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旅のいく先

 そうだ、京都へいこう。

 そんな思い付きに身を任せて旅に出ることにした。
 京都にいく。それ以外は特に予定も目的もなかった。ただの突発的な思いつきである。
 
 せめてゴールは決めておこう。
 私は少し考えた。頭に「伏見寺」という単語が浮かんだ。
 よし、それでいこう。
 私はなんの下調べもせず電車へと飛び乗った。

 ここから京都までどれくらいかかるのか、そもそもこの電車で京都にたどり着けるのか。それすら分からない。京都は西にある。だからとりあえず西に行けばいいのであろう。それだけを思って私は電車に揺られた。

 電車に揺られてどれくらいたっただろうか。しばらくして電車が終点に着いた。聞いたこともない駅だった。私は西へ行く電車を探した。駅の案内板を見ると目的の方角に行くには3つ前の駅で乗り換えをしなければいけなかったらしい。次の折り返し電車が来る時間を見る。どうやら、あと1時間は待たねばならないらしい。
 私は外の景色を眺めて時間をつぶすことにした。けれど周りは田んぼだらけで特に目を惹かれるようなものはなかった。自然が豊かだといえば聞こえはいいが、見慣れてしまえばただの田んぼである。元々田舎出身の自分には見慣れた光景だ。私はただぼんやりと行き交う車を眺めていた。
 
 そうこうしているうちに次の電車が来た。私は乗り換えの電車を間違えないように細心の注意を払わねばならなかった。こういうことは生来苦手である。初めての場所となればなおさらだ。乗り換えがある駅は先ほどの終点と比較して駅も立派で広かった。気づけば腹も減っていた。コンビニですませるのも味気ないから近くで見つけた駅弁を食べることにした。弁当一つで千円。手痛い出費だ。どうして駅弁はこんなに高いのだろうか。私は不満をぶつけるようにして弁当を食べた。
 
 食べ終わった後、私は駅にある路線図を見て、次に乗るべき電車を見定める。まだ京都へはたどり着かないらしい。私はふと本当に京都にたどり着けるのか不安になった。しかしここで引き返すわけには行かない。私はいくつかの路線から一番西へいけそうなものを選びえいやと飛び乗った。ここから先に行けばまたきっと何かがあるだろう。間違いなく西へは向かっている。それだけが私の支えだった。電車で流れゆく景色を見ながら、人生もそんなものかもしれない、と少しそれらしいことを思った。

 しばらくすると電車のアナウンスが聞こえた。どうやら次の駅を乗り換えると京都に向かう電車があるようだ。座りっぱなしで腰が痛い。一時はどうなることかと思ったが、やってみれば意外となんとかなるものだ。別に大したことをしたわけでもないのだが、少しだけ自信のようなものが自分の中に芽生えた気がした。
 
 今日はもう遅いので、一度ここで宿をとることにした。幸いどこにでもビジネスホテルというのはあるもので、なんとかそこに泊まることができた。私は部屋のユニットバスで汗を流して、よく見かける備え付きの浴衣のような者に着替えてから固めのベッドで横になった。明日はとうとう伏見寺だ。それがいったい何なのか、何を祭っているのかも知らない。しかし行くことに価値があるのだ。そこにたどり着けば-。
 
 いずれにしろ、行くべき方向があれば意外と人は動けるものだ。私は目を閉じて朝が来るのを待った。

 朝起きて、フロントにカギを返し、早速お目当ての電車に乗る。時間を調べていなかったけれどうまい具合に電車が来た。今日は運がいいかもしれない。もう間もなく目的地へとつく。電車に乗っていると自分が全く動いていないのに目的地へと近づいているという事実に、私は今更ながら不思議な感慨を覚えた。
 
 そうこうしているうちに京都駅についた。さすが京都だけあって行きかう人が多い。建物にも東京にはない趣があるように感じられた。さて伏見寺というのは一体どこにあるのだろうか。私は駅にある観光案内を見た。しかしどこにも伏見寺という名前はない。おや?と思いコンビニへと向かう。そこにあった京都観光ガイドブックを手に取る。しかしそこにも載っていない。まさか...。嫌な予感が脳裏をかすめる。私は京都ガイドブックの隣にある全国ガイドブックを開いた。果たしてそこに伏見寺という名前はあった。それはどうやら金沢にあるらしい。私は人知れず肩を落とした。
 
 どうやら、私はまだ死ねないらしい。

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