【折々のギフト 令和6年4月号】カタログギフトの歩み (2000年代)
1980年代、カタログギフトはアナログな仕組みでスタートした。
百貨店は独自にカタログを作成し、お客様がカタログを購入して手渡し又は郵送で先様にお渡しする。先様は商品を選び、ハガキで申し込みをする。
ハガキは売場に戻され、商品が配送されるというシンプルな仕組みだった。経費といえばカタログ制作費と、商品の仕入れ代金、及び郵税や配送費といったもので、梱包などの経費は売場の固定費で済んだ。
90年代に入り数量が増えるにつれて、売場での作業を外部委託することとなった。
百貨店は販売に徹し、その他の作業はロジスティックスという概念を導入した。
同じころ、カタログギフトを専業とする制作会社が出現した。
カタログギフトは、昔も今も商品が選ばれてから発注することで在庫を持たず商売が出来るのでキャッシュフローが良く、また商品のお届けにも2週間近くのインターバルが持てることが強みだ。
制作会社はこれを一貫して行うので、商品の選択と販売ルートが確立すればロジとしての強みが発揮される優良なビジネスモデルである。
従って、百貨店と組むことによって大きな飛躍を遂げた。
2000年問題もひとつの区切りとなり、大きな飛躍を遂げた。
商売の中にITという概念が必須となり、こぞってデジタルのシステム構築が行われた。
百貨店もコンビニや量販店に後れをとっていたが、MD(商品)と顧客の管理システムが導入された。特に食品とアパレルは業界も大きく対応も素早かった。リビング系の商品は特質やアイテム数が多く、この波には立ち遅れた。しかしながら、カタログギフトに関しては仕組みが単純だったので、商流から物流にかけてのデジタルなシステム化が導入出来た。
カタログギフト制作会社が大きく飛躍したのはこの時期だった。
百貨店がギフト政策を打ち出したのも2000年代である。
複数の百貨店が相乗りして、中元・歳暮のカタログ、商流、物流の集約化とシステム統合が行われた。規模が大きく、各百貨店の仕組みはほぼ変わらなかった。
一方、年間ギフトは様々な対応が求められ、統一できるのはカタログギフトだけだった。
しかし、集約するにはギフト制作会社との協業が最適とされた。百貨店としての課題は、商品の価値と価格のバランスであり、それによって協業するカタログギフト制作会社が分かれた。
カタログギフトの飛躍したもう一つの要因が『牛肉』だった。
80年代、カタログの商品構成は8割がリビング系で、2割が食品だった。食品は缶詰や菓子類が多く、生物はギフトの習慣にも、配送の不安からも掲載されることはなかった。
その常識を覆したのが『牛肉』だった。牛肉は高級感や贅沢感もあり、商品を選ぶ側には絶好の選択肢だった。精肉工場から、冷凍便やクール便で出荷できるのも物流の進化であり、システムで直接指示できるのもITの進歩である。
どんなギフトの名目(用途)であっても、送り主に知られずにセレクトできることに需要が拡大した。また価値と価格の面でも優位性が保たれた。
『牛肉』をはじめ鮮魚やフルーツなど、温度管理の技術や物流の進化で非食品のブランドよりも食品そのものがブランド化された時代が訪れた。
アナログからデジタルに変遷する時代にカタログギフトは益々進化するのである。
次回、贈り物相談室はギフトカタログの歩み2010年代を振り返ります。
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