「⑪ ニューウェーブ _植木屋の挑戦、あれから15年」

30歳で仕事のやり方を変えて
3年が過ぎたくらいのときに
少しずつですが
じぶんたちのつくった庭をまとめたもの
かっこよくいえばポートフォリオ
みたいなものがある程度の形となってきました。
(と、そのときは思ってました。。。)

ちょうどそのくらいの時期に
雑誌庭でニューウェーブという
30代くらいの若手を紹介するコーナーができて
憧れていた庭譚の橋本善次郎さんが
最初に特集されました。
穴があくほど見て
どうやったらここに自分も掲載してもらうことができるんだと。
ここに載れたらなんとか仕事の依頼がきて
なんとかこの形で生活できるんじゃないだろうか。
その号がでてからずっとそんなことを考えてましたが
なんのつながりもなく
ただの読者のじぶんがそこに掲載されるなんて
夢のまた夢みたいなことでした。

また
3年間、形を変えてずっと現場仕事をしてて
ほぼ誰からの反響もなく
やっぱりじぶんには才能がないのかなと
自信がなくなってきてた
そういう時期でもありました。

そういう感じのときに
じゃあ当たって砕けろだ!と思い付き
そのニューウェーブのコーナーがある
雑誌庭に一度ポートフォリオを送ってみようと
いうことに。
つまりかっこわるいけど自薦です。
これでもしなんの反応もなかったら
じぶんのやり方ややってることに問題があるんだから
庭一本でやっていきたいと思ってる方向も変えないとくらいの
覚悟をそのときはしてました。

どのくらいの時間があったのかもはっきり覚えてないのですが
雑誌庭の当時の編集長の豊蔵さんからメールかなにかで
連絡をいただき
一度、京都の若手メンバーといるときに会いにこないかみたいな
話をいただき
そしてそこであらためて
この三年の間につくった庭の話をさせていただき
なんと「ニューウェーブ」に掲載いただけることになりました。
たぶん関西でははじめてで
緊張と驚きとビックリで
もうなにがなんだかだったことしか記憶にありません。
調べてみると
リニューアル号でニューウェーブのコーナーができたのが
189号(2009年9月号)で
僕らが掲載されたのが195号(2010年9月号)なので
ちょうどこれに載りたいと思ってから一年後でした。

これも2010年なので
34歳ですね。
すごい一年です。
ただ20代もそれなりに一生懸命やってたし
30歳からの3年はほんと頑張ったので
それの結果みたいなものがいろいろ形になってきたのかなぁって感じです。
「石の上にも三年」ってほんとそうなのかもです。

ニューウェーブに掲載されたこと
ニワプラスをはじめたこと
などで一気に造園業界の知り合いが増え
ほんとに全国の同年代の庭師に会えるようになったし
相手がじぶんのことを知ってくれてるみたいな
そんな感じに急になりました。

ただ苦しいのはここからがスタートみたいな時期で
じぶんはできるんだ、大丈夫だと少し自信をもてたのに
一般の人にはまったく知られてないので
仕事は今までどおりあまりないという葛藤と我慢の時期を
ここから迎えるのでした。


目次 後編
八_なにわのあきんど
九_ニワプラス
十_Gardening研究会
拾壱_ニューウェーブ
拾弐_2つのきっかけ
拾参_下駄をやめる
拾四_じぶんから変わろう
拾伍_恥ずかしいこと
前編へ



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