歴史的見地からの改憲論(6)どうせ憲法改正は実現しないのだが

 もともと自民党は、憲法改正を目指していたはずだった。
 なのだが、それは改憲論者の支持を失わないための「やるやる詐欺」であること、今では明らかだろう。

 つまり憲法改正は、当の自民党自身ですら、やる気が無い。

 維新なら、あるいは本当にやるかもしれない。それに気がついたのか、今では左の方々も、自民より維新を敵視している様子。しかし現状、維新が政権を取るなど夢のまた夢。

 だから日本では、現実問題として憲法改正は絶対に行われない。


 なのだが、条文の改正はなされなくても解釈改憲は行われてきた。

 当初、現行憲法の九条は「たとえ自衛戦争でも戦争は一切しない。軍隊は一切保持しない」という意味とされた。
 ところがそれがなし崩し的に「専守防衛に限って自衛戦争はする。そのために軍隊の一種である自衛隊は保持する」に変わった。
 今ではそれがさらに「集団的自衛権も行使する」に変えられている。
 その自衛隊も、当初は国外に出さないはずだったのが、今ではPKOや後方支援など海外派遣されている。


 そして、そのような変更が日本の平和に何の影響も無いこと、とっくに実証済み。

 といいますか、左な人々は事あるごとに「戦争になるぞ、徴兵制になるぞ、言論の自由が無くなるぞ、日本は軍国主義になるぞ」とかなんとか騒ぎ続けてきた。

 しかし、そう言い続けて何十年、いまだにそうなっていない。いったい、いつになったら、そうなるんでしょうね?

 あるいはそれを認識したのか、現在の「九条守れ」な人々の主張は、「その危険がある」に変わっているようだ。

 なのだが、危険と言うことなら、北朝鮮の核ミサイルが何時飛んでくるか分かりゃしないはずだ。現状、アメリカの核の傘以外、それから日本を守る手段があるのか? 憲法第九条が何の役に立つ?


 つらつら思うに、日本での「憲法守れ」は、実態としては『護憲のための護憲』に過ぎなかった。もちろん当事者の主観ではなく、外部から客観視した場合には。

 それは、最初に『九条は守らなければならない』と短絡的に思い込み、後付けで理屈をでっち上げるものだった。しかもそれを絶対正義のごとく振り回す、はた迷惑なものだった。

 そしてたぶんそれは、先の大戦頃の日本で、国中みんなが戦争に狂っていったのと質的に同じ。そこに善意や正義感はあるのだが、しかし分別や常識は無く、そこが間違いの元だった。


 そんなところから、筆者的には、改憲だの護憲だの騒ぐこと自体がナンセンスだと思う。

 とどのつまり、自民党にはやる気が無い、「素晴らしい憲法第九条」には分別が無い、だ。そんな現状では、すべてが無駄。どうあろうと改憲は絶対にされないし、それ以前にまともな議論が不可能。


 と言うわけで、とりあえず憲法のあれこれは棚上げにし、まず歴史を学び直すところから始めるべきじゃ無かろうか?が、筆者的な意見。

 戦後日本の平和主義は、先の大戦に対する反省から出発したはずだった。が、日本はそこで事実誤認してしまい、その平和主義も誤った方向に進んでしまった。だから、いいかげんその誤りは正されるべきだ、ということ。冒頭で述べたようにね。

 出発点から方向を間違っていたのでは、その後の頑張りはすべて無意味、どころか有害なだけ。だから、まず出発点まで戻って全てを見直す必要がある。

 そしてそれは、まず落ち着いて分別や常識を身につけましょう、という事でもある。それが無いから、かつての日本は無謀な戦争に突き進み、惨敗していった。同様に、それが無いから今の日本でも、くだらない馬鹿騒ぎが繰り返されるのだ。


 そして、もし本気で先の大戦頃の歴史を学ぼうとするなら、まず戦史叢書から読みましょう。もしまだなら。
 そこにも誤りや歪曲はあるし、それで全てが分かるわけでは無いが、何しろ無料だ。
http://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/CrossSearch


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