「何の役にも立たない知識」が役に立つ、その瞬間が好きだ
これは、ある友人から久しぶりにきたLINEです。
その友人と私は過去、お互いに切磋琢磨してスキルを磨いていた時期があって、一緒に簿記3級の試験を受験したこともあります。
彼は資格や副業、スキルアップといった自己研鑽に余念がなく、ここ最近も精力的に活動しているようでした。
「いやー、特になんもしてない!」
と私は返します。
正確には「学び」はあったのですが、
そのとき私は、「カラスの生態」について学んでいたのです。
(もちろんそれは、言いませんでした)
今回は私がそんな、「何の役にも立たない知識」を学びつづける理由について語ってみます。
最後までよろしくお願いします。
何の役にも立たない知識
私は読書が好きです。
でも学んでいることの多くは実生活において「役に立たない知識」です。
具体的にはカラスの生態だったり、コーヒーの成分だったり、1万年前の人類の生活だったり。
学問のジャンルも適当で、あるときは哲学を学んでみたり、またあるときは歴史を学んでみたり。
最近だと言語学、論理学、地政学、行動経済学なんかも一通り読みました。
本のジャンルは一切絞らず、ただただ自分が「面白そう」とか「これ知らない世界だな」とか思ったら、問答無用で読んでみる。
そんな読書をしています。
こんな大事な時期に
「こんな大事な時期に何してんの?」
友人からはお叱りを受けそうです。
確かに30代はキャリア的に重要な時期で、そのうえ私は二児の父親です。
にも関わらず、仕事にも生活にも役立たないモノばかりを集めて。
同世代の人からしたら、意味不明な行動でしょうね。
もっと何かこう、副業とかね。
プログラミングとか、動画編集とか、そういう人的資本に繋がることを学ぶべき、なんでしょうね。
「シベリアの森林が30年後にどうなっているか」なんて、学んでも何のイミもないし。
ブリコラージュ
でも私は、この読書をやめるつもりは無いんです。
皆さんは「ブリコラージュ」という言葉を知っていますか?
フランス語で「あり合わせの道具で何かを作ること」という意味で、
『野生の思考』で知られる、文化人類学者のレヴィ・ストロース氏が提唱した言葉です。
彼はアマゾンの先住民族が、なぜか役に立たない石ころや木の枝を拾い歩くのを発見しました。
そしてそれらの「あり合わせの道具」たちが、その後に何かしらの役に立ち、民族を危機から救うのを幾度も目の当たりにし、これを「ブリコラージュ」と呼んだのです。
つまりブリコラージュとは「何の気もなしに集めたものが、いつか役に立つこと」だといえます。
私はこのブリコラージュの考え方を、読書において最も大切にしています。
「おもしろい!」で溢れた知識は
この前、息子と散歩していたら、ハシブトガラスが横切っていきました。
私はそこでふと、あのとき読んだ『カラスをだます』を思い出します。
「普通に歩くカラスと、跳ねるように歩くカラスは別の種類なんだよ!」
「え、そうなの!?それおもしろいね!」
それ以来、息子はカラスを見掛けると、
「お父さん、これどっちのカラスかなぁ?」
と会話してくれるようになりました。
テーマを問わず、子どもに「世界の新しい見方」を伝えられる。
そんなことに、私は幸せを感じるのです。
他人から見た「煮ても焼いても食えない知識」こそが、自分の生活に彩りを持たせます。
「知りたい!」に突き動かされ、「おもしろい!」で溢れた知識が、いつか自らを豊かにします。
そう信じているからこそ、私は今日も「何の役にも立たない知識」を拾い集めるのです。
まとめ
今回は、私が「役に立たない知識」を学んでいる理由について、レヴィ・ストロースの「ブリコラージュ」という考え方を軸に解説してみました。
そんな私の取り留めのない文章を読んでくださるフォロワーの皆さんには、頭が上がりませんね。
今後も自分らしく、そういった知識をどんどん仕入れていきますので、どうぞこれからもよろしくお願いします。
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最近の私が興味を持っている本を知りたい方は、コチラの記事を。
実用性の無い知識を提供し続けるマガジンも、ついでに貼っておきます。
それでは、また。
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