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『タコピーの原罪』感想文

こんばんは🌙

昨年の10月以来5か月ぶり、新年初noteとなりました。お変わりありませんか。

ツイッターは毎日つぶやいていますが、noteは空白を埋めなければという気持ちが働いて、少し熱意とハードルが高くなり、なかなか書けていないです(;^ω^)

今回私がnoteを書いているのは、タイトルの通り最近読んですごくよかった『タコピーの原罪』の感想を語るためです。

感想を書く上でどうしてもネタバレに触れなければならないので、ツイッターではなくnoteにしました。(ネタバレ注意!!)

高尚な文章ではなく、ツイートの整理・補足という感じなので気楽に読んでいただければ嬉しいです。


『タコピーの原罪』が描く「ハッピー」とは

最終話でタコピーは「おはなしがハッピーをうむ」これは「いちばん大切なこと」だと語っています。

タコピーはできなくてもわからなくても必ず言葉にしていました。しずかちゃんも「なにもしてくれないのに喋ってばっか」と言っています。

タコピーにとっては話すこと自体が大切で、ハッピー道具は話す手助けをする手段に過ぎないのだと思いました。

そのため「ハッピー道具は人に渡してはいけない」という掟があり、チャッピーを失くして道具に頼り始めたしずかちゃんはどんどん不幸の道を進んだのではないかと考えます。

『タコピーの原罪』において、タコピーが最後の力を使うまでの話は「おはなしがなくなったことによって生まれた最悪の世界線」だと解釈しています。

東君が言っていた「兄貴と喧嘩でもしてみろ」という言葉も「話し合い」によって幸せが開けることを意味しているのだと思います。

喧嘩はときに暴力もあるかもしれませんが、基本的にはことばで感情をぶつけ合うことです。黙って殴り合うことはないはずです。

しかし、ここで私の中で一つ疑問ができました。

「しずかちゃんと東君はどうしてタコピーが最後の力を使った後、話さなくなったのか」

私の結論は「しずかちゃんと東君は話しても幸せになれないから」です。

しずかちゃんへの同情から話しかけようと思った気持ち。しずかちゃんに頼られて自分の存在意義を見つけた東君。

一見よさそうに見え、私もその感情をまるごと否定しようとは思いませんが、憐憫の情、依存という感情に基本的に幸せはないのです。

学校教育では「みんなと仲よくしよう」「一人でいることは悪だ」という風潮がありますが、まりなちゃんと東君が付き合い、再びしずかちゃんと出会ったときのように関わってはいけない、その二人が関わることで大きな不幸を生んでしまうこともあると思います。

それなら「関わらない」という選択肢をとるのがお互いにとっての「幸せ」だと伝えたかったのかもしれません。

疑問といえば、もう一つ。しずかちゃんのお父さんの子供が誘拐された新聞記事。

あれはしずかちゃんがやったことなのか、話し合いを避けたことによるバタフライエフェクトか、あるいは偶然か。

物語(作られたもの)であることを考えて、偶然は違うとして、私はバタフライエフェクト説だと思っています。

しずかちゃんの精神状態ならしずかちゃんがやった可能性もありますが、気になるのはしずかちゃんがお父さん訪ねたとき、お父さんはしずかちゃんを自分の娘として迎え入れなかったことです。

もしお父さんがしずかちゃんと話せていたらハッピーエンドにしろバッドエンドにしろ何かしら起こっていたと思います。しかし、物語は始まりませんでした。

お父さんにもしずかちゃん以外に話し合いができなかった相手がいるのではないか。または見ず知らずの第三者が同じように話し合いできなくて幸せになれなかった矛先が向いたのか。

あの新聞記事はそんな不幸の連鎖の暗示ではないかと思っています。

私が考える作品の魅力

少年ジャンプ+のインタビュー記事を読んでいたときに、前に著者の他の作品も読んでいることに気づきました。それが「キスしたい男」という作品でした。(これも面白かったのでよかったら)
2作品を読んだときに感じた魅力というのが、「登場人物を役割で縛られた一方向のみで描かない」ということ。

ヒーローものには悪役というものがあり、少女漫画にも黒髪ボブは厄介などの役割分担がありますが、『タコピーの原罪』にはそういう役割分担がありません。いちばん多く描かれているのはしずかちゃんだと思いますが、まりなちゃんにも東君にも同じくらいの物語があり、焦点が当たっています。

わかりやすい悪がありません。それが話を複雑にしていますが、私はそういう考えさせられる作品が好きです。

いいと思っていた人にもよくない一面がある。人間だから間違えることもある。その人間臭さに完璧でなくてもいいんだと救われます。

最終回では家庭環境は解決していないし、平和になったかといえばきっと違う。それでも相手を理解しようと努め、その都度話し合って最善の「ハッピー」を模索していく姿勢がみえます。

言葉を生み出し、発展させて、会話をするという行為は、人間にしかできないことです。タコピーは人間の言葉を話せましたが、語尾の「ピ」についていろいろ言われたり、どくだみの花でほかの人には見えないようにしていて、人間とは一線を画している感じがしました。(どくだみの花言葉調べたけどタコピーにピッタリだった…)
だからタコピーはいなくなったのかもしれません。

私は言葉が好きです。簡潔に理由をいえば、何にもない。そして何でもあるからです。
人間にしか扱えないこの空虚さを、完美さを描いているのが心惹かれる部分であり、素敵だなと思いました。

あとがき

スマホにあるメモなどを見ながら書きたかったので、この文章はパソコンで書きました。(最後の見直しはスマホ)

タコピーの原罪がすぐに変換されませんでしたが、ctrlの恩恵に肖れることと、サムネの画像をお借りするときに見やすいのがいいですね。(スマホのやり方わかってないだけかも)

『タコピーの原罪』を最初に読んだきっかけはTwitterで考察のツイートが流れてきたことでした。
確か東君のめがねに関する考察だったと思います。
最終回は特にTwitterでのネタバレにものすごく警戒していました。見なければいい話ではあるんですが、習慣化しているとなかなか難しいんですよね。

最初は偏った見方をしていましたが、読み進めるうちにしずかちゃんとまりなちゃんはどこか似ていて重なり合っているところがいいなと思いました。目を離すと溶け合ってしまうような危うさがあります。
東君は目がハートになるところが圧倒的に好きでした。
そう思うと最悪な世界線のほうが印象に残る作品だったなと思います。

作品の感想文、考察(?)を長文で書くのが、おそらく大学以来なので、感覚が取り戻せていないというか、まだ書いていないこともある気がするので、もし追記が必要ならまた書こうと思います。

noteも気づけば1年経っていました。時の速さを実感するとともに、自分が考えて言葉にした文章の蓄積があることに喜びを感じます。

これからもよろしくお願いします。

最後まで読んでくださって本当にありがとうございました(*- -)

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