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ASDが『安心』を得るために

SNSを見ているとアスペがどうたら、HSPがどうたら、ADHDがどうたら、ASDがどうたらと自己主張の強い人たちが多いように見える(俺もその一人だわ草)。そういう単語は10年前は見なかったような気がするが、SNSが認知度を上げてくれたことは間違いないだろうし非常に有難い。

SNSでどれだけ主張しても自分の立場が良くなるとは思えないが、SNSのような感覚で周りにいる人に容易に伝えるのはやめたほうがいいかもしれない。そんな事を言う俺だが、週末に家族のメンバーに軽~く伝えてしまった。

しかし人によっては家族であってもASDだと告白することに抵抗があるだろう。俺はどちらかといえば面白話として告げたのだが(勿論、彼らを信頼しているからという面もある)幸運なことにこの告白がもたらしたのは『安心』でした。

ASDはよく誤解されるし、空気を読めなかったり、酷いことを言ったりするらしい。例えば俺は中学生の時に、突然女の子に頬を思いっきりビンタされたことがある。ビンタされた理由は未だに分からない。その女の子と話していたわけでもない。男友達と話していて、急に目の前に座っていた女の子が立ち上がり、俺の目の前に来て、ビンタ。今考えれば何か酷いことを言ったのだろうとは思うが。悪気が無くてもASDは空気を読めないので気が付かないうちに酷いことを言っている可能性がある。人の表情や感情を読み取るのも苦手だという。

英語ではMasking(マスキング)なんて言い方もするが、ASDの人は本当の自分を隠すことで社会的に生きていく方法を手に入れることがある。何かとカメレオン的な能力と言われる所以である。社会不適合者なりに生き方を模索し手に入れる能力だと思っている。実際のところ俺もこれには心当たりがある。

例えば新しく物事を覚えるのに10個の段階があったとする。他の人が1週間かけて10個出来るようになるとしたら、俺なら3日で出来るみたいなことだ。ただ大体の事に興味は無いのでその後は続かないし、続けたとしてもその後の伸びは他の人より遅い。多分これは俺がマスキングから培った能力の一つで、目立たないようにするために最初のステップで周りから遅れないように培った能力なのではと考えている。

俺だけかもしれないがマスキングにはまた違うサイドもあり、二重人格までとは言わないがたまに行動と思考が合っていない時がある。それは大勢でテーブルを囲んで話している時、みんなが笑っている時に一緒に笑うが頭の中では一切笑っていないし、何が面白いのかなぁ…なんて考えていたりする時もある。表向きニコニコしていることで周りから目立たないようにしているのだ。

俺はかなり冷めた人間なんだな、とかは考えたことがあるが実は結構気に入っている。俺の働く会社はオイル・ガス関係である。今年はオイルの値段が高騰していたこともあり、ボーナスがでた。プラントマネージャーは社員を集めて、みんなが一生懸命働いてくれたおかげだ、と熱弁を奮っていた。会社の動きが大雑把に見れるポジションに居る俺はそれを聞きながら『絶対嘘やん』と思っていたが、表向きは周りに合わせる。俺以外の社員は嬉しそうにボーナスの話で盛り上がっていたし、プラントマネージャー視点で見れば会社の指揮を上げるために、正しいことをしているのかもしれないけどね。

話は少し逸れたが、この『冷たい』や『冷めた』人格が俺の中にいることも自覚している。そのマスキングも含めて俺なのだが、それを親しい人や親しくなりたい人には偽りの俺を見て、知ってほしくない。さらに言えばそういうマスキングをしている自分を知られたくない。知られたくないと思えば思うほどマスクをつけてしまう、そんな悪循環に悩んでいる人もいるのではないだろうか。

このマスキングはASDで言えば社会に適応するための行動であると同時に、自分を守る硬く大きな防壁である。意識的に自己を装うのではなく、無意識に社会に適応しようとした結果そうなっていたのだと思う。簡単に取り払えるものではないし、意識的にどうこう出来るものでもない。長時間かけて取り払うことはできると思うけどね。

たまたま嫁の弟さんとその嫁さんが週末にうちに泊まりに来たので、俺がASD持ちであることを打ち明けた。もちろん俺もちゃんと人を選んで伝えている。職場の人間も周りに居る人もほとんど知らないし、言う気もない。ちゃんと信頼している人のみに伝えるようにしている。

俺はどちらかといえばASDである事を知ったことで、嬉しくなったし気持ち的に楽になった。そんで信頼している二人にもその事を告げると、義妹さんもASDだという。ということでASD話で盛り上がってしまった。ASDあるある話で盛り上がれる家族とか草、とか思いながら楽しい時を過ごしました。

週末が終わり嫁の弟さんから嫁に「ASDについて気軽に話せることが嬉しかったで~」的なメッセージが届いた。この『安心』が非常に大切なんだなと気が付かされたのと同時に、改めて自分のパートナー以外とASDについて話すことが難しいんだなぁと気が付かされました。

自身もしくは自分の家族がASDだと伝えた人のASDに対する理解が足りていない場合、もうすでにその人を傷つけていて、それを言い訳と捉えられて自身の立場を悪くする可能性。最悪の場合、家族の仲や友達との関係がこじれるかもしれない。理解力が全く無い場合は「だから何?言い訳すんなや!」で終わってしまう。

これらを考えずに最新の発見を子供のように見せびらかし、義弟夫婦に伝える俺(アホ)。もうちょっと気を付けるべきだったのかね。…本当に信頼してたんッスよ。

例え家族であっても普通打ち明けるのには相当な勇気がいると思います。打ち明けて大丈夫だったとしても、理解度が低ければそれを深く知ってもらう必要がある。結果論ですけど、今回は本当に良かったです笑 お互いASDについてある程度調べ終わっていて、ASDがしてしまうかもしれない発言や行動も理解できている状態で話すことが出来たからだと思います。

アスペルガー症候群、ADHD、HSP、ASDなどの単語の認知度が上がっていたとしても、それぞれ理解しているかとはまた別問題であるということ。またそれらを他人に理解してもらおうというのは無理があるので、本当に信頼している人にのみ伝えるが良いのではと思った次第です。


おまけ。HSPの嫁との会話の一部
俺「嫁の家族は変わってるよね。姉弟でASDのパートナー選ぶとか草」
嫁「いやいやASDに言われたくないわ草」


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