「③ 地下足袋と下駄 _植木屋の挑戦、あれから15年」

前回の続きの
GREEN SPACEというものがある種のブランドになるような
ブランディングというのはいったいどうしていくのがいいのかを
考えはじめたってところからです。

と言いつつ大げさなものではなく
はっきり言ってこの業界はありがたいことに
そこそこのブルーオーシャンなので
ちょっと頑張ったり人と違うことをすれば
ありがたいことに業界内ではすぐに注目してもらえます。

ただクライアントや建築家やデザイナーという方から
依頼をいただく、依頼をいただくことができなくても
常に名前があがるにはどうしたらいいのか。

もちろんいい仕事をすることがなによりの大前提なんですが
仕事がない → いい仕事をさせてもらえる
までのこの「→」の部分がいったい何なのか?
そこをしっかり考え続けないと
あそこはいい仕事をなぜかいっぱい受注してる
みたいな感じになって
いつまでたっても
「仕事がない」とか「いい仕事がない」とか「安定しない」ような
状況から抜け出すことはできないのかなと思います。
当たり前だけど運がよくていい仕事が続くことはありません。

で、いろいろと
今のGREEN SPACEをつくっていくために
やってきたのですが
最初のわかりやすいところからいくと
植木屋さんらしい服装を意識しました。
関西の植木屋さんは当時は
いわゆるブルーカラーの作業着が標準的で
ちょっとガーデニングっぽいことをしてる人は
ペインターパンツやジーンズなどを
作業着にしてるって感じでした。

関東の庭師は乗馬ズボンに脚絆、手甲に腹掛に鯉口シャツみたいな
いわゆるジャパンスタイルで
僕らの地元ではそれはどちらかというと
お祭りのカッコ。
でも僕らはそちらに近づけました。
庭師ファッションのコスプレをしてる感じです。
最初は近所ではあいつらは祭りのカッコで仕事をしてるやん。
クスって感じでした。
でも地元を離れると
コスプレなだけにいろんな知らない方から
庭師さーんと声をかけてもらえました。
関西ではほぼそんなカッコしてる人なんていないのに
たぶんテレビとか映画にでてくる庭師さんがそんなカッコだからでしょう。
それが一般の人の感覚です。

あと東京のある庭師さんの影響で
僕は数年間一年中ずっと下駄をはいてました。
暑い日も寒い日もかなりの距離を歩くときも。
下駄はすり減ったら買い換えないといけないですし
鼻緒をすげ替えてくれる下駄屋さんにわざわざ行くのも
結構めんどうですし、靴よりも交換の頻度が早くて
(だいたいもっと三ヶ月くらいだったイメージです)
当時のお小遣いの大部分が下駄代に消えていました。
仕事のときは地下足袋、それ以外は下駄。
ズボンはいつも乗馬ズボン。
どこにいくのもそのスタイルで数年過ごすと
そこそこにそのことを知ってくれる人が増えてきました。
へんな植木屋がいるって(汗)

いろんな人から服装のことや下駄のことを聞かれるのは
自分的にはものすごく恥ずかしくて
あんまりうれしくなかったのですが
そこはなんとか興味をもっていただくことで
仕事につながると思って頑張ったつもりです。

そう、じぶんのブランディングなんてものを
じぶんでするなんてことは俯瞰してみたら
すごく恥ずかしいなと思う瞬間がたくさんあるし
また意地悪な人はそのこと直接言ってくる人もいました。

次回はいろんな人と会うにはという話を。


目次 前編
壱_信じることができますか?
弐_庭いりませんか?
参_地下足袋と下駄
四_どこでもプレゼン
伍_なにを伝えたいのか
六_植木屋的助け合い
七_いいって何なのか?
後編へ


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