歴史的見地からの改憲論(5)憲法は不断にバグフィックスとバージョンアップが重ねられなければならない。それも歴史の教訓だ。

 明治憲法下の体制には、多くの欠陥があった。しかし日本は、その欠陥を改めることは出来なかった。
 一般に、制度に欠陥があっても運用で何とかすることは可能だが、つまりは現行憲法下の日本が行ってきたような、要するに憲法の条文は変えないまま解釈を変えるという類いのやり方だが、明治憲法下の日本はそれも出来なかった。
 そしてそれが、日本が戦争にのめり込み、惨敗していく、大きな原因のひとつとなった。

 一例だが、明治憲法下の体制には、首相を選出する規定が存在しない、および首相の権力が弱いという大きな欠陥があった。当時の日本は船頭多くして船山に上るの右往左往状態だったのだが、それがその原因のひとつだった。
 その典型のひとつが小磯内閣成立時で、小磯国昭が適任とは誰一人思っていないのにそう決められるという、まさしく迷走だった。(若槻禮次郎著『明治・大正・昭和政界秘史-古風庵回顧録-』より)

 東条内閣総辞職の後、例によって重臣会議が召集された。(中略)

 それはとにかくとして、私が発言する段になって、私は前回同様、またまた宇垣大将を発議した。これに対して、これも前回同様、宇垣は陸軍の反対が強いからという異論が出た。(中略)

 この重臣会議の折、枢密院議長の原嘉道君から、重臣内閣を組織せよという論が持ち出された。(中略)しかしこれは、原は弁護士出身で、政治の内輪のことを知らないのである。内閣の組織は、まず総理大臣になる者を御指名になり、それが閣員をまとめ、上奏御裁可を得て、内閣ができるのである。いわゆる重臣会議は、だれを指名せらるべきかの御下問に奉答するもので、重臣から、自分たちが内閣を作りますからとは、奉答できるものでない。それでもちろん、原の説は問題にならなかった。

 さて出席者の意見は、後継首班には陸軍軍人がよいというのが通説であったが、しからば陸軍軍人中のだれを推すべきかについては、ほとんど見当がつかない。そこでこういうことが行われた。現役陸軍大将を任官順に調べて、それで人選を決めるというのである。そこで武官名簿か何かを繰ってみると、上席が寺内寿一だ。しかし寺内は南方の総司令官だから、彼を持ってくるわけにいかんという。その次は畑俊六だが、これも中国方面の総司令官だからいかんという。そういう風に、人物や手腕などということにお構いなしに、総理大臣を推するのか、何を推薦するのかわからんようなことをやって、結局三番目に小磯が出てきた。まだその下に大将はたくさんいるが、小磯なら朝鮮総督で、なにも手が抜けんことがないから、小磯がよかろうということになった。そして小磯が特に総理大臣として適任であると発言した人はだれもなかったと思う。それで前にも書いたように、重臣会議は別に決を採ることをしないが、とにかく小磯がよかろうということで、重臣会議は散会した。

 ところがその夜、内大臣の秘書官が私のところへきて、昼間の会議では、大命が小磯に降るような話し合いであったが、それについて同時に米内大将をも御召しになって、いっしょに政務に当たるようにとの御言葉が出るようになるらしいが、異存はないかといって、聞きにきた。これは私のところだけでなく、ほかの人のところへも行ったんだろう。それに対して私は、「自分には異議はありません。異議はありませんが、総理大臣は一人でなければならん、二人に大命が降るということでは、先年、大隈と板垣に大命が降って統一がとれず、変てこな内閣が出来て困ったことがある。ああいうことになってはいかんが、それはどうか」と念を押した。それに対して、「いやそうじゃありません。総理大臣の大命は小磯大将に降されますが、米内大将には、総理大臣を助けて、共同して内閣を作り、戦時に必要な施策をやれという御趣意だそうです」という話であった。私はそれならば結構だと答えた。

 これは私の想像だが、重臣会議が終わると、内大臣がそれを陛下に奏上するのであるが、それについて内大臣も不安を感じたんだろう。小磯もいいが、一方に米内という者も世間に信望がある。陸軍の小磯と海軍の米内とをいっしょにしてやらした方がよかろうと考えたものとみえる。それは内大臣が考えたか、だれが考えたかわからんが、とにかく夜になって話がそういう風に変わってきた。

 こうして小磯内閣は成立し、米内は副総理のような形で入閣した。しかし、直接米内から聞いたのでなく、他の人から聞いたのだが、小磯は大事なことは、ほとんど米内に相談しなかったそうである。小磯内閣が永く続かなかったから、それも大したことはなかったのであろう。

若槻禮次郎著『明治・大正・昭和政界秘史-古風庵回顧録-』より


 そして現行憲法にも、幾つもの不備や欠陥がある。それを改めないのは、過去の日本が犯した誤りを繰り返すことに他ならない。
 そしてそれは、絶対神ではない人間が行うことに完璧は有り得ない以上、一回改正して終わりでは無く、不断にバグフィックスとバージョンアップが重ねられなければならない。
 と言う話。


(なお、『木戸幸一日記』の記述は若槻禮次郎とは全く違う。読み比べてみると良いと思う)。

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