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A Day In The Life(あるいは、灰色の教室)

 何もかもが嫌になっていた。

 梅雨は嫌いだ。
 6月某日、我が誕生日。
 14歳になった。
 誕生日自体は嫌ではない。ただ、バースデイケーキが出るような歳でも、自分の誕生日を祝うような歳でもないと思っていたし、事実今年はケーキはなかった。片親に近い状況の家庭で、我武者羅に働き養ってくれている母親に頼んでも良かったのだろうが、たぶん世間一般に言われるように、思春期、と言うヤツに飲まれているのだろう、頼まなかった。
 かといって、反抗期と呼ばれるものにはなっていない。他人に反抗する気力も、親への嫌悪感も、すべて自分の内面へと放り込んでいた。
 梅雨の、雨に対して、具体的な感情の名前はわからないが、嫌悪の感情が湧く。
 これが反抗期か?
 わからない。

 たぶん、俺はクラスメイトにとってはやっかいな、腫れ物だと思う。
 部活動は演劇部に所属してはいたが、部員は俺ひとり。学校で唯一の美人と言える顧問の女性国語教師の世話になりながら、ひっそりと部室にあてがわれている、図書館の司書室で、ひとり発声練習をする。大声で、俺の中の誰かひとりを吐き出すかのように、腹式呼吸と発声練習をした。おそらく気味悪がられているだろう。自分でも気味が悪いと思う。
 部室にある別役実という人の書いた戯曲を繰り返し読んでいた。作品は「そして誰もいなくなった」という、アガサ・クリスティの推理小説を元に、名前だけは知っていた「ゴドーを待ちながら」という難解な戯曲を混ぜてある、不条理演劇というものらしい。オチに気になっていた「モンティ・パイソン」という単語から連想される副題を持ってきている。その「モンティ・パイソン」という単語からわかるのは、戯曲の最後、犯人が「16トン」と書かれた巨大な重りに踏み潰されて幕ということだけだ。そのオチに、理論的な意味は全くない、ということだけはわかる。

 クラスメイトとまともな会話を交わすことはない。
 クラスは灰色に見えていたし、話して興味を持つ会話の出来るクラスメイトがいない。
 友達はいないわけではないが、最近は俺自身が距離を取っている。俺と付き合うことで迷惑がかかるだろう、なんていう被害者感情が湧いているせいもある。
 担任教師には、とうに見切りをつけている。つまらない、顔がカマキリに似ている理科教師、ということだけしか、おそらく記憶に残らないだろう。それよりは新任でやってきた、年の若い国語教師が俺をからかい半分興味半分で話しかけてくる、そちらの方がまだ良かった。数学教師が、たまに俺のことを気にする視線を送ってきたが、接点はそんなにない。その教師がチョーク入れに「ジッタリン・ジン」と書いてある缶ケースを使っていることだけは気になっていた。

 中学校までは、家から15分。8時15分までに登校、15分の準備時間のあと、8時半に朝礼、となっていたが、俺はいつも8時15分までテレビでやっている「バッグス・バニー」のアニメを見て、8時30分ギリギリに席に着いた。
 それからの授業時間、ある程度やり過ごすと、たいした痛みのない腹を押さえ、保健室へと向かう。
 おそらく記憶からは消えていくだろう、保健室の先生とのお決まりの会話した後、ベッドを借りて、白い天井を見ながら眠くもない目を閉じて、ぼんやりと”死ぬ”ということを考えていた。たぶんこれも、いずれは消えていくのだろう。

 自分が死んだら。
 そこに何が残るのだろうか。もしくは何も残らないのだろうか
 人は必ず死ぬ。
 手段が何であれ、必ず人生は終わるのだ。

 このあいだ、父の妹、叔母さんが育児ノイローゼの果てに、高層マンションの自宅から空へと飛んだ。小さいときの俺に優しくしてくれた叔母があっけなく人生の幕を引いてしまった。
 叔母の父親、俺の祖父は飲酒の量が増えている。
 このあいだ、肝硬変で摘出手術を受けたにもかかわらず、飲酒を続けた。
 祖父のお気に入りは、ウイスキーの山崎を、九州の蔵元から取り寄せた芋焼酎で割る、アルコールの好きな人でも飲まないような飲み方だ。
 それをあおるように飲んでいた。

 ふと、先週の休日に行った本屋での出来事を思い返していた。
 タイトルに「自殺」と「マニュアル」とあった本のことなどが浮かんで消えた。俺はその本を、背表紙を指でなぞり、買いもせず、立ち読みをすることもせずただせ表紙だけを眺めていた。読む度胸がないと言えばそれまでだが、それだけで充分だった。
 どうせ、自殺などしない。する気もなければ勇気もない。動機もない。
 そんなことより、どうやったら自分は世間に名前を残して死んでいくのか、そのことを考える方が大事だった。

 だから、保健室の白い天井を眺めるのが好きになっていた。

 そんな生活をしているのだから、クラスで俺に絡んでくる輩もいないし、体育会系の連中にも文化系の連中にも相手にされていない。こっちも絡みたいと、特に思わない。

 そんな俺でも、好きな人はいる。
 小学3年の時から想いを、特別な感情を抱いた女子がいる。
 学校一の美人だと思う。高身長で細身、艶のある黒髪が印象的な子だ。教師に褒められるような姿勢の良さ、屈託のない笑顔、少しつり上がった細い目。
 でも、彼女に好かれているかどうかはわからない。一方的に嫌悪の対象ではない、と、俺は思っている。近所に住んでいる幼なじみの子以外で、俺のことをあだ名で呼んでくれる、数少ない女子だからだ。
 彼女の所属している女子テニス部の仲間が、あまり気分の良くない形で絡んでくるが、大した返事もしていない。唯一、俺のことを気遣ってくれる子がいじめに遭っている、という噂が流れていたが、その子にかける言葉も見つからない。初恋の相手に対して、何もしない俺のことを気遣ってくれる、それだけの関係だから、いじめの原因が俺との付き合いでないことを祈るだけだ。

 うちにはわがままを言って買ってもらったCDコンポがある。
 そのコンポで聴いているのは、母親が気まぐれでくれた小遣いの中で買った、タモリの2枚の復刻アルバムと、雑誌で見かけたミートローフという名前のロッカーのCDだ。ふざけた名前ロッカーが歌っている、激しく場面展開するミュージカルのような音楽の虜になった。夢中になった。もっとも、雑誌にも「日本では評価されないロッカー」と書いてあったのだけど。タモリのCDには心から笑った。普段テレビで見せる淡々とした司会振りとは違う、麻薬のような笑いだった。
 どうやら周りは「Mr.Children」というバンドを聴いているらしかったが、俺には無関係と決め付けて聴いていない。流行りの音楽なんか聴いてたまるか。

 本屋で見つけた「60・70年代ロック」の文字が踊る文庫本を手に入れて読んでいた。図書館へ行った時、CD・カセットの貸し出しコーナーで、文庫本に「ビートルズの名盤」と書かれていた「サージェント・ペパーズ・ロンリー・クラブ・バンド」という、やたらめったら長いタイトルのCDを借りて帰った。
 家で「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を早速聴いた。
 生まれて初めて、音楽で感動した。
 アルバム全体としても良かったが、アルバムのラストに置かれた「A Day In The Life」という曲に徹底的に打ちのめされた。ジョン・レノンがアコースティックギターで歌う、変わった交通事故の新聞記事を読んだ、というだけの歌詞がどんどん膨らんでいく。決してそろった音階ではない不安感をあおるようなオーケストラが流れ、いきなりポール・マッカートニーがただの朝の光景を歌い、再びオーケストラがそれをかき消し、ジョン・レノンが新聞記事を歌い「君を夢中にさせたい」と歌いきり、不協和音のオーケストレーションが音階を駆け上り、そして、一斉に単音を立てて、すべてが終わる。
 何回も聴いた。
 何回聴いても感動する自分がいる。
 程なくして涙しているのがわかった。

 NHKのBSが見られる家だったので、気になっていた野田秀樹という人が作った舞台の中継があったのを見ることが出来た。題名は「贋作・罪と罰」。世界文学の中でも最高峰、といわれるのは知っていた、ドストエフスキーの「贋作」、ということしか情報はなかった。
 観たあと、演劇に一生を捧げてもいいかな、と思った。
 主演の大竹しのぶの迫力に圧倒された。贋作とは言え、物語に圧倒された。
 やりたいことが詰まっていた。
 次の日、顧問の女性教師に感動をまくし立てた。
 女性教師は、心なしか嬉しそうな笑みを浮かべていた。

 それから、映画紹介の文庫本に載っていた「ナンセンス喜劇の最高峰」とあった、マルクス兄弟の「我が輩はカモである」というモノクロ映画にもやられた。
 先にチャップリンの「独裁者」を見ていたし、感動もしていた。ラストの演説が道徳の教科書にあった。
 だが、同じ「独裁者による戦争喜劇」として、完全に虜になったのは、マルクス兄弟の方だった。
 何しろ、「意味がない」のだ。笑うことしか用意されていない。チャップリンのように感動させる、という気が、人の心を動かそうとする気が、まったくない。
 ただ「世界を茶化す」だけ。
 俺の好きな世界はこっちだ、と思った。

 「死」ということ。
 「人生が終わる」ということ。
 「死んだあとの自分」のこと。

 ひたすらそれを考えること。
 そして、「人の心を突き動かしたい」ということと、「死ぬことに意味はない」ということ。
 俺はそれと闘っていくのだろう。
 武器は、演劇と、文学と、意味のない笑い。
 今はそう思う。
 その武器は、虹色に見える。
 モノクロームの世界にある、玉虫色の武器。

 14歳。

 灰色の教室に未練はない。
 ただただ、死というエンディングは意味がない、だから、空虚な現在の学生生活にも意味がない。
 だから、好きなようにサイコロを転がすことにした。

 そして。
 今日も白い天井を見ながら目をつぶるために、保健室に行く。

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