺の中で彼女とのターニングポイントは3回ある。
ひとつは2017年の再会。
あの日ですべてが変わったと思う。
彼女のカタストロフを救った、ようだ。
ふたつめは2018年の頭。
「National Theater Live」という映画館を使ったイヴェントがある。
イギリスの本場の演劇を、カメラワークを駆使して臨場感たっぷりに映像化、それをスクリーンで観る、というものだ。チケットは3000円と、映画館の料金としては高いが、劇場で芝居を、それも本場の芝居を観られるのだから、安いものだ。
過去に、古典では『リア王』『欲望という名の電車』『三文オペラ』、新作では『夜中に犬に起こった奇妙な事件』、近年では去年トニー賞をかっさらった『リーマン・トリロジー』を観た。
どれも素晴らしく、特に『犬』は自閉症という繊細なテーマを大胆な演出で一気に演劇に昇華し、堅苦しくはないエンターテイメントにも、演劇も包まれた、舞台でしか出来ないことをやっていた。
ブロードウェイとは違う、ウエストエンドの空気がそこにはある。
今年(2023年)トム・ストッパードの新作、チェーホフの『かもめ』の翻案、アーサー・ミラーの『るつぼ』が公開になる。
さて。
2018年。
このNTLで「エンジェルス・イン・アメリカ」二部作を1月と2月に分けて上映した。1部が4時間、2部が4時間半ある大作だ。
元々有名な作品で、日本でも上演されている(初演・再演はあいにく、俺は見に行くチャンスがなく、この間上演された新国立劇場版はチケットが…)。
アメリカでは名匠マイク・ニコルズ、アル・パチーノ主演により、HBOテレビドラマ化もされている。
だから期待が高かった。
主演もアンドリュー・ガーフィールドとネイサン・レインというのもあった。
これを観に行く際に、せっかくだから、と、彼女と観に行くことにした。
素晴らしかった。
ドラマ版とは演出がまったく違い、リライトと綿密なリハーサルの賜物で、別物の印象だった。
演劇でしか成立しない作品なのだと改めて思った。
「あの舞台のマジックの感動は何なのだろう?」と語り合ったのを覚えている
そして、みっつめは、その年の春から初夏にかけて。
彼女の補佐を始めた頃。
彼女にとっての大きな分岐点となった公演、『朗読劇・ウキヨホテル』を上演した。
俺はその前後から毎日やりとりをしていた。
彼女が作品作りに迷った際にも、口を出した。
いろいろなやりとりを重ねていき、公演を迎えた。
自分に厳しく、自分の作品に厳しい彼女が、「納得のいく公演が出来た」と言っていた。
それは、俺にとっても嬉しい出来事だった。
その後も、いくつか彼女にとって大きいだろう決断に関わってきたと思う。
作家生命について説得をしたこともあった。
俺の言葉がどれくらいのものだったかは分からないけれど、彼女は今は大きな足取りで前を進んで行っている。
彼女とのやりとりは、何も芝居のことだけじゃない。
彼女に相談することも多いし、助けてもらっている。かく言う俺のカタストロフを彼女なりのやり方で助けてくれた。泣き崩れんばかりの俺に、あちこち連れ回すことで泣かせちゃえ、という「優しさ」で。
今現在の俺がこうしているのも、彼女の存在が大きい。
持ちつ持たれつ。
「お互い、絶対に恋愛感情は生まれることはない」という意思疎通が取れている安心感の元、付き合うことをしている。
よく「男女間に友情関係は成立しない」と言うが、あれは嘘だ。
事実、ここに成立している。
誰にも理解されない奇妙な関係。
そういう仲だ。
ある時、カラオケで歌う歌の話になった時、この「聖なる海とサンシャイン」の話になった。
話の詳細は忘れてしまったが、彼女と話していて、やっとこの歌の理解が出来るようになったと思う。
愛が空中で獲物を狙うハゲタカなら
防ぎようないね
それじゃ何をわかちあおうか
何を信じて、何に殉じて、生きていくか。
彼女は答えを持っていると思う。
俺は河田唱子を信じる。
転じて。
俺は何に殉じるか。
彼女と誓い合っていることがある。
「生涯『表現し続ける』こと」
「生涯『良い』作品を作って行くこと」
俺は一時期、彼女に過度に屈折した感情を抱いていた。
「彼女にはかなわない」
遠い存在のように感じていた。
でも、実際のやりとりを重ねていく上で、出会った時以上にお互いを知り合った。人となりを、個人的な考え方を、お互いの夢を知り合った。深く、深く。
人と人として付き合っていく中で、自己卑下は何にもならない。
彼女と付き合っていく中で、出遅れている俺の人生の中に燃えるサンシャインが昇ってきた。
今年、一度彼女と距離を取った。
新しい旅へ出るために。
でも、今年の河田唱子が選んだ道、新作ミュージカル『ジル・ド・レ 〜吾輩は娼館の蚤である〜』に付き合うことにした。
まだ俺自身の新たな旅路に立てなかったから、だ。
彼女から言われた「まだ書いていないんでしょ」という言葉に頷くことしか出来なかったからだ。
彼女に頼まれた訳じゃない。
「河田補佐をしたい」
そう思ったからだ。
俺はなんとか持病の統合失調症がもたらす最底辺からは抜け出せたと思っている。
それは、様々な多くの友達のおかげであり、一番には彼女の存在があったからだと思っている。
それもあって、「河田補佐」を勝手にやり直した。
でも、次に行く。
それが俺なりの、彼女への答えだと思うからだ。
だからこそ、俺は俺の見える風景を見に行かなきゃいけない。
銀の砂浜でこの胸に
引き金引かなきゃ
自分のために進む彼女に、見えている景色がどんな色をしていて見えているだろうか。
俺はこれからどんな景色を見るのだろうか。
「聖なる海」の果てに行けるのだろうか。
行く。
今年一年をかけたミュージカルの千秋楽という、彼女の新しいBirthday。
俺の第2の青春が終わる、記念日。
それが2023年12月31日、今日だ。
幕が下りる、その瞬間、何かが見えるはずだ。
燃やしてくれ、サンシャイン
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