歴史的見地からの改憲論(7)原爆と無条件降伏と憲法第九条と日本再軍備

 話は前回まででお終いで、今回は雑談。

 これまで何度も説明してきたが、第二次世界大戦のアメリカの戦争目的は、当初はドイツ打倒だけだった。
 要するに、第二次世界大戦の緒戦でドイツはフランスを打倒して大勝した。が、アメリカは自身の安全保障上の理由から、ドイツのヨーロッパ支配は容認できなかった。ということ。

 ところがその後、日本がドイツと同盟する。これでアメリカは、ドイツ打倒の為には、ついでに日本も打倒しなければならなくなった。そしてアメリカは早々とそう決意する。
 ただし、アメリカにとって日本との戦争は無駄手間なので、出来れば回避したかった。それは日本も同様で、アメリカとの戦争は回避した上で、イギリス・オランダ・中国との戦争に勝利して大東亜共栄圏建設を成し遂げたいと考えていた。

 ところがそれが、やたら七面倒くさい紆余曲折の末に戦争になったこと、以前説明した通り。


 そして、ここからが今回書きたかったことだ。

 つまりアメリカは、単に日独を打倒してお終いにするつもりは無く、戦後に世界平和を実現しようと考えていた。
 すなわちそれは、日独から軍国主義的勢力を根絶し、平和国家に作り替えようというもの。
 そしてそのために、アメリカは日独に無条件降伏を強いるつもりだった。

 ちなみにだが、元駐日大使のジョセフ・C・グルーもまさしくその意思で、それはその著作『滞日十年(下)』(ちくま学芸文庫)の末尾に記されている。
 ただしグルーは「日本人はもともと好戦的な民族では無い、天皇は軍国主義の源では無い」という考えでもあり、大戦末期、これもよく知られたことだが「日本が降伏しないのは天皇制の廃絶を恐れるからだ。だから『天皇制の存続も容認する』と日本に伝え、外交的な降伏勧告で日本を無条件降伏させよう」とトルーマンに意見具申する。(なお、実はグルーは誤っていたのだが、これも以前説明した通り)。

 ところが、沖縄での日本の戦い方から、アメリカでは「日本は絶対に降伏しない。文字通りに最後の一兵まで死戦する」という意見が多数派だった。それは「昭和天皇も最後に自殺するだろう」という想像でもあった。

 そしてそれは、「日本が最後まで降伏しない以上、アメリカも最後まで戦争するしか無い。それにともなう犠牲はやむを得ない」だった。が、大きすぎる犠牲や代償は、政治的には容認できない。


 そして、本当はこれまた七面倒くさい説明をしなければならないのだが、とにかく1945年7月時点、アメリカはプルトニウム型原爆の開発に成功する。
 おそらくトルーマンは、それにより日本を無条件降伏させられるかもしれないと考え、原爆投下を決定した。

 ただし、それに先立ち、「これでは日本は無条件降伏しない」と予想はしていながらも、グルーの意見具申も盛り込んだポツダム宣言を出し、日本に降伏勧告を行った。もし日本がそれを受諾したならば、原爆投下は中止できるよう、時間的余裕を持たせた上で。
 および、原爆投下でも日本が降伏しなかった場合に備え、ソ連のご機嫌も取り、その対日参戦も要請した。
 そして結局、トルーマンの予想通り、日本は降伏せず、原爆は投下されることになる。


 実のところは、原爆投下も非常に複雑な経緯から決定されている。簡単に説明できるようなものでは無い。

 そこを一応結論だけ記しておくと、「原爆投下は不要だった」というのは間違い。ただし断定までは出来ないが、正しいのは「原爆投下は、絶対に降伏しないであろう日本を無理矢理に無条件降伏させるためであり、アメリカ軍の甚大な犠牲を回避するためだった」であり、トルーマンは明確な判断と覚悟があって決定したものと考えられる。
(もし疑問や異論がおありなら、ご自分で史料を調べて研究してみると良い。これまた何度も説明してきたが、歴史家や歴史作家の言説など全く信用できない。「ネットの真実」など、なおさら。真実に迫りたいなら自分で研究するしか無いよ)。


 そして改めてだが、それではアメリカは、何故、日本を無条件降伏させなければならなかったのだろうか?

 というと、実のところは日本に対する懲罰という思惑もあったのだが、先述のように戦後の世界平和を実現したいからだった。日本を平和国家に作り替えるために、まず日本を無条件降伏させなければならない、ということ。

 つまり、原爆が投下されたのは、ただしその理由のひとつは、ということだが、皮肉なことに平和を実現したいからだった。
 ただしトルーマンがそう考えたかは不明。筆者的にはそうは考えなかったと思う。が、国家全体として見た場合、理屈としてはそういう事になる。


 そしてとにかく、原爆投下(または原爆投下とソ連参戦)から日本は無条件降伏した。(現実に起きなかった事なので断定は不可能だが、最初の原爆投下だけで日本は無条件降伏していた可能性がある。逆に、ソ連参戦だけでは日本は絶対に降伏しなかった。これについても以前説明した通り)。

 そしてアメリカは、(実のところはアメリカ本国では無く進駐軍は、なのだが)、日本を完全に非武装化しようと思ってしまった。言わずと知れた、それが憲法第九条であり、それは『アメリカ軍が日本を防衛する』とセットの体制だった。

 ところがその後、朝鮮戦争が勃発する。そのためアメリカは、日本本土の進駐軍を朝鮮戦争に向かわせた。ところがそうなると、今度は日本本土が手薄になる。だから日本では警察予備隊が編成された。アメリカ製兵器で武装した、事実上の軍隊。

 そういうことならば、日本を非武装化しようとしようと思ったこと自体が間違いだった、ということになる。


 改めてだが、先の大戦頃の日本は、やるべきでない無謀な戦争にのめり込み、惨敗していった。そしてそれは、以前説明したように、根本的には分別や常識を失っていたからだ。

 なのだが、じゃあ、アメリカはどうだったのか?
 日本よりマシだったのは確かとしても、日本とは違う形で、分別や常識が足りなかったのではないか?
 やはりアメリカにも深慮遠謀は不足していたのでは無かろうか?

 そして筆者的には、現行憲法の第九条も、まさしくその一例だったと言えると思う。


 ただし、アメリカは朝鮮戦争勃発後に日本を再軍備させ、および日本も解釈改憲によって、その誤りを修正した。
 ここは、ついに誤りを正せなかった大戦当時の日本とは全く違い、遙かにマシだった。
 しかし民主主義および法の理念としては、正々堂々、憲法の条文を改めるべきなのであり、そうできない日本はまだまだ民主主義国として成熟していない。と、筆者的には思う。


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