サザーランド発言の捏造

 先の大戦に関しては、多くの歪曲や虚偽や偽資料が流布されている。ここで説明したいのは、人間魚雷回天についての捏造。つまり、こういう記述↓がネット上にある。 

終戦直後、マニラに飛んだ日本の軍使に、マッカーサー司令部のサザーランド参謀長が真っ先に尋ねたことは回天を搭載した潜水艦が太平洋上に何隻残っているかということであったという。4月7日の戦艦大和の沈没以来、洋上で戦う日本の艦艇はそれしかなかったからである。約10隻(実際は8隻)との返事に“それは大変だ。一刻も早く戦闘行為を停止するよう厳重な指令を出してもらわねば”と身を震わしたといわれる。
(https://www.yokaren-heiwa.jp/blog/?p=2138&doing_wp_cron=1615687761.3703310489654541015625より)

終戦直後,米軍との連絡のため,フィリピン・マニラに赴いた日本軍使に対し,マッカーサー司令部のサザーランド参謀長は,開口一番「回天を搭載し作戦中の潜水艦は何隻か。直ちに作戦を停止させよ」と命じたという。「回天」が如何に米軍に恐怖と脅威を与えていたか,を物語る証左と言えよう。
(https://www.city.kagoshima.med.or.jp/ihou/606/606-9.htmより)

 しかし、↑はどちらも事実では無いと考えられる。
 根拠のひとつは、サザーランドが回天を知っていたはずがない、ということ。
 それが人間爆弾桜花なら、沖縄戦で鹵獲され、米軍から『BAKA』というコードネームを付けられていた。だから、その情報はサザーランドも得ていた可能性はあるはずだ。
 しかし回天はそうはなっておらず、サザーランドがその情報を得ることは不可能だ。

 そして決定的なのは、『マニラに赴いた日本軍使』だ。
 終戦時、日本本国からフィリピンに派遣されたのは、陸軍中将の河辺虎四郎。そして河辺虎四郎は、その時のことを戦後に証言している。が、そこには回天については一言も無い。それ以前に、陸海軍分裂の当時の日本で、陸軍が海軍の作戦を知っているわけがない。
 では、それが河辺虎四郎でないのなら、その『マニラに赴いた日本軍使』とは、誰なのだろうか? その氏名も不明なのは、何故なのだろうか?

 だからその話は捏造と考えられるわけだが、しかし、これもまた一例に過ぎない。先の大戦に関しては、あまりに多くの歪曲や虚偽や偽資料が流布されている。何が正しいのか、もはや訳が分からないほどに。

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