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つぐない
子供が生まれるという知らせが私に届いたのは、ちょうど出張先で会議をしているときである。
予定していたよりも、1日早い出産であった。
私は実のところ、心の奥底でまいったな、と思った。
今日出張から戻り明日出産に立ち会う。そういう予定を立てていたのだが、そう何事も予定通りには行かないらしい。
一応、事前に周りにはそろそろだということは伝えてあったから、事情を説明し何とか途中で会議を抜けだすことができた。
大慌てで新幹線に乗り込み東京の病院へと向かう。私はひたすらスマートフォンと窓の外を交互に見つめていた。傍から見ればさぞかし怪しい人物に見えたことだろう。
東京駅からタクシーで病院へ、そして到着するやいなやそのまま受付へと走りこんだ。看護師に自分のことを伝える。看護師はすこしだけ気の毒そうな笑顔でいった。
「ついさきほど無事に出産されましたよ。」
間に合わなかった無念さと無事に生まれたことへの安堵でそのまま倒れそうになるのを抑え、待合室の椅子にどさっと座り込んだ。
結局何もできなかったなぁ、としみじみ思った。まぁ、そもそも出産のとき、男ができることなど何もないのだが。しかしこの先、一生この件で小言を言われるのかと思うと少しだけ気が重くなった。
しばらくして妻と面会の許可が下りたので病室に行く。子供はいま別室で安置されているとのことだった。
病室に入り、私は妻の顔を見た。穏やかな顔ではあったが、いつもより疲労の色が濃いように感じる。出産での疲れがでているのだろう。
「ごめん...間に合わなくて。」
「心細かった。」
「...ほんとごめん。でも、無事でよかった。」
「うん。」
私は妻の手をにぎり、じっと時間が流れるのを待つ。
頭の片隅で、これなら会議を抜け出す必要もなかったかもしれない、という考えが頭をよぎった。
どれぐらいそうしていいただろうか。看護師から赤ちゃんをこれから連れてくる旨の連絡を受けた。
「もうすぐ連れてきますからねー。」
そう笑顔で伝えられた。
私は妻に尋ねた。
「男の子、女の子?」
「見てのお楽しみよ。」
彼女はそういって笑った。
私は、わかったよ、と笑いながら期待に胸を躍らせていた。夢にまで見た、というと少し大げさだろうか。しかし何か月もこの日を待ったのである。早く子供の顔が見たかった。
すると、廊下の方から赤ん坊の声が聞こえて来た。妻の表情が変わる。
「来たわ。」
急に緊張してきた。別に緊張する必要は全くないはずなのだが、いつの間にか自分の手を固く握りしめていた。
「はーい、お待たせしましたー!赤ちゃんですよー。」と明るい声で看護師が扉を開けた。
そこには-。
ピピピピピピピピピ。
目覚ましが鳴り響く。私は重たい体を引きずるようにして目覚ましを止める。カーテンを開けると嫌でも部屋の汚さが目に入ってきた。全く、気が滅入る。私はカーテンを閉じた。
仕事に行かねばならない。私は一人孤独に部屋を出た。誰もいない部屋を振り返り、そのまま扉を閉じた。
「うわああああぁあぁ!」
私は病室で一人、大きな叫び声をあげた。看護師が持っていた、抱えていたそれは、悪魔のような顔をした化け物だった。肌は土気色で、乾ききった地面のようにひび割れていた。顔は干からびた骸骨に皮を貼り付けたようで、目のあるべき所にはただただ空洞が広がるばかり、口はアルファベットのSのように歪んでいて、あるはずのない歯が生えていた。
私は思わず看護師から2,3歩後ろに下がった。
「かわいいでしょう?」
看護師は笑顔だった。妻も笑顔であった。
私は、わけが分からなかった。「ほら、お父さんも抱いてあげてください。」と看護師が私にそれを渡そうとしてきた。
私はただただ呆然としていた。抱きかかえようにも体が言うことを聞かなかった。
私はそれを見た。それも私を見た。
それが、私を見て、にやっと笑ったような気がした。
私は思わずその場から走り出した。
逃げ出したかった。とにかくその場から離れたかった。
一刻も早く。
それ以来、私は妻と会っていない。
慰謝料と子供の養育費を払うともうほとんど自分で使える金は残らなかった。
いつも通り菓子パンで昼を済ませる。いつも通りの仕事。いつも通りの日常。働いて寝るだけの繰り返し。
どうしてこうなってしまったのだろうか。
頭の中では常に「なぜ?」という問いが流れている。そしてそのたびに周りにいた看護師たち、妻たちの幸せそうな顔とあの恐ろしい顔が浮かぶ。呼吸が乱れる。体から汗が吹き出る。幻影を振り払うように私は頭を振った。
あの日自分は、自分たちは幸せになるはずだったのに。
どうして、あそこにいたのは天使ではなく、悪魔だったのだろうか。
どうして。
どうして。
どうして。
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