おめでとうございます

一人の星野源のファンが、結婚報道を受けて、ファンとして今までを懐古して、備忘録がてら語っただけの文章です。特に深い考察もありませんが、どうかお付き合いください。

はじまり

私が星野源のことをはじめてちゃんと認識したのは、中学3年生のときに放送されていた、「LIFE! 人生に捧げるコント」だった。もともとあの時間のNHKは、サラリーマンNEOとか、祝女とか、ちょっとNHKっぽくないことをやっている枠で、母親がそういった番組にハマっていたから、何気に見始めたんだと思う。「修羅場」とか「カッツ・アイ」とか、あの頃の「LIFE!」はとても面白かった。

もともと、テレビはよく見るけれど、「誰が出ているか」に興味を示したことはあまりなかった。だから、星野源の最初の印象は、「若い男の人役をやってる演技上手い人だな」というくらいだった。けれど、とある放送回でのトークコーナーで、星野源が音楽活動をしていて、"SUN"という曲が人気だということを知る。

YouTubeで検索して聴いた。明るくて、楽しくて、陰鬱な気分を吹き飛ばしてくれる曲だ。気がつけば夢中で聴いていた。気がつけば過去の曲を遡り、貪るように聴いた。11月末に放送だった”SONGS”は、録画して、お風呂上がりに"SUN"の歌唱部分を繰り返すことがルーティンになっていた。暗かった幼少時代のことも、くも膜下出血のことも、いろんな、「今までの星野源」を知っていった。自分も、小中暗かったので、たぶん勝手に重ね合わせていたんだと思う。

中学時代

この頃YELLOW DANCERが出たので、初回限定盤を買ってもらった。CDも、特典DVDも何回も観た。確か「星野源のひとりエッジ in 武道館」が収録されていて、YouTubeに出ていない過去の曲にも詳しくなった。ファンが静かに聴き入っている弾き語りパートや、ゆるい雑談パートなど、星野源のライブの独特の雰囲気を観て、大好きになった。

紅白に出る頃には、かなりいろんな情報に詳しくなっていて、劇的な大復活を遂げた星野源が大舞台で涙ぐみながら歌っているのを感慨深く観た。(すいません、私は所詮"SUN"から知った俄です。でも、星野源のファンは俄だから云々はあんまり言わないと信じています。)

母親は、あまり星野源が好きじゃないらしかった。友達にも、あんまりファンはいなかった。だから、Twitterとかネットにいるファンが書いた記事とか、感想とかから情報を仕入れて、共感していた。でも、その意味で星野源は「自分が初めて、たった一人で好きになったアーティスト」である。

エッセイも読んだ。少し気恥ずかしくて、ブックカバーをつけて学校に持っていっていた。強烈な下ネタと、くだらなさと、それを「面白がる」素朴な文章。強烈な下ネタがあまりに強烈だったから、友達には勧められなかったけど、休み時間にこそこそと、爆笑を堪えながら読んだ。それまで、学校で文章を書くときは、「上手い文章を書こう」と思っていて、自分の気持ちを正直に表現して書くのは恥ずかしかった。だけど、彼のエッセイを読んでからは、少しずつ、自分の気持ちを素直に書くことができるようになった。そうして書く文章は、読者に少し引かれることもあったけれど、とても書くのが気持ちよかった。

この頃SAKEROCKのラストライブ映像が発売になり、これも買った。SAKEROCKを解散後に知ったことを後悔した。くだらなさと、「ホニャララ」とかに感じられる狂気に夢中になった。今でも気が滅入った時はあのMVを見る。

高校時代

高校生になり、星野源のYouTubeが更新されるたび、TV出演するたび、ウキウキして、ライブ映像は考査後のご褒美に見ていた。完全にファンになっていた。

そして、高校1年生の10月から、「逃げるは恥だが役に立つ」の放送が始まった。本当に、みんな見ていた。水曜日に学校行くと、みんな火曜日の放送のことについて話していた。普段あまりテレビを見ない人も、一緒になって、逃げ恥の話をした。星野源が電車でガッキーにキスしたシーンの翌日は、大変な騒ぎだった。そして気がつけば、クラスメイトが「恋」を歌っていた。自分が好きな歌手の歌をみんなが知っている。とても不思議な気分になった。「ムズキュン」して、「かわいいは最強」と叫んでいた。

Family Songが出た時は、ちょうどオープンキャンパスに行って、進路を考えはじめた頃だった。「あなたはどこでも行ける あなたは何にでもなれる」の歌詞に励まされていたのを今でも覚えている。

星野源のバンドメンバーにも詳しくなっていた。ジャケ写を撮ってる吉田ユニさんも、映像の山岸聖太さんも、寺ちゃんも、細野晴臣さんも、ELEVEN PLAYも、MIKIKOさんも、井手茂太さんも、星野源のおかげで調べたり、好きになった。

ドラえもんの頃は、数学のテストでひどい点を取って落ち込んでいた。あの明るい曲調と歌詞に救われていた。

そして迎えた受験生。私は星野源を封印することに決めた。持ってるCDも、DVDも、本も、全部物置に詰め込んで、これを次に開けるのは受験に合格した時だ、と決めた。Youtubeも見なくなった。合格したら、ライブに行こう。

夏休み、自習室で勉強していたが、昼休みと夕方に散歩するのを習慣にしていた。夏休みの終わりがけ、猛暑と、夏休み頑張ったぞ、という妙な高揚感に浸りながら、いつものように散歩していると、「アイデア」の宣伝車がちょうど通った。「源さんがここまで音楽を届けに来てくれた」 割と本気で、そう思った。

禁欲的な生活はしばらく続いたが、秋模試が返ってきた時、私は結果に打ちのめされた。こんなに頑張ってるのに、あと何をどうすれば成績が上がるの?と絶望的な気持ちに浸り、しばらく勉強できなかった。センターまであと1ヶ月。今まで調子よく勉強していたのに12月に調子を崩してしまってダメになったみたいな体験談をたくさん読んだ。毎日見るのはB4の紙に細かい字で印刷されたセンターの過去問ばかりで、つまり白と黒ばっかりだった。色がなかった。追い込まれていて、英語の文章が読めなくなった。しばらくすると、国語の長文をどう読んでいいかわからなくなった。「どんな方法を使ってでも、気分を上げなければいけない」そう思って、YouTubeを久しぶりに開いた。好きな曲をいろいろ聴いた。それからは毎日音楽を聴いた。寝る前は必ず、Family Songを聴いて、うまくいった日も、いかなかった日も、心穏やかに眠れるようにした。

無事に合格して、ご褒美にPOP VIRUSを買ってもらった。しばらく聴かぬ間に、また曲調がガラリと変わっていて、震えた。ドームツアー映像の最後のHello Songが本当にカッコ良すぎて、神がかっていて、何らかしら、星野源の集大成を見せつけられた気分になった。ちょうど自分の二次試験と同じ頃、星野源も「集大成」だったんだ、と思った。ああ、これ見たかったなあ。受かったしライブに行こう!

クレジットカードを作れることになったので、すぐにYELLOW PASS会員になった。

大学時代

私は大学1回生になった。Same Thingとさらしもの。新しい人とタッグを組んだり、世界に進出したり、新たな道を模索していく姿が、大学に入り、新しい人たちと出会い、留学を考えはじめた自分に勝手に重なった。ツアーが発表になったけど、ワールドツアーか。日本でやるのも東京で平日か。うーん、これで無理して行かなくても、もう少し待ったら大阪城来てくれるはずだろう。

案の定、しばらくすると大阪城に来ることがわかった。それも初めてのYELLOW PASS会員限定イベント。Assemblyだ。1回生後期の試験の最終日が、イベントのチケットの当選発表だった。ちょうど午前中で試験が終わり、食堂で、LINEチケットの当選を確認する。やっと、5年間ファンをやってきて、待ちにまったライブに行ける!心が浮き立った。まだ、コロナは対岸の火事だった。

初めは、中国のファンがライブに行くのをやめるという話がウェイボーに流れ、それに星野源は非常に配慮のこもった返事をした。イベントやるんだったらそりゃ行くよな。でもこの状況でやったら絶対批判されてしまうな。そんな批判のコメントとか見たくない。その気持ちは日に日に増して行った。中止が決まった時、悲しかったけれど、ある意味、とてもほっとした。

非常事態だ、という気持ちが日に日に膨れ上がり、4月の初め、とりあえず大学が普通には授業を始めないという決定を出し、私は実家に戻った。なんだか変なアドレナリンが出ていた。「うちで踊ろう」が流行った。もともとこういうことをやらなさそうな星野源がやるから、押しつけがなくていいな、と思った。私は何も表現する術を持ち合わせていなかったのと、一部で始まったオンライン授業の課題でとても忙しくなったので、聴いたり見たりするだけだったけど、他の人にシェアしたりして楽しんだ。「うちで踊ろう」で検索すると、殺伐とした言葉にあふれていたインターネットの中から、明るい部分が切り出せるのが嬉しかった。「あの日」までは。

いろんなことが思い通りに行かなくなった。YouTubeに公開されるニセ明の動画と、ANNが救いだった。大学の課題が忙しくなり、先々の予定が、特に留学の予定が決められなくなり、大学の友達とも会えなくなり、スーパーに行くのにもビクビクしていた。だんだん余裕がなくなって、「レコードノイズ」とか「季節」とか、Strangerの曲を延々流すようになっていた。そして、夏に、体調を崩してしまう。

暗い情報を見たくなかった。暗い情報、疑念を喧伝するものではなくて、何か明るくて、信じることができて、人が一生懸命作ったものを見たかった。私は、狂ったように逃げ恥を見た。どんな状況でも、あれを見ると全て忘れて元気になれた。

少し落ち着いて、立て直しの後期、冬休みに逃げ恥新春スペシャルの放送が決まり、それをずっと楽しみにしていた。とてもよかった。もっと長期でやってくれてもいいのに、と思った。

春休みに創造が出た。新曲発表の瞬間をYouTubeで見た。また新しくて、星野源の曲は、「こんな感じ」と思ったら、すぐにその枠を飛び越えてしまうものなんだ、と今までも思っていたことをより強く感じた。

「宴会」があり、新しいイエマガを予約して、3回生が始まった。新曲「不思議」のリリースの時、「ストリーミングもいいけれど、CDのリリースを楽しみにしていた中高時代が懐かしいな」と思った。シングルのフィジカルリリースが決まり喜んだ。いろんな雑誌の表紙をやることが決まった。イエマガが届いた。最近めっちゃいろんなことやってくれるな、と思った。

5月19日

そして迎えた5月19日。何気に見たTwitterで、知り合いが「新垣結衣と星野源結婚」と呟いていた。すぐにGoogle検索をかける。事実だ。

ふあっ、まじで!!!!まじか!!!!!!!!

叫びたい。きゃーっと言いたい。だけど、私は、ほとんど人がいない大学の講義室で一人、勉強していたのだった。叫べない。でも、足が震える。とりあえず落ち着いて、下宿に帰ろう。絶対事故るな、集中して運転だ。

星野源がガッキーと結婚。とてもとても喜ばしいことだ。でも、ああ、「昨日まで」にはもう戻れない。もうこれは事実なんだ。

今まで、アイドルが結婚した時、「ロス」になる人の気持ちがわからなかった。そのアイドルが好きで、その人のおかげでがんばれているのなら、その人には幸せになってほしいし、結婚したらまずファンは「おめでとう」を言うべきだ、と思っていた。

事実、私はおめでとうと思い、それを表現した。

高校時代の友達からいくつか、私を心配するLINEが来た。大丈夫だと言った。おめでたいことだ。

翌朝起きると、寂しかった。「ロスってこれか」と思った。でも、逃げ恥の名言集を見返して、ドラマの場面を思い返して(逃げ恥5周はしたのでセリフだけで大体思い出せる)、妄想にふけり、「この二人結婚するんだ」と思ったら、とても幸せな気持ちになった。

星野源の曲を昔のものも含めて全部聴き返し始めた。「フィルム」でいうところの、「声を上げて飛び上がるほどに嬉しい」瞬間って、今なんだろうか。いや、当の本人たちは、案外ささやかで、「普通」なんだろうか。「ギャグ」とか「フィルム」とか、「虚構」について描いてきた星野源が、「逃げ恥」という「虚構」から実際の結婚が決まるなんて、今までの作詞の、人生のパズルのピースが完璧にハマるじゃないか。そんなことを考えた。過去の少し曲調が暗い曲を、「ガッキーと結婚するんだぞ」と思いながら聴いたら、なんだか一段と明るく聴こえて、全部伏線みたいに感じた。

その日の夜、新曲の「不思議」をもう一度聴き、本当に胸がギューとなった。ああ、これは、本当にラブソングなんだ。「くせのうた」「くだらないの中に」に始まる「星野源のラブソングの遍歴」が頭を駆け巡る。星野源が「不思議」を「書けた」のだということが、たまらなく嬉しくなった。ずっとずっと、繰り返し再生した。

(5/26 追記)
確かに、作品はいつだって一つの創作物ですね。でも、結果的に自分の状況を反映することになった「化物」のことも思い出します。星野源自身が自分の人生を「監督」しているようなところがあるんじゃないかな、といつも思います。曲にはいろんな解釈があって、私たちやその周りの人の人生にも、映画のようなところがあるのかもしれない。「ニセ」と「リアル」の重ね合わせはいつも愉しい。作者の状況も、聴き手の状況も、たぶん作品の解釈には反映されて、そうやっていろんな味を楽しめるのじゃないだろうか。
(追記ここまで)

今日は「よみがえる変態」を読んだ。"SUN"のところで妥協しても、逃げ恥で、「恋」で妥協しても、あの東京ドームの"Hello Song"で妥協しても(あれは本当に「集大成」として鬼気迫るものがある)どこにでも、「これで十分成功。大満足。」と言ってしまって良い時期があったはずなのに、いつだって変わり続けて、枠を超えて、想像の斜め上にわれらを連れて行ってくれる。いつだってしかるべき人が報われるのだ。

これからも、変わり続けるんだろう。あの頃、"SUN"までしか知らなかったように、「恋」までしか知らなかったように、今もまだ、「不思議」までしか知らない状態なのだ。いつまでも変わり続けて、世間の状況も変わり、私がいる環境もまた変わるのだろうけれど、それでも必ず側に、私の人生の傍らには星野源の歌があり続けるんだろう。いつか、「令和のニュース総ざらい」なんてやるときに、「星野源とガッキーの結婚」は絶対にランキングに入ってきて、私は世の中が閉塞感に満ちていて、大学がオンライン授業で、一人で勉強していたときにこのニュースを見たことを思い出すんだろう。そして、このニュースが、暗いニュースばかりの時代の、本当に完璧に明るくなるニュースだったことも思い出すんだろう。

その頃には、「あんなこともあったな」とコロナ禍を笑っていたい。さらにたくさんの星野源の曲と言葉を知っていたい。さらに多くの役を見たい。そして何より、ライブに行きたい!!!!!!

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