辰己二朗

大阪は八尾でgreen spaceという植木屋を兄弟でやっています。 http://g…

辰己二朗

大阪は八尾でgreen spaceという植木屋を兄弟でやっています。 http://green-space1991.com

最近の記事

雑誌掲載の話

知っておられる方もいるとは思いますが SAVVYという京阪神で出版されている雑誌に グリーンスペースが2ページの見開きで掲載されています。 今号はグリーン特集で、SAVVYではグリーンの特集をするのは 初めてだそうでまだ買ってない人は急いで本屋さんに 駆け込んでください。 なんて冗談みたいに言ってますが たくさん売れたら良いなぁと思っています。 最近は 「グリーンスペースの仕事を雑誌でみました」 と言っていただくことがあります そのほとんどは建築系の雑誌なので 当たり前です

    • 僕なりのコンセプト

      前回の記事では できるだけ正直に!!嘘をつかない!! ということを大切にしていますと書きました。 それとは別に僕には僕のコンセプトみたいなものがあります。 僕の生まれ育った地元には一年に一回、夏になれば 布団太鼓という神輿よりもひとまわりくらい大きいものを担いで 地元を練り歩くという祭りがあります。 岸和田のだんじり祭りみたいに大きな規模ではなく 小さな村祭りですが 16歳から24歳までで構成している 青年団という地元の若者の団体が村祭りを取り仕切ります。 7月に祭りがあり

      • ちょっと昔のこと

        前回は方向性とか戦術とかを 書いていきますと書いたのですが そう書いてから考え続けているのですが その事について書く前に 僕はどうなりたかったのか、というところから書くことにします。 二十代の僕と兄はエクステリアの工事をメインにしていて 庭づくりの依頼が入れば喜んでするという感じでした。 自分達としては庭づくりをしたい そのための勉強もしていたし情熱もあった でもエクステリアの仕事に追われ やっときた庭づくりの依頼に100%の力を出せているかというと 残念ながらそうではなか

        • 前回の続き

          僕はすごく自己中心的な性格だと自分で思っています。 わがままで頑固な いわゆる次男気質の僕だから スタッフと一緒に作業を進めていくなんて 本当に自信がなかった。 そして グリーンスペースに来てくれたスタッフのほとんどが未経験者で 僕がスタッフを育てていかなければとプレッシャーを感じていました。 当たり前だけど スタッフと一言でいっても 一人ひとり性格が全然違うわけで その人にあった教え方を、、、 なんてそんな器用なことを 自分自身もまだまだなのに できるわけもなくて 教える

        雑誌掲載の話

          もう一つの理由の話し

          ブログを5年も辞めていた理由のもう一つが グリーンスペースのメンバーが増えたからと書きました。 5年前は3人で 現在は7人のチームで仕事をしています。 この人数が植木屋的に多いのか少ないのかはわかりませんが なんだかんだで良い人数なのではないかと思っていますが 問題は3人乗りのトラックが二台なので 全員集合(庭をつくるときは毎回ですが)の時は少し困ります。 まぁそんなことはどうでも良いのですが 最初は父と兄と3人で ある日、父の仕事や庭関係以外の仕事はすべてお断りして 庭

          もう一つの理由の話し

          前回の続き

          前回の記事で H BEAUTY&YOUTH の庭をつくったときに 自分なりの失敗でずいぶん悩んだと書きました。 今回はその話を 失敗というのは つくった庭が失敗ということではなく 庭をつくるというのは 庭だけをつくっているだけでは足りないのだなぁと 本当に実感したからです。 自分で言うのもなんですが H BEAUTY&YOUTH の庭は 赤松にアガベや屋外でも育つ観葉植物をMixした 当時ではかなり珍しい(というか僕たちが考えた組み合わせといっても嘘ではないかなぁと)雰囲

          前回の続き

          5年ぶりです。こんにちは

          気づけば5年もまともにブログを書いていなかった たぶん 真面目にブログを書こうとnoteを始めたのに 何個か投稿してやめてしまっていた 理由というか言い訳は何個かあって ひとつ目は ダイレクトに反応のある SNSの方が楽しくなってきたから ふたつ目は このnoteの 最後に書いた投稿の少し前に 南青山でというか東京で初めて仕事をした H BEAUTY&YOUTH というお店のエントランスと屋上の庭を させていただいたのですが そこでの経験(というか失敗)が その後の僕

          5年ぶりです。こんにちは

          村上春樹さん

          実は少し前に 村上春樹さんと会いました。 正確に言うとすれ違いました。 僕の事を知っている人は 僕がどれくらいハルキストか分かっておられると思いますが 20代後半の僕はもう村上春樹さん一色だったと言っても 言い過ぎではないくらいです。 例えば「ノルウェイの森」の映画は 僕の小説体験が壊れそうで、怖くて観ていないし 村上春樹ファンの方と意見の違いでファイトになったこともあります。 知り合いの庭師の手伝いで葉山の方で仕事をしたとき 近くの魚屋さんに村上さんが買い

          村上春樹さん

          庭のこと

          よく人には話すのですが 僕がこの仕事をはじめたときから 例えば雑誌などで新しいライフスタイルとかの 特集でファッションや音楽はもちろん 建築やインテリアや家具や雑貨や照明や、、、 いろんなモノが特集されているときに どうして「庭」はないんだろう?ってずっと思っていました。 理由は自分なりにいろいろとあるんですが この10年 ミドリという言葉を中心に いろいろと雑誌で特集など組まれていることを目にするようになりました。 それはそれで嬉しいのですが では庭は? 少し前

          庭のこと

          ムスメの事

          今日 現場に出て 事務所に帰り お盆までに仕上げる図面を仕上げ帰宅 遅い時間に帰宅すると ムスメが半分寝ぼけて待っていてくれた。 「はいパパにプレゼント」と輪ゴムでできた腕輪をくれた。 4歳になるムスメ いつの間にか 今までグズってなかなかだった お風呂や食事やトイレやいろんな事を 気付けばすんなりとやるようになっている。 嬉しいのだけど 寂しくもある。 今のうちにと いっぱい抱っこさせてもらおうと ぎゅーっと抱っこした。 休みのあいだは

          ムスメの事

          父の思い出

          なんとなく今日からこのnoteでブログをはじめようと思う。 第1回目というのは誰も読んでくれる人もいないだろうから とても個人的なことを書こうかと思う 今年の5月に父が他界した 父はとても無茶苦茶な人で 父としてはなかなか愉快な人だったんだけど 僕は父がつくったグリーンスペースという植木屋にいちおう就職したので(あまり就職という感じでもなかった) 父と接する時間はもしかしたら父が社長バージョンの時の方が長かったかもしれない ホントにいろんなことに無頓着で無茶苦茶だっ

          父の思い出