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炒り大豆と立春と

『あゝ…冬って毎年こんなに寒かったっけ?』

『もしかすると今朝はこの冬一番の冷え込みなんじゃないだろうか?』

それが目が覚めると真っ先に浮かんでしまう台詞で、ここのところ、朝の恒例の思考になってしまっていた。

ベッド脇で充電してあるスマートフォンはいつもキンキンに冷えている。
それを手探りで掴み、頭まですっぽりと布団の中に潜り込むと、今朝の気温をチェックする。

冬場はこの流れがほぼ毎日のことなのだが、想定していたような0°以下を示すような気温だったためしは、この冬まだ一度も無い…。
それなのに、おとといよりも昨日、昨日よりも今日、そしてきっと明日の朝になれば、今日よりももっと寒さが増したように感じてしまっているに違いない。
それくらい、身体が寒さに全く慣れない日々の繰り返しが続いていた。

『このスマホの現在の気温、本当に合っているのだろうか?』

キンキンに冷え過ぎていたせいでスマートフォンのどこかが劣化して、不具合から間違った気温を表示してしまっているだけなんじゃないだろうか?そう疑いたくなるほど日々の寒さが堪えた。

実際には、衰え、劣化していたのは自分の身体のほうだった。

子供の頃にはさほど気にもならなかった冬の寒さが、年々脅威に感じられ、年々歳を重ねるのと比例して、年々重ね着の枚数は増えていった。

布団から出るのにも決死の覚悟が要ったし、何枚にも重ね着し過ぎた服や靴下を、一枚一枚剥ぐように脱いでいく度、ブルブル…と震えた。

今度は、一枚一枚着替えの服を着重ねる度、ジワジワ…と温まってきて、やっと
『今日の寒さもなんとか乗り越えられそうだ』
そんな気持ちになる。

そんなこんなで着替えを済ませ、ようやく部屋のカーテンを開けると、2階のわたしの部屋から見える我が家の庭の片隅に、見慣れない何かが転がっているように見えた。

わたしと同様、冬の寒さに弱い我が家の庭の芝生は、この季節の寒さで冬枯れして、やや薄茶色に変色して、夏場の濃い緑の鮮やかさは留めてはいなかったが、そのくすんだ色の冬用の絨毯の上に、明らかに目を引く鮮明な"赤い何か"があった。

『風で飛んできたご近所さんの洗濯物だろうか?』

カーディガンをもう一枚肩から羽織り、自宅の1階へ向かう。
直ぐさまヒーターのスイッチを入れて点火するのを待つ間、さっきの"何か"が気に掛かって、リビングの掃き出し窓から見えるその辺りを眺めると、やっぱり間違いなくそこに何かしらが転がっているようだった。

窓を開けようかと思った時、後ろで「カチッ!」と音がしてヒーターに火が入った。
『いまここを開けたら部屋がなかなか暖まらないかも』
そう思い直して一旦台所に向かい、コーヒーメーカーにコーヒーをセットすると、機械が珈琲を淹れてくれている間に玄関の方から廻って"例の何か"を探りに行くことにした。

『洗濯物に違いない』との思い込みから、臆することなく、庭の片隅の何かに近付くと、それは想定よりも大きく、よくよく見ているとその一部が小さく上下に動いていた。
まるで生き物が呼吸をしている時のように。

さらには、スゥーッスゥーッと、明らかに風の鳴る音とは違う、微かな音も聞こえてきた。
そう…、まるで生き物が寝息を立てているかのような。

しかしながら、それは明らかに"犬"でもなければ"猫"でもなかった。
もちろん、"たぬき"でもないことも一目で分かった。
なぜならそれは、全身が毛に覆われたような類いの生き物ではなかったから。

ゆっくりとその謎の何かに近づき、こう声を掛けてみた。
「大丈夫ですか?」
そうするとその"何か"は直ぐに反応した。
そしてそれは、慌てたようにその上半身を起こすと、此方を見上げてブルブル震え出した。

そこで初めて、その謎の何かが"赤い鬼"だと気が付いた。

あまり刺激しないように…と、わたしは静かに屈んでから、もう一度さっきと同様に声を掛けてみた。
すると今度は小さく頷いた。

あどけない顔をしたその赤い鬼は、どうやらまだ幼い子供のようだった。
頭から1本角が生えてはいるが、かねがね聞かされていたのとも、自分なりに想像していたのとも違っていて、なんの恐怖感さえも感じられない。

「ここは寒いから、中へどうぞ。さっきヒーターを入れたばかりだけど、少しは温まっているはずだから」

普通なら「鬼はー!外ー!!」なんて言いながら、豆を投げ付けて、追い出すであろう存在の"鬼"を、わたしは自ら家の中に招き入れた。

子供には珈琲は早いかな?と、温かいホットチョコレートを作って差し出すと、ひと口飲んで、そのあまりの美味しさに驚かされた、といった様子で目を丸くしていた。

落ち着いたところで事情を聞くと、どうやら迷子になってうろうろとしていたら、何やら賑やかな子供の声がする家を見つけて窓から中を覗いてみると、三人の子供たちが楽しげにはしゃいでいたそうだ。
仲間に入りたいと思いつつも、声を掛けられずにいると、三人の中の一人がこちらの存在に気が付いて凍りつき、さっきまで騒がしかったその部屋は、一瞬にして静まり返ったのだという。

赤い子鬼は慌てて窓の下に身を隠すも、前日から飲まず食わずで彷徨っていたせいで、こんな時に限ってお腹がギュゥゥゥーッと大きな音を立てて鳴ってしまったらしい。

お腹を空かせた鬼が自分たちを狙っていると勘違いした子供たちは大パニックになり、丁度テーブルの上に用意されていた『豆』を鷲掴みにして
「鬼はー、そとっ!鬼はーー、そとっ!!」
と繰り返しながら、必死の形相で赤い子鬼めがけて豆を撒き散らし、攻撃してきたのだという。
堪り兼ねた赤い子鬼はその場から逃げ出して、隠れようとたまたま逃げ込んだのが我が家の庭で、疲れ切った子鬼は、そこでそのまま眠ってしまったのだという。

本日は立春で、2月4日。
そう…昨日は『節分』
なんとも最悪のタイミングで赤い子鬼は、人の家を覗いてしまったらしい。

すっかりと落ち込んでいる様子の子鬼を励まし、昨日の節分の夜御飯用にと"恵方巻き"代わりに作っておいた"キムパプ"の残りと、温かい"にゅう麺"を出してあげると、とても喜んでペロリと食べてくれた。
お出しするか少し迷ったが、これまた昨日の残りの"炒り大豆"を「食べると美味しいから」と勧めてはみたが、豆はすっかりとトラウマになっていたらしく、結局、炒り大豆だけは怯えて食べてくれなかった。

迷子ならば元居た場所に案内しなければと思い、どこから来たのか分からないのかと尋ねると、「空から」だと答えた。

『空?…鬼って空に住んでいるものだったっけ?』と不思議に思って改めて確認すると、勝手に子鬼にだとばかり思っていた彼は、どうやら"雷さん"の子供だったようで、おとといの夜、間違えて雲の上から地上に落下してしまったのだという。

『雷が落ちる』とはいうけれど、本来なら雷を落とす立場の存在が自ら落ちて来てしまったとは。

そう言われると、おとといの夜は激しい雨が降っていて、近くで大きな雷の落ちる音が聞こえたっけ…?

これは、鬼を山へ帰すのと違って大仕事になりそうだぞ…なんて考えつつも、ずっと赤い彼を眺め続けていたせいか、自然と身体がホカホカと暖まっている。
出会ったのが"青い色"のタイプじゃなくてよかった。

午後からは、彼を雲へ戻す方法でも考えながら、おやつにお気に入りのレシピで、美味しいマドレーヌでも焼いてあげようか…。

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