幽霊の正体(※妄想です)

 あらかじめ言っておくが根拠はない。タイトルにもある通り妄想にすぎない。どうかそこはご容赦願いたい。そのうえで結論から言わせていただくと、幽霊の正体は(夢や幻覚や誤認などを除けば)『情報』なのではないかと、ずいぶん前から私は考えている。

 もう少し詳しく言わせてもらうと、『幽霊の正体は(不明な機序によって)場や物に転写された誰かの知覚情報や感情や意思が、(不明な機序によって)読み取られて脳内で再生されたもの』ということになる。
(不明な機序によって)が二回も出てくるため説得力はまったくない。しかし改めて考えてみれば、仕組みはわからないけど私たちが日常的に利用している技術なんてものは実際、いくらでもあるではないか。

 そのうちの一グループに『記録媒体』がある。
 私はフラッシュメモリの仕組みもSDカードの仕組みも知らないがなんとか使えてはいる。
 だがもし明治時代の人にDVDを見せて、「この円盤には映画が記録されているんですよ~」と言っても信じないだろうし、説明するのは困難だろう。
 前時代にはなかった『特定の機能をはたすもの』が現代には存在し、実際に使用可能でもあるので、私はなんとなく受け入れられているだけだ。


 ところで最近、(私の好きな)カラパイアさんにこういう記事が掲載された。
ハイドロゲルで作ったシンプルな「脳」がゲームのプレイを学習することを実証 – カラパイア (karapaia.com)

 記事内にはこうある。「ごく基本的な物質でも、人間の脳のような学習ができる」

 物質に記憶が「居眠りをしていて、ほっぺに袖や机のアトがつくような(記事より引用)」仕組みでもって刻まれることは、実際にあるというのだ。
 ならば、鉱物や建材といった固くて変化に乏しい物質にも情報を記録させることができるなんらかのメカニズムだって、もしかしたらあるかもしれないではないか。


 仮に、『日常的に目にするごくありふれた物質にも情報が転写され保持されることはある』ということを前提とすれば、世にいう心霊現象のほぼ全てはきれいに説明がつく。

「殺人事件が起きた現場で目撃された血まみれの幽霊の正体は、その場に転写された加害者の視覚情報が読み取られ脳内で再生されたイメージである」
「不可解にも自殺者が絶えない場所には、歴代自殺者の死にたいという強い意思と感情が転写されている」
「霊に取り憑かれたかのごとく別人のように変貌してしまうのは、別人(故人とは限らない)の感情や記憶や意思が物質から当人の精神へと逆転写され、精神状態を書き換えられたからだ」
 といった具合に。


 そして(これも当然妄想なのだが)、物質への情報の転写が成立するにはいくつかの条件があるのではないかと思う。でなければ、この世のほとんどの場所には誰かの知覚情報や感情や意思がすでにおびただしく転写されてしまっていて、(今日の晩ごはんおいしかったな)とか、(さっきの子すげぇかわいかったな)とかそういう、しょうもない情報を何かの拍子で読み取ってしまって困惑するというような現象がもっと頻繁に確認されていてもいいはずだからだ。

 条件の第一は、ある一定以上の情緒の強さが必要だという点かもしれない。それこそ死の瞬間だとか、誰かを殺める瞬間だとかにしか発生し得ないような、おそろしく強い情緒があって初めて情報の転写が可能になるのではないだろうか。

 第二には、物質に情報を転写したり転写されている情報を読み取ったりするには、ある種の特殊能力(いわゆる霊感もしくは霊能力、またはサイコメトリー能力)が必要なのではないかという可能性が考えられる。
 この地上ではこれまで、それこそ星の数ほど多くの人や動物が命を落としてきた。誰かや何かが死ぬたびにその瞬間の情景や音や感情や意思がその場所や近くにあった物品に転写されまくっていたら、この世はとっくに幽霊だらけになってしまっているはずだからだ。

 第三に考えられる条件は『反復』である。
 たとえば学習のように、ある程度以上の集中力が必要とされる作業をする場合、ふだん自分が多くの時間をすごしている自室で行うよりも、図書館の自習室などで行うほうが、はるかにはかどる。
 これはただ単に集中力を分散させてしまうような『余計なもの』が多いか少ないかの違いによるものかもしれない。かもしれないというかだいたいはそういった理由によるものだろう。
 しかし、どうしてかはわからないがなんとなく楽しいとか、どうも気が散って仕方がないとか、不安になるとか、恐ろしく感じる場所というのは存在する。
 先述の自室と自習室の違いを例にとると、自室ではついついだらけてしまうのは、ふだんよく自室でだらけている自分自身の気分が実は繰り返しその場に転写されていて、知らず知らずのうちにその気分を読み取ってしまう(別の言い方をすれば過去の自分に憑依されてしまう)からなのかもしれないということだ。
 対して図書館の自習室などには、過去の利用者たちの集中して作業に専念しているときの精神状態が繰り返し転写されているので、少しは自分もその影響を受けているのかもしれない。

 そしてもしかしたらこの、反復によって『気分』が転写されたり、自分や誰かの『気分』が逆転写されたりといった現象に関してだけは(ほんとにそういった現象があるとするならば)、先述したような霊感などの特別な能力は必要とされないのかもしれない。
 場の雰囲気になんとなく気分が左右されるということは誰もが経験していることだ。その理由はコレかもしれない。


 というわけで、これまでなんの根拠もない妄想文を好き勝手に書かせていただいてきましたが、いつかは科学的にこのような仕組みが発見され、誰もが利用できるようになる未来が来るのかもしれません。もしかしたら。

 いつからかわかりませんが、夏といえば心霊でしょ! といった風潮がありますので、それに乗じてこういった記事をあげさせていただきました。最後まで読んでくださってありがとうございます。
 しつこいようですが根拠はありません。ですので、信じるかどうかはあな(パクリなので以下略)。

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