見出し画像

毒親と、母性神話と、人間じゃろうが

「毒親」という言葉がなかった昔、私は自分の母親の毒性を薄々感じ始めていた。

でも、自分の母親に対して親としての欠陥を冷静に認めるようになるまでにはかなりの時間を要した。


この世に生まれた時から知らず知らずのうちに親の価値観や教育の色に染まり、ずっと信じてきた自分の根底の価値観が揺らいでいく事は、自分の精神が崩壊する事にも繋がる。


家族や自分の何かが壊れていくというのは、言い表せないくらい精神的に辛い。


考え方も排他的になり孤独にもなりやすいから、余計に精神的に不安定で脆くなる。


病まない方が難しいと思う。


「毒親」に育てられたとカミングアウトする人たちが目立って増えてきたここ数年

「親ガチャ」なんて言葉も広く使われ。

今まで無自覚だったけれども、自覚してしまったという人もいるだろう。


毒親や親ガチャがよく言われるようになってきてふと、思ったことがある。


親がまともだった人の言う「親孝行」って、そもそも地球と火星くらい別世界の話だから分かり合えないのは仕方ないのだけれども。


自覚している毒親育ちと、無自覚な毒親育ちで


洗脳されたままの進行形か、過去形か

の違いだけで、案外呪縛に苦しんでいる人はかなりいるんじゃないだろうか。


「完全なるクズ」みたいな毒親はきっとそんなに多くなくて


なかなか曖昧な「グレーゾーンの毒親」も多いんではなかろうか。


毒親だとしても子供が無自覚で表面化していないのは「知らぬが仏」みたいなもので。


こうして一般的に言葉が広まってくると、ライトな毒親からディープな毒親まで境界線がカオスにもなる。


深刻すぎてライトに言えない、親から離れられない、認められない、愛情と憎しみとの狭間で苦しんでいる人の怒りの矛先が、悲しい事件に繋がってしまうのかもしれない。


生真面目な人ほど「親を否定してはいけない」の正論との間で悩んでしまうし、

洗脳されきれない分自身で深く抱えてしまったりもするだろう。


小さな頃から社会で生きやすいようにまっとうな教育を受けている子にはスタート時点で叶わないという事に、大人になってから本人が気づいても。

リカバリーするための苦労は多いし、幼少期の努力より大人になってからの努力は環境的なハードルも高くなる。


大人になってから、自分の家庭の歪んだ教育に気づいてしまったら、それはそれで絶望する辛さが伴う。


気づかないで無自覚なままだとしても、その教え自体がちょっと反社会的な価値観だったりするとどっちにしても社会に適応しきれず生きづらさは伴う。


そして、こんなに毒親や親ガチャという言葉や概念が広まっているのは、「母性神話」の反動ではないだろうか。


母性って、だいたいの人間が生まれつき備わっているものだけど

お母さんは聖人君子じゃない。いつもいつでも人として正しい女性でいられるわけでもないのだ。


きっと、結婚して、子供を産んでから「幸せじゃねえ」って密かに自覚してしまって、でも認められなくて、辛くて、逃げたくて、色々しんどい現実があって、頼る人もあんまりいなくて、何かに逃避してしまう人も、沢山いるのだろうと思う。


だからといって自分の産んだ子供への責任を軽く考えればいい、逃げればいいという単純な事でもないけれど。

教育って一生の問題だから、親の責任は非常に大きい。


毒親育ちはどちらにしても生き辛い。

毒親地獄から脱出するには

物理的にも心理的にも時間的にも、確実に距離を置かないと

健全な視点を取り戻す事はなかなか出来ない。

そろそろ「母性神話」ってやめた方がいいんじゃないかと思う今日この頃です。


必要以上に母性や何かや誰かに「神」を求めてしまうと、そう生きられない人間としての弱さや過ちは「毒」と認定されて排除されてしまうのかもしれない


そんなに常に強く、正しく、清くいられる事ばっかりではないのだよね。


人間だもの。


みんな、人間じゃろうが。


自分も、他人も、親も、子も。「神話」から解放されて、もう少し楽に生きられますように。

排他的な聖人よりも、受容的な鬼の方が、なんか優しい気がします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?