見出し画像

「集中・粘り強さ」と「執着・しつこさ」の見極め方を語ってみたよ

 最近マジで取り憑かれた勢いで、WEBデザインを作成しており、最早薬物中毒の勢いだ。ちなみに吉牛は食ってない(笑) 

 あわよくば前職のツテで、仕事がもらえる可能性があるので、ひたすらWEBデザインを作っているというのもある。‥だとしてもこの集中ぶりはちょっと異常だ。そして先日とある気づきを得た事で、ようやく我に返った。

 我に返った時に痛感したのだ。
「これはもう集中とか粘りじゃねえな、執着だ」って。
 

 「集中や粘り強さ」と「執着」って、本当に見極めが難しい。一応パチンコ店の店長とかやってたから、いかにその判断が難しいのか心得てるつもりだ。
 当時自分の店でパチンコの交換率を変更したんだけど、最初全く上手くいかなかった時の叩かれっぷりが、まー酷かった。会社全員が「スタンフォード監獄実験」みたいなね。頼んでもねーのに看守役になって、アレが駄目コレが駄目って。
 ところが一年程粘ってたら、数字が上がってきてね。稼働・粗利・営業利益がメキメキ上がったら、社長から「三冠王」とか呼ばれ始めた訳よ。
 その時の周りの手のひら返しはやばかった。「やっぱり最後まで諦めなかったぐりさんは凄いですよ」等々‥最早手の甲という概念がなくなってた(笑)。その時に私は悟ったのだ。

「集中力がある、粘り強い、執念で勝ち取った」

「執着が強い、しつこい、頑固」

これは全くの同義語なのだ。そして見極めるのは、それなりに鍛錬しないと難しい。

 という訳で今回は

  • 粘り強い(集中)と執着の境界線

  • 執着と気づいてもやめられない人達

 等々を語ってみたいと思う。


粘り強いと執着の分岐点

 では本題に入っていこう。
 「粘り強さと執着の分岐点」については、実は私の中では結論が出たりしている。

パターン1
執着=成果を望める可能性がない
粘り強い=続けていれば成果が出る可能性がある

パターン2
執着=自分の事しか考えてない
粘り強い=相手のことを考えて継続している

 ‥まだまだあるんだろうけど、一般的にはこの2つじゃないかな。でもこの2つは非常に判断が難しい。パターン1に関しては成果が望めるかどうかが分かるような問題なんて、そもそも問題じゃない。先が全くわからないから問題なのであり、押すか引くか悩みまくるのだ。
 そしてパターン2は、これを悪用して自分の思い通りにコントロールしようとする馬鹿が必ず現れる。
「もっと周りの事考えろよ!(俺は考えんけどな)」
「なにをそんなに執着してるんだよ。もっと柔軟に考えろ!」
と、出張の度に不正領収書を出してる、金の執着おばけみたいな奴から説教されたりする。
 ‥余談だけど、こういう悪いことしてる奴ほど金がないのってなんで?二言目には金・金・金って‥3年連続金賞受賞かよ!モンドセレクションかよ!金で買ったモンドセレクションかよww!※モンドセレクションは立派な賞ですww

 話を戻そう。こういう場合はシンプルに考えたほうが良い。ポイントは2つ。

  1. 人の意見は一切聞かなくて良い

  2. その代わり自分の心の声には正直に。「俺だせえな」と思った時がやめ時だ!

 これだけで、それなりに適切な対応が取れる。
 まず一つ目。人の意見なんて一切聞かなくて良い。だってそう言ってくる奴らも自分の事しか考えてないんだから。それに人のいう事なんて聞かなくても、
「上手く行けば称賛と尊敬(そしてゴマすりw)」
「失敗すれば非難と嘲笑(そして死体蹴りwww)」
という毀誉褒貶きよほうへんがきっちり返ってくる。であれば他人の言いなりになって、後者を受けるのもバカバカしいでしょ?

 そして2つ目が超重要。人類10万年の歴史は我々のDNAに「カッコいい行動」と「ださい行動」をしっかり刻みつけている。
 大事な人を裏切る、保身の為に嘘をつく、自分だけが得して周りが悲しんでる、惨めな気持ちなのに空気読んでヘラヘラしてる、etcetc‥。サイコパスで無い限り、誰に教わるでもなく胸がチクッとする行動は刻み込まれているのだ。チクッとするのに自分にとって最もセーフティーな行動‥‥。そう、それがDASAIである※MOTTAINAIみたいだなw

 今実家に帰省中だが、会社をやめて一番やりたかった親孝行が、WEBデザインの勉強に囚われて全くできていない。いや、イライラして軽く八つ当たりまでしてる。

 その時思ったのだ。「ああ、今の俺クソだせえな」と。
 だから、今の勉強の取り組み方は執着なのだ。
 1日でも早く仕事をもらえるようになって、前職で死ぬほど軽蔑してた奴らを見返してやるという、強烈なエゴだったのだ。まあ早めに気づけて良かったわ。


執着を手放せない人の特徴

 続いて、執着を手放せない人の特徴と、そういう人間にならない為の方法を考えていこう。最近は執着を手放せない人が、世界中でニュースになっている。

 例えば中国。いまやどの国も新型コ○ナと『共存』する道を選んでいるのに、中国だけは徹底的にウイルスを封じ込める『ゼロコ○ナ』だ。
 何においても「感染者ゼロ」が最優先。医療や食料は後回し。人権なんて知ったことかという状況‥。新型コ○ナの死亡者よりも自殺者のほうが多いんじゃないか?

 なぜそこまで固執するのかというと、ゼロコ○ナ政策を捨てることは、「中国の政治システムが欧米より優れている」との主張が成り立たなくなるから、何がなんでもやめないらしい。これこそ粘りが執着にすり替わってる最たる例だ。

 でもこういう「実体よりパフォーマンス」っていうのは日本のあらゆる社会でも行われてるでしょ?こういう事が起きてる状況を考察してみると、執着を手放せない人というか状況の特徴が見えてくる。

権力を持ちながらまともな人間であるというバランスを取るのは、とてつもなく難しいのだ。

 これは政治家に限った事ではない。会社の上司、亭主関白の父親、かかあ天下の母親、学校の先生等々‥。何か喋れば周りの人達が常に「ですよねー」「そうそう」と頷いてくれる狂った状況にいながら、普通の人間の常識的な感性を持つというのは、マジで至難の業。

 部下や子供や生徒達は、別にあなたの言ってることが正しいから、楽しいから、納得できるから頷いているわけではない。ましてやあなたの事が好きだから聞いてる訳でもなんでもない。
 興味がない話を嫌でも聞かないと、降格・左遷をくらうかも、DVされるかも、授業の単位がとれないかも、という状況だから聞いてるだけだっての(笑)。

 権力を持っちゃうと、そんな超当たり前の事を忘れて、自分の話に同調しない人間に対して怒りを持ってしまうのだ。
 
「お前らはだから駄目なんだ」と、上から目線で偉そうに説教垂れる人間になってしまうのだ。そんな人間に、粘りと執着の判断なんて、できる訳がない。「いかにしてこのユートピアを1日でも長く維持するか」それがその人の人生のテーマになってしまうのだから。
 かの○ーチン氏は数年前のインタビューで「私はロシアの市民で、国家元首だ。ロシアのない世界など、なぜ必要なのか」と発言したらしいが、それこそが彼の人生の全てであり世界の全てなのだと絶望してしまう。

 という訳でこの章の結論だ。
 仕事やステータス、権力・権限を手に入れた時に「離すまい離すまい」とする心。それこそが「粘り強さ・集中」と「執着」の判断を狂わせる源であり、そこからどうやって自由になるかが、人間の大きな課題の一つなんじゃないだろうか。


強い執着から自由になるために

 とはいえ、これは生まれた頃から染みつけられてきた教育だから仕方ないと言えば仕方ない。学校に行って皆と同じような空間で過ごして、高学歴・高評価でいることの重要さを植え付けられて、「何の為かはわからんが、とりあえず少しでも偏差値の高い学校にに入ることが重要」と思ってしまう。
 それと同じようなことが、人生の中で延々繰り返されるのが世の中ってやつだ。

 そこから自由になる為には、
「自分のいる世界とぜんぜん違う業界、全然違う世代の人達と関わってみる」
それが一番の処方箋なんじゃないか。アウェイに積極的に飛び込むっていうのかな。全然知らない人とコミュニケーション図るのって、大事だと思うよ。

 そういう経験を積み重ねる事で、自分の中で凝り固まってしまった価値観がキャンセルされるのだと思う。
 価値観に多様性が生まれれば、自分の内面にある気持ちを、複数の角度から見ることができる筈だ。一つの椅子に長く座り続けてると、言い訳重ねて怠惰を正当化している自分に、気付くことすらできなくなってしまう。
 

 人の気持ちなんてどうせ分かるわけがない。他人はどこまで行っても他人なのだから。
 でも自分の気持ちぐらいは、見栄を張らず言い訳をせず、ありのままの声に気づける人間になりたいものだ。そうしないと、ただでさえ少ない仲間が(勝手に決めつけんなw)どんどん減ってしまうぞ。それはもう逆麦わら海賊団みたいに。

 ‥あ、俺減っとるわwww
 これからは黒い麦わら帽子を被って暮らしていこうっと。



サポートして頂ければ私のモチベが500倍に上がります(だから何なん?www)。こんな私をサポートしてくれるあなたは、心底良い人なのですね😊