あなたが消えた季節のこと
9月になると、決まって調子が悪い。
また季節がめぐってきた。
夏の終わりを静かに告げるやわらかな涼風が、胸を吹き抜けていく。
この風の中に、私は死を想う。
地上に出て短くも鮮烈な一生を終えていく蝉たちに代わり、鈴虫の歌が聞こえてくる夕方。
転がった虫たちの乾いた骸を横目に、私はその想いを払おうとする。
だが、うまくできないものだ。
死、とはなんだろう。
あなたがいなくなること。
あなたがもう話さないこと、動かないこと。
あなたの温度を、香りを、失うこと。
あなたの頬に、3つ綺麗に並んだそのほくろに、触れられないこと。
あなたがいない世界が始まること。
あなたが死んだ9月のあの日、私は明け方に病院から家に戻った。しばらく眠り、冷気で身震いをして目覚めた。あなたであった身体が家に戻り、家は冷凍室のように冷やされていた。
むせ返るほどに、そこには死が立ち込めていた。
今でも思う。
私の半分か、もしくは全てであったあなたを失って、私はよくやってきたと。
何度か、生きることをやめたいと思った。
決してあなたがいないからではないが、あなたを失ったことはきっかけであった。
そして、周りの人と比べては上手く生きられない自分に、大事に思ってくれた人たちを傷つけては裏切る自分に、全てが袋小路に入り込んで渋滞して、もうどうにもなれない、何も変えようと思わない自分に辟易した。
でも、あなたはみんなに愛され、そしてみんなを愛したから、あなたを愛した人たちが、私を愛した。
だから、生きることをやめようとはしなかった。
その愛を前に、私は平静を装って笑顔を浮かべて、生きることを肯定することしかできなかった。心が感じることと、私が発する言葉が、とる行動が乖離していった。
それは思い返してみれば、自分自身を含む誰に対しても不誠実であった。
相談室に通ってた頃、先生に聞かれた。
「今、あなたの感じていることや状況を表すとどんな感じだろう」
私は絵を描いた様な気がする。
細い一本の道を歩いている。
辺りは宇宙の真空空間に放り出されたように真っ黒で、私の前に伸びる一筋の道だけが、白く浮かび上がっている。
綱渡りする様に、まっすぐ前を向いて、顎を上げて歩かないと、いつでもすぐ傍には底の見えない闇が口を開いて待っている。
流れていく早さを決して変えることのない世界に振り落とされないよう、必死でその道を辿った。
ほとんど、私はその道をはずれることはなかった。
けれど、私は私から遠ざかって行った。
今はどうだろう。
私は少しずつ私に帰ってきた。
私が私であることを恥じることも減った。
今、私が歩いている風景は、もう真っ黒ではない。空があるし、草が生い茂っているような気がする。たまに、その茂みの中にぬかるみがあり、足をとられることがあるが、しがみつくことができる細い葉が伸びている。
ここまでくるのに時間がかかった。
人と出会い、自分自身の言葉で話す様になった。
今でも鈍い胸の痛みや苦しさが、その重みを変えるわけではないが、私はいくらか色のある世界を生きている。
それでも、私は知っている。
大切な何かを失うことに慣れることも、そのかなしみを克服することも決してない。
かつて、私の胸に刻んだ彼の言葉を思い出す。
この、あまりにも単純で、自明で、常にそこにある真実に私はたびたび、心底、絶望する。
なぜ、生きていくのは、こんなにも苦しいものなのだろうかと。
だが、死とは結果で、結末で、私たちの人生のある1点なのだ。
私と、消えてしまったあなたが共に暮らした日々は点じゃない。
ある1点で、永遠に失われてしまう何か。
だが、失われてしまった何かをその1点は定義しない。
あなたが消えた季節。
私はあなたと共に、この風の中に立っている。
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