天皇は神だから戦争責任も無いのだ、と考えれば分かりやすいかもしれない。

 昭和天皇の戦争責任については、今でも議論になることがある。

 だが、それは全くのナンセンス。法的には有るわけ無い。というのは、明治憲法で天皇の政治的無責任が規定されているからだ。まったく単純な話。

 そして、それでもそれを議論したいなら、「まず明治憲法を理解してからにしましょう。話はそれからだ」となる。
 そしてそれは、現代人の明治憲法解釈ではなく、当時のそれを調べましょう、ということでもある。


 なのだがこれ、「天皇は神だから戦争責任も無い」と思えば分かりやすいかもしれない。

 稀に誤解している人も居るが、そもそも天皇は神なのだ。現人神。

 これは今も昔も同様だが、今の日本ではほとんど建前だけになっている。しかし過去の日本ではそうでは無く、特に先の大戦頃には、歴史の教科書にも記されているとおり、その神格化が過度に、それこそ常軌を逸するところまで、進められてしまった。

 そして、そのような現人神が近代国家の君主を兼ねていたのが、明治憲法下の体制だった。それは以前説明したように、そもそも歪んだ体制であり、間違っていたのだが……

 なのだがとにかく、神に対して法的または道義的責任の追及など出来るだろうか?

 もちろん、それが異教徒や共産主義者なら可能だろう。本当は天皇を神だなんて思っていない現代人にも可能だろう。しかし当時の日本人には不可能だ。

 そしてこれは、『明治憲法は、現人神である天皇を守るために、天皇の政治的無責任を規定していたのだ』という話につながっていく。


 改めてだが、昭和天皇の戦争責任を議論したいなら、明治憲法を理解してからにしましょう。および、「天皇は神であり、当時、その神格化が過度に進められていた」という事実も。
 それを怠ったままあれこれ言い立てたところで、それは無意味な徒労だ。


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