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ペットロスを経て。。。

愛犬「ポポ」を亡くし20年以上経つが、小動物のチンチラと暮らし始めてから、なぜだか時々、無性にポポに会いたくなる。それは、淋しいというより、思慕の念が強い。ちなみに、ポポの子である「ジュン」とも20年以上前にお別れしているのだが、申し訳ないことに、いつも思い出すのは、ポポである。

20代半ばで、ポポとのお別れを経験した。当然ペットロスになったのだが、進学を契機に長らく離れて暮らしていたため、強烈なペットロスにならずに済んだと思う。

しかしここ数年、亡き愛犬「ポポ」への思いが溢れ、涙が止まらなくなることが増えた。最近は、ペットロスに関わるため、心が揺れているのだと思うが、ペットロスを勉強する前から急に思い出すようになったのが不思議だ。

ポポに会いたくなると、必ず思い出すシーンがある。それは、小学生の私がポポと縁側に並んで座り(ポポも後ろ足を折りたたんで、縁側に座っていた)私が、ポポの肩に手をまわしている姿。私たちは、いつも縁側に座って、くっついていた。それも毎日、結構な時間ずっと一緒にいたと思う。

このシーンを思い出すとき、ガッチリとしたポポの骨格や毛触りも、結構リアルに思い出される。それは、本当の意味で、いつでも会えるようになったということなのか。

心理学の勉強をして「安全基地」という概念を知った。親や友人との関係は悪くなかったと思うが、どんな状況においても、文句ひとつ言わず、ただ黙って受け入れてくれる、そばに寄り添ってくれる存在が、ポポだった。今、一緒に暮らしているチンチラは守るべき存在であり、夫や、両親は、「安全基地」であるがお互い支えあう存在だ。

文章を書いて気づいたこと。

私の場合、ペットロスが長期熟成感された⁈感覚だが、それほど時間をかけなくても、グリーフワークにより、大切なものを再び「安全基地」と感じる、再認識できるなら、この先に待っている、あらゆるお別れも怖くないように思う。

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