見出し画像

共助の最前線を6名の地域プレイヤーから汲み取る【1日目オフサイト研修@香川県三豊市】

香川県三豊市に集合したGBP生。香川県三豊市にて2泊3日、このメンバーの共通体験を作ることになります。

私たちの研修は、バス内の自己紹介から始まりました。限られた時間内に、自分のことを印象的かつ明瞭に伝えることはプロデューサーとして必要な要素です。

バスでまず向かった先は「心うどん」。
腹ごしらえしながらうどんカルチャーの洗礼を受けつつ、いざ三豊市でプレイヤーとして活躍されている方々のプレゼンを見聞きしていきます。

父母ヶ浜にて集合写真

まず私たちが訪れたのは、かつて地域の酒蔵だった「三豊鶴」。
2005年に廃業し、2019年には危険家屋に指定され、取り壊すか否か地元のジレンマがあった矢先に、有志5人が引き継ぎました。

その決意から3年が経った2022年には、週替わりシェフ6名の料理を楽しむレストランと23名のアート作家による約275点が集まったアートギャラリー「酒蔵 Art Restaurant 2022」を開催。約3ヶ月に及ぶイベントで7000人〜8000人を動員し、酒蔵という面影を残しながら変幻自在の「場」を提供しています。

そんな三豊鶴にて、地域で活躍する3人のプレゼンテーションを聞きました。

三豊のやり方で新規事業立ち上げ中の勝川東さん

一人目は、千葉県から三豊に実際に飛び込んだ、新卒2年目の自然電力社員 勝川東さん。折紙をこよなく愛しながら、耕作放棄地を復活させるリファーミングプロジェクトを担っています。

勝川東さん
2021年自然電力株式会社入社。千葉県柏市出身、2022年三豊市移住。東京大学在学中に東大折紙サークルに所属し「難しいから面白い!東大折紙」出版を先導。柏市民ギャラリー出展や丸亀市市民交流活動センター「マルタス」で「世界を広げる折紙」の展示会を開催するなど折紙作家としても活躍。

「お金ではない価値が共助という手段で生み出されることの面白さを、これまで三豊で見てきたわけですが、(三豊の人たちは)地域や自分達にとって何がいいのかを本当に突き詰めていて、それに向かっていろんなことをやっているプレイヤーの数がそもそも多いんです。それぞれに取り組んでいることが次々と時系列的にバーっと連鎖していって、その樹形図に余白ができて、そこでまた何か新しいことをするという。これが面白いなと思っています。

三豊に来た瞬間から町の良さを感じていた勝川さんからは、再エネを地域に生み出すGreen Business、通称:瀬戸内ReFarming事業の話をしていただきました。

「元々三豊は自然電力とご縁がある地域で、その最たるものは『URASHIMA VILLAGE(一棟貸しの宿)』と『瀬戸内暮らしの大学(誰もが学べる市民大学)』です。どちらも地元の10社以上の企業が出資し合ってできた取り組みで、URASHIMA VILLAGEではそれぞれの専門性を出し合って地域の経済を回しています。私たちが関わって、太陽光発電由来の再エネと蓄電システムで多くの電力が回るようになっています。」

勝川さんが現在進行形で取り組む瀬戸内ReFarming事業とは、農業と発電を一つの土地で行うソーラーシェアリングなのですが、三豊の魅力である「共助」と「樹形図に生まれた余白を活かす面白さ」が見え隠れしていました。

「ReFarming事業地では、各エリアにおいてエリアごとの農業法人を作る計画です。瀬戸内暮らしの大学のように地域を巻き込んで一緒に語りかけていくようにやっていこうと考えています。そこに6次化の話など、色んな文脈も絡めていきたいです。今、農業に興味がある方や、地方と色んな関わり方をしつつ生きていきたいという方が多い中で、なんとか農業を助けていきたいと思っています。」

今、三豊でやっていることが、自然電力が今後各地域で展開していく上での礎になっていくのかなと思います。難しいなと感じる要素も多くて頭も回らなくなることもあるのですが、だからこそ一番真っ当な近道とは言いませんが、地域に入り込んで血の通ったやり方をしてくことが一番良いです。そういった会社はないですから、ここ三豊でできたことが広がり、自然電力の価値になっていけばいいなと思います。」

三豊の面白さを自らプレイヤーとして取り込み、地域に根ざしたやり方で進める瀬戸内ReFarming事業。「難しいな」という一言にどれだけの思考が費やされているのかを感じながらも、地域の人たちと共に事業を作っていく中で、これからどんな余白が生まれていくのか、未来を想像せずにはいられませんでした。

覚悟に覚悟を重ねてきた原田佳南子さん

香川県三豊市は、2006年に7町が合併してできた人口6万人の地域です。日本のウユニ塩湖と称されるようになった父母ヶ浜のお陰で、2016年に年間5500人だった観光客が2019年に45万人に膨れ上がりました。

「(父母ヶ浜の)景色が綺麗というだけではなくて、皆さんには是非ともその背景にある地元の人たちの営みや、この4~5年で町には約50のローカルスタートアップが生まれてきているので、それらに取り組んでいる人たちの思いを汲み取り、志を少しでも感じていただけたらと思います。」

原田佳南子さん
瀬戸内ワークス株式会社 代表取締役。東京都出身、兵庫で生まれ札幌で育つ。大学卒業後、楽天株式会社を経て、2018年三豊市に移住し、UDON HOUSEを立ち上げる。
2019年瀬戸内ワークス株式会社設立。2020年瀬戸内ワークスレジデンスGATE、2021年URASHIMA VILLAGEを開業。

瀬戸内ワークスの原田佳南子さんは、楽天時代に行政向けの地域プロモーションを担当していた時、プロモーション以上に「地域に入り込んで事業を推進していく若い力」の必要性を感じると同時に、「少数ながら、そういったことをされている方々の”火玉”がとても眩しくかっこよく見えた」と憧憬するようになります。

「気づいたら『なんのためにこれやるの?』と上司に文句を言いながら働いている自分に『私、なんで文句を言いながら会社員しているの?』『誰の人生を生きているんだろう?』と問い直した時に、小さくてもいい、自分に何ができるかわからないけれども、自分の人生に責任を持って、自分の足で歩いていきたいと思い、地域に入ろうと決めました。

退職後に巡り巡って、三豊の地へ。それまでもこれからも色々な地域に関わっていく程度の気楽な気持ちのまま、原田さんは地域の讃岐うどん文化を学ぶ体験型宿泊施設UDON HOUSEの運営責任を担うことに。ですが、「事業の立ち上げは全然甘くないんですね。すぐに(気楽な気持ちは)打ち砕かれまして一年で東京へ帰れるようなものではない」と三豊に長く滞在する運びとなったそうです。

それでもなぜ、UDON HOUSE立ち上げ後も東京には帰らず三豊に移住し、続々と新しい事業を展開することになったのでしょうか?

「三豊の同世代の仲間が非常に熱い思いを持っている人が多くて、私もこの地域の一員として色んなことをやっていきたいということで、翌年法人を立ち上げました。実質本当に覚悟が決まったのは、このタイミングだったと思います。」

楽天時代に感じた、地域に入り込んで事業を推進していく若い力を担う”火玉”の存在への憧れを、自らが体現する機会でもあったかもしれません。

そんな原田さんが、これまでどんな事業を自分たちや地域の企業と作ってきたのか、構想中の内容も含めてお話をしてくださいました。

①地域の食文化を学ぶ宿泊型体験施設 UDON HOUSE

UDON HOUSE Instagramより

「UDON HOUSEでは(うどんの歴史や文化を)説明をします。言葉で説明すると同時に、自分で作ったうどんをかけで食べて、2杯目はぶっかけで食べて、3杯目釜玉で食べてと、何がどう違うのか学んでからうどん屋に行こうというコンセプトです。」

UDON HOUSEで讃岐うどんを学ぶこのプログラム、そもそもどのように実現したのでしょうか?

「うどんがとても好きだったわけでも、うどんに詳しいわけでもなくて、UDON HOUSEのコンセプトが成立したのは、さぬき麺機株式会社という製麺機のメーカーがありますが、彼らのノウハウがあってこそヒットしました。」

さぬき麺機株式会社は、うどん屋を開業する人たちに向けた養成プログラムを40年間以上提供し、これまで国内・海外 50,000人以上の卒業生を輩出した実績を持ちます。そこに観光客向けにアレンジを加えたのがUDON HOUSEのプログラムです。

UDON HOUSE Instagramより

「讃岐うどんの文化を伝えたいので、当然香川県民が対象ではありません。県内よりも県外、国内よりも海外の方がこのプログラムの価値を最も感じていただけるのではないかと思い至り、メインのターゲットを海外の観光客に設定しました。」

「最初、地元の人にめちゃくちゃ怒られたんですね。私たち6時間かけてうどんを作って、宿泊して、その後うどんを食べに行って一泊二日で3万円を取っています。
地元の人には『安くてうまいのがうどんだ。うどんで3万円を取るなんてあり得ない』と怒られてしまいました。『まして、うどんを打たせて金取るんか』というのが香川県民の率直な気持ちだと思います。」

日本でうどん作りが、イタリアでパスタ作りだったらあなたはどう思いますか?と原田さんは投げかけます。

「参考にしたのが、イタリアのアグリツーリズムです。実際に行って体験してみました。地元のお母さんが粉から一緒にパスタを打ってくれて、トマトソースのトマトは隣の畑から取り、400年続く石窯にそのまま重ね、翌日はワイナリーの真ん中でワインを飲みながら、パスタを食べるという体験が3万円ですよと言ったら、やってみたいなと思うんですね。」

オープン以降はメインターゲットである海外の方に向けたメディア掲載に専念します。

「最初にJAPAN TIMESに記事を掲載してもらったり、地元のDMO(観光地域づくり法人)と連携して海外の方に来ていただいたりしました。」

「そのうちにCNNトラベルやロンリープラネットの英語版に載りまして、NHK world 、Amazonプライム・ビデオと、気が付いたら私には読めない言語で展開されていきました。
(メディアに取り上げられた効果で)オープンから1年半で世界25カ国の方が訪れたという形です。残念ながらその後コロナ禍で、その成果が花開かずですが、ようやくインバウンドが戻ってきました。先日ユーロニュースの方が来てくれて、今週ヨーロッパ7ヶ国語のニュースで展開される予定になっています。」

一方で、「UDON HOUSEはなんだかよくわからない。あそこは宿なの?うどん屋なの?」という地元の方に安心してもらうためにも、メインターゲットだけでなく地元の方にも向けた双方向のメディア掲載に専念してきました。

②地域外人材と地元企業を繋ぐシェアハウスGATE

GATE Instagramより

実際に事業を始めて感じた人手不足。地元で100年続く企業の方でも「人がいない」という声を聞き、また、とある懇親会では「都市部にいて地域に関わりたいけれど、地方には仕事がない」と言う人たちが多くいることに気づきます。

「特に都市部で地域に関わりたいという方々を地域が受け入れられるのだろうかというのが、(当初の)私の一番大きな疑問だったんです。
しかし、非常に協力的な企業が多く、『最初は、関係人口ってなんのことか全然わからないけれど、原田さんが言うなら付き合うよ』と、今では各社それぞれの発信で地域の外からどんどん人が増えてきている企業もあります。そんな方々が繰り返し来た時に滞在できる拠点が必要だなということで作ったのがGATEという場所です。」

それでもまだ地域外の人材を受け入れる体制が未成熟である地元企業も多く、外から来る人へのサービスをしながらも、地元へのアプローチも欠かせないのがGATE。

「百万人が1回訪れる町ではなく、十万人が10回訪れる町が地元にとって幸せなんじゃないか。そのために、まだまだ世の中に少ない関係人口向けのサービスは、この先もやっていこうと思っています。」

③自分達の力で地域を盛り上げるURASHIMA VILLAGE 

URASHIMA VILLAGE Instagramより

次は、UDON HOUSEで開かれる経営陣の飲み会で生まれたURASHIMA VILLAGEというプロジェクト。

地元のスーパーや建材屋、家具製造、工務店、建設業、バス会社、レンタカー会社、自然エネルギー企業、宿泊業、地域プロデュースなど、異業種11社が株主となる瀬戸内ビレッジ株式会社。各社が業務委託で成り立っています。

地元の企業同士の強い結束力で事業をする背景には、まず行政との関わり方にコツがありました。

行政がもっている最たるものは信用だと思っています。UADON HOUSEを始める時、どこの誰がやるの?ってすごいみんなザワザワしていました。外から来ているんで誰も知らないわけなんですね。そのプロジェクトが『広報みとよ』(三豊市が毎月発行する行政情報誌)に載っただけで周りの人たちがみんな安心するんですね。」

URASHIMA VILLAGE Instagramより

「新しい何かをやろうと思った時に、(地元の方は)どうしても(外から)きて、と引っかかるところなので、楽しいものを作る時に動いてもらったり、地元の色々なところから色々な声が行政に入ってくるので調整をしてもらったりと、行政と関わっていますが、やっぱり事業は民間でやろうと決めています。」

民間と行政で役割分担し、双方がそれぞれ持ち味を発揮しているわけですが、地域発信のやり方も企業間の関係構築に結びついていました。

UDON HOUSEの飲み会では、自ずと未来を語り始めるようになり、プレゼンをする文化が誕生。そんな文化の中から、11社共同経営の瀬戸内ビレッジ株式会社、URASHIMA VILLAGEが誕生したのですが、飲み会だけではなく、「面として地域に発信するということを意識的にやってきた」と原田さんは説きます。

「GATEをはじめ、これまで地域を外に向けて発信する時に、自分達のことだけではなくて隣の会社、そのまた隣の会社と、三豊の全事業のことを自分ごとで話せるように気づいたらなっていました。
例えば、三豊鶴は事業として関わってはいないのですが、頻繁にお客さんを呼んで説明をするので、下手すると本人たちよりも語るという形で地元の事業者さんとの関係を築いてきたのかなと思います。」

④これから始まるローカルスタートアッププロジェクト

瀬戸内暮らしの大学 Instagramより

URASHIMA VILLAGEを皮切りに、
・年齢や居住地に関係なく全ての人が一生学び続ける「瀬戸内暮らしの大学」(地元企業18社で立ち上げ)
・地域の交通の未来を自分達で考える「mobi」 (地元企業11社で立ち上げ)
と続々と地元企業合同のプロジェクトが立ち上がっているのが今の三豊。

自らチャレンジする人材を今のフェーズでは増やしたい」と、2023年8月から始まる瀬戸内暮らしの大学でのローカルスタートアッププロジェクトの開講に向けて準備中です。

「最後に、ローカルスタートアップにとって最も大事なのは、経営責任を負う人材をいかに増やすことができるかだと思います。経営責任は、最後の一人になってもこの事業をやり続ける覚悟だと思っています。
ですが、自分のことを振り返ると、覚悟って最初から決まっていたわけではなくて、一歩踏み出してみた先で覚悟を試される、決めさせられる感覚がありました。
信用も別に最初からあったわけではないんですが、一歩踏み出したところから周囲の信頼がえられるようになって、そして何より、自分がワクワクしているかが大事なことです。これからも地域の仲間と事業をやっていこうと思います。」

「自分の中のステップくらいの感じで、とても浅はかな気持ちで(三豊市に)来たのが最初だった」と、当時を振り返っていた原田さんですが、今では地域のために事業をやるんだという覚悟を持ち、地域の信用を得て、仲間と一緒にワクワクと邁進する姿は”火玉”のようで、とても眩しく映りました。

計画よりも情熱を問う細川貴司さん

ハラシモベース農園HPより

最後に三豊鶴を継承した5人の有志の中で”三男”を担う細川貴司さん。5人は一番年上を長男として、次男・三男・四男・五男と呼び合っています。この五人兄弟、普段は建材・建材加工・建築土木・農家・プロデューサーとそれぞれ本業を持つ傍で経営者として三豊鶴を切り盛りしています。

細川貴司さん
三豊市出身。100年以上続くハラシモベース農園主4代目。柿や桃、キャベツなどを生産。
2019年合同会社三豊鶴を喜田貴伸さん(喜田建材)・矢野太一さん(モクラス)・西寺下幸治さん(日本住建)・北川智博さん(瀬戸内うどんカンパニー)で設立。
2021年保存料や着色料を使用しないアレルギー対応のスイーツブランドCHOUを立ち上げ、店舗を持たないヴィーガンフードユニットGREEN MONDAYとキャラメルを共同開発。

五男に声をかけてもらい三豊鶴を見に行ったときに感じた空気感、ただの酒蔵と思わせない風格に惹き込まれた細川さんは、「地域で何か新しいことを始めたい。ここの場所を使って盛り上げていきたい」と思い立ちました。

当時無計画ながら2000平米を超える広さの三豊鶴を五人兄弟で購入し、それぞれが持ち寄った資金で酒蔵の改造を開始。GWオープンまで2ヶ月半という短期間で、仕事終わりに夜な夜な集まって、自分たちで片付けをする日々を過ごします。

三豊鶴Facebookより

オープンに漕ぎ着けてからは、地域食文化継承レストランや地域成長写真展、アート作品の展示販売、地元のおじいちゃん・おばあちゃんしか知らない瀬戸芸弁当(三豊の山の幸と海の幸を代表する郷土料理弁当)販売などなど…。アートの作品を見ながら音楽を聴いたり、時には現代サーカスも開催しました。

目指すは、地域の内と外が交わる部分が三豊鶴となること。まず香川県の人が「三豊にこんないいもの・ことがあったんだ」と価値を再発見できる場所になり、次に外から来た方が、三豊鶴にしかできないと思う場所になることです。

「僕たちはお酒を作ることはできません。ただ、お酒を醸造するだけで酒蔵を復活させるのではなくて、この酒蔵を使って、地域の価値を醸造する。また、人と人が交わることによって人を醸造するようになっていきたいです。」

そのために話題性に重点をおいた”醸造”に取り組んでいるのがこの三豊鶴。場所・空気感・地域を各メディアに取材をしてもらい、集客力を向上してきました。

・オープニング 約1500人 / 週
・レストランイベント 約5000人〜6000人 / 約3ヶ月
・酒蔵 Art Restaurant 2022 約7000人〜8000人 / 約3ヶ月

さらに人が増えた波及効果で
・外部シェフが自然と増加(前回は自分達で全部声をかけた)
・食×現代アートの作品を展示(前回は食べるだけだった)
といった変化がありました。

その間にも、旅行会社や香川県により瀬戸内国際芸術祭の周遊事業で瀬戸芸の周辺スポットとしてパンフレットを作成してもらうなど、メディアの露出も絶えません。

現在、細川さんはアレルギー対応ブランド「CHOU」を立ち上げ、乳製品を使わないキャラメルをGREEN MONDAYと共同開発し、販売しています。
より魅力的なイベントを行うことによって、長期的に事業を行うことができます。そうなってくると商品開発が立ち上がったり、交流が増えたり、より複合的なコラボが実現するというような状況を私たちは今作っています。

三豊鶴が息吹を取り戻してからもうすぐ丸4年。当初地元の人がボランティアで手伝ってくれたからこそ今の三豊鶴があると振り返ります。

いろんな方が僕たちの思い、情熱というものに反応してくれて、それに対して僕たちはこういった場所や空間、イベントというものでお返ししています。

「僕たち本当に無計画で何も考えていないだろうなとみんなに言われるんですけれども、なんとかその情熱さえあれば、周りの人たちの協力によって、なんとかなるということが多々あります。なので、新しいことに挑戦することに対してみなさん、計画性やお金の面で多々あると思うのですが、まずは自分の気持ちを考えてみて、やり遂げる情熱があるかどうかを考えていただいて、みなさんの自信に繋げていただけたらなと思います。

無計画ながら勢いで三豊鶴を購入した五人兄弟ですが、情熱に溢れ、その熱い思いが話題性を生み、人から人へと伝播していきました。

その後、父母ヶ浜を探索。空の映る海岸を体験してから、向かった先が、町のビリヤード場。ここにも新たなことにチャレンジをして町を作っていく方がいらっしゃいました。

いつもの日常に変化を生み出す関大樹さん

「僕は、今までとちょっと違った日常を、近未来のあったらいいなを常々考え、作る人間です。」

右:関大樹さん(しわく堂Instagramより)

関大樹さん
株式会社しわく堂 / Shiwakudo,inc.代表取締役。三豊市出身。10年間の工務店勤務を経て独立。2018年株式会社しわく堂 / Shiwakudo,inc.設立。2019年異業種・子育て世代8人によるブレーメンズカンパニーズ結成、寝転がれるお座敷ブッフェ おむすび座を立ち上げ。2022年個人事業主としてBC POOL(Billiards Communication POOL)開業。

中学校からの夢だった建築士になり、高校・大学の同級生の3人で設計事務所を立ち上げ、建築やデザインを通じて「あったらいいな」を届けるしわく堂
「オーナーさんに向けた提案型組織になるんですが、そもそも提案するだけではなくて、僕たちのあったらいいなも作りたいな」と思い始めた関さん。

2019年に実践型の暮らしづくりカンパニー ブレーメンカンパニーズという組織を作りました。建築家・居酒屋・出版社・税理士など、異業種8人、全員が子育て世代で構成されています。

「今から生きていく中で人口減少や高齢化や、空き家問題など地域課題は顕在化していく中に僕らはいることになるんですが、地域課題を解決するためではなくて、自分達のあったらいいなという環境を作りたいです。それに対してこういった事業が地域(の課題)解決できるようなビジネスモデルでありたいなと思っています。」

まず日常の中に感じた不便さが、関さんにとって「あったらいいな」に転換されました。

娘さんが生まれ、家族四人で外食しにいく時に感じたハードルをヒントに、子供連れでゆっくり外ランチができたり、子育てについてのナレッジシェアができたりする場所、おむすび座を生み出しました。

おむすび座Facebookより

「まだ(家族)四人だから動けていますが、例えば一人で子育てしているお母さんだったら本当に大変だろうなと思って、(子育て世代が)もっと気軽にご飯が食べに行ける場所があったらいいなと思い、企画を考えていきました。」

おむすび座は、単なる飲食店ではない、「孤育て」から「Co育て」みんなでやる子育ての場になっています。

次の「あったらいいな」は、趣味と仕事。それぞれ大事な日常の一部の時間が、混在する時間であったらいいなに転換されます。

関さんは大のビリヤード好き。自宅で毎日、自分の子供たちと一緒にビリヤードを楽しんでいましたが、今年個人事業主としてビリヤード事業BC POOLを始めました。

BC POOL Instagramより

「(新しい事業を始める際には)マーケットは大事なので、三豊・観音寺のビリヤード人口をおむすび座の開業時のように調べました。おむすび座は約7万3000人いましたが、三豊のビリヤード人口を調べた結果、3人でした…!
基本的にビジネスモデルとしてマーケットがあるからサービスをしていこうと、これはもう当たり前な話で、マーケットがないところで作りに行く、熱意でやっていくこれも大事だと思っています。」

BC POOL
・武道・花道・ビリヤー道として紳士スポーツ、ビリヤードの御作法を指導
・世界で唯一のジャンプ・マスOKのビリヤード場
・地元の高専生がデータ分析をして、プレー動画をAI解析したデータを競技者に無料提供
・大会をエンタメ的に実況解説
・連携する人気飲食店のオーダー・飲食可能

「趣味で繋がるコミュニケーション×ビリヤード仲間を町に増やしたい、町のビリヤード場」として、昼には企業内でのレクリエーションや、地元の子供たち・高齢者・車椅子のハスラーの方々のコミュニケーションを創出する垣根をこえた交流の場として。夜は、ビリヤードをするハスラーの方々や飲み仲間、観光客、アフター5の方々に利用されるビリヤード場として機能しています。

「夕食後までのゴールデンタイムの間にどこかに行く場所がそもそもなく、コミュニケーションの機会損失、遊び足りないという状況が起こっていました。」

昼夜いずれにしてもコミュニケーションの機会損失を取り戻す、「コミュニケーションがあったらいいな」という地域課題を解決する場として、単なるビリヤード場では無いのが「あったらいいな」に宿る信念を窺わせます。
その熱意は、開業して早くも三豊市ビリヤード人口3人から始まったBC POOLのコミュニティの広がりを見せることに。

BC POOL Instagramより

「2022年6月にビリヤード場がオープンして、2023年4月から三豊市の中学生向けのビリヤード部というのができます。同時にその部を分析するプログラミング部というのもできる予定です。
地元の高専と組んでスポーツをデータ分析するという、自分で考えて戦略を立てて実際にやってみるという効果検証して、次の作戦を立てさせることを、子供たちが自分で考えてできる環境を作っていきます。」

「もう一個できることがあって、アマチュアビリヤード連盟と提携して小学校のビリヤード会場に認定されました。認定されるというのがどういうことかというと、四国の中で小学生でビリヤードをしている子がいないので、(四国)大会を開いた瞬間にうちの子供の四国一位が決まるんですよ。四国一位を提げて全国・世界へと繋がっていく窓口になっていきます。」

趣味から生まれたビリヤード事業でしたが、ビリヤード場一つ取っても、地域内のコミュニケーション創出を促す・ビリヤード人口を増やす・中高生のデータ分析を育成する・連携する人気飲食店の混雑緩和や収益化に繋げるなど、「あったらいいな」が生み出した地元へのインパクトはあらゆる面に広がっていました。

子供たちの学ぶ機会を交通で繋ぐ田島颯さん

大学から約6年の歳月を地域の教育プログラム作りに費やしてきた田島颯さん。三豊で打ち出す教育プログラムと、三豊で教育活動をしていく中で感じた課題感から、自ら代表として先陣を切る交通サービス会社「暮らしの交通」のお話をしてくださいました。

暮らしの交通株式会社ロゴマーク

田島颯さん
暮らしの交通株式会社社長。東京都江戸川区出身、東京・三豊・沖縄の3拠点生活の後、2021年三豊市に移住。三豊市教育委員会が主催する学校横断型の部活動「みとよ探検部」に派遣。

これまで地方を回ってきた時に「なんで、こんな何も無いところにきたん?」と問われる中で、「本当に何もないのか?」と自問自答したところ、辿り着いた結論 ― 颯さん曰く、ローカルだからこそあるリソースとは、課題を身をもって感じられる場所・顔が見える関係性・歴史・職業・自然など挙げていくとキリがないほど実はあると言います。

地方だからできる学びのあり方とは何なのかと改めて考えてみたときに、僕は学びの関係人口を増やしていくことが大きなテーマでした。」

「子供時代を思い返すと、学校は限られた大人としか接点がなかったと思うんですよね。例えば、学校の先生・部活の顧問・塾の先生・親。ですが、実は地方だからこそ、これだけ人の顔が見えて人の距離が近いからこそ、子供が成長する過程の中で、色んな大人の人たちに囲まれた状態って作れるんじゃないかなと。
大人の生き様をよりリアルに触れながら成長してくことで子供たちの将来の進路や選択肢が広がっていくんじゃないかと思います。」

「あとは少子化が進む中でどんどん統廃合が進んでいっています。元の学校の単位では生きていけないとなった時に、学校(という枠組み)をそもそも取っ払い、学校で学ぶではなくて街全体で学ぶということにシフトしていこうよということを考えて、打ち出していきました。色んなところで実験を繰り返す中で、街全体で学ぶことをやれるのは都会より地方だったなと思います。」

三豊市では、みとよ探求部という中高生向けの企画を三豊市教育委員会と実施。実際に地元の中高生たちが一同に集まって、自分たちがやりたいことを言語化したり、大人たちと一緒に街歩きをしたりしています。

三豊市WEBサイトより

「自分のやりたいことと向き合う時間と、街と向き合う時間を繰り返す中で、子供たちが徐々に自分のやりたいことをよりクリアに言語化するようになっていきます。
例えば、中1の男の子が自分達の遊ぶ場所が少ないと如実に感じていて、自分達の遊ぶ公園を自分達で作りたいよねと言ったりとか。
中2の男の子は、アライグマは一見すごい可愛いのですが実は害獣で、その対処に農家さんはどこもかしこも困っている。それをアライグマ生態系から分析してどうやって解決できるのか取り組んだり。
あと高校生の女の子は、瀬戸芸の開催地になっている近くの島に、開催のある3年に1回は人が来るんですが、それ以外は基本的に人が来ない。島がとても好きだから、若者が来るような仕掛けとなるイベントを開催したいと今企画をしていたりします。」

「街との接点を作ったり、自分のワクワクを見つけたりそういったことを行き来する中で、中・高校生から面白いテーマがたくさん出てくるんですよね。こういった場所があることで子供たちが街のことをもっと知り、将来何をやりたいかに真に向き合えるのです。

みとよ探検部で子供たちの将来の可能性が広がる瞬間に携わってきた颯さんですが、「どれだけいい場所やいい機会を作ったとしても、そこにつながる線がないとその選択肢は選べない」と、子供たちの不自由な移動による学びの機会損失を感じます。

やっぱり物理的に行けるかどうかのアクセスを解決しない限りは、今後教育というものはよくよくなっていかないんじゃないかなと思って。

そんな矢先に新しい交通会社を作るというプロジェクトとの巡り合わせがあり、「暮らしの交通」は地域の12社で立ち上げました。「mobi」事業は、アプリで行きたい場所と迎えにきてほしい場所を指定すると、乗合バスが送迎してくれるサービスです。

座組みの中で特徴的なのが、12社のうち3社がタクシー会社。既存の交通事業者というところです。事業者からするとはっきり競合になりうるサービスなんですよね。その中でも、地域・街で暮らす人たち・自分たちの未来を考えた時に新しい交通のあり方を準備していかないと、今後この街で移動ということがすごく難しくなってしまう思いに共感していただいて一緒にやることになりました。

まず、2ヶ月間の無料実施をしてみたところ、颯さんが感じていた子供たちの交通アクセスの課題感が的中する結果となり、地元の高専生がトップユーザーだと判明します。

「mobiのサービスができた時に高専生が困っていたということは、逆に高専生が移動できるようになった街って活性化するという新しい言語ができるようになりました。」

2022年12月より有料実施に切り替わる最中で、mobiの今後は「共創」がキーになっていくと続けます。

「例えば、高専生からしてもBC POOLはAIで解析してそれを全部からプログラム作って新しいサービスが生まれています。mobiがあったからというわけではないんですが、(より移動がしやすくなることで)目標ができた高専生たちが街の事業者とコラボができるようになり、新しいサービスがどんどん生まれてくるんじゃないかなと。」

子供たちを中心に街の人々が移動したくなる街を作っていくために、移動サービスをしていくのが我々暮らしの交通。交通をやり続けながら、色んな化学反応がこれから起きて、色んなところを支えながら僕自身今後三豊市に関わり続けたいなと思っています。」

教育プログラムをしていく中で発見した交通という新たな課題。その課題に自ら土俵に立って取り組み、子供たちの未来、街の未来のために疾走する生き様がありました。

これから三豊の歴史は俺が作る!藤岡優さん

瀬戸内暮らしの大学より

藤岡優さん
合同会社Fizm代表。三豊市出身。東京の映像制作会社を経て、2011年フリーランスのカメラマンとして活動。2018年合同会社Fizm設立。ジーンズブランド ボブソンとコラボでGパンの共同製作も行う。

初日最後を飾るのは、この日一日の写真や動画撮影をしてくださったカメラマンの合同会社Fizm代表 藤岡優さんです。

「昔から僕ちょっと目立ちたがり屋だったんです。しかし地元で目立とうと思うと、やっぱり勉強ができるか、運動ができるかでしか目立てないんですね。どちらも僕はできなかったので、暴走族になりました。」

眉毛を細く剃り尖った目つきの当時の風貌は、目の前にいる穏やかな優さんからはあまりにもかけ離れていて、そのギャップに場内にはどよめきが広がります。

その後、ご両親のサポートで通信制高校を経て大学進学。学生時代に映像製作という人生の夢との巡り合わせがありました。

「ダンス部に所属していたんですが、ダンスイベントのオープニング映像を見た時に、膝から崩れ落ちるように感動しました。初めて人生で夢ができて、これを僕も作りたいと思い東京の映像制作会社に就職したんです。」

夕暮れの父母ヶ浜

東京でアシスタントディレクターの仕事を2年半の間する中で、「映像に携われる実感がなかなか持てなかった」優さんは三豊市へ戻ることに。それまでは映像クリエイターでしたが、写真の製作活動を始めます。

写真の構図や色味の勉強をしながら地元の風景をSNSに投稿していた時に、あるコメントが目につきます。

「荘内半島の夕景をアップすると、『すごい、三豊市じゃないみたい。海外みたい』と言ってたんですよ。
これ褒められてるんかな?三豊じゃないみたいって、三豊にはこんな美しいところがあるはずないと言われているみたいで、完全に三豊が舐められてると思ったんですね。
ヤンキーだった僕がどうなるかといったら、舐められたくないと。そこから初めてこの地元のことを考え始めました。」

「どうやったら舐められない・かっこいい町になれるか」と考えた優さんは、町おこしの団体に所属したり、古民家再生プロジェクトに参加したりと動き始めます。

これまで10年の活動の中で、優さんにとって、舐められない・かっこいい町とは本気で楽しみ、本気で学び、本気で挑戦する大人たちがいること

「本気でリスク取ってやっている人を見た時にとても感動して、自分もそういう大人になりたいと思いました。」

「自分が本気になれるものは何かと考えた時に、自分自身は写真や動画を本気でやっているけれども、ある人に『優くんがしたいことって必ずしも仕事とつながってないかもしれない。本気になれるものって仕事じゃないかもしれないよ。』とアドバイスいただきました。僕、ちょっとハッとなって、それまでは写真とか映像で何かできないか、としか考えていなかったんですね。」

これまでのご自身の仕事という切り口ではなく改めて本当に自分の好きなことや自分がしたいことを深めます。

「一番に出てきたのがGパン。僕、Gパンが好きで、ボブソンさんという会社と一緒に協力してGパンを作っています。
またカラオケパブ New新橋。カオス酒場とも言われますが、自分はこの町に欲しいと思って、一緒にやっています。暮らしの大学もそうですし、シーシャ屋も作りたいなと色んなことが出てきたんですね。」

「カメラマンである僕が、なぜこんな色んなことをしているかというと、ただ一つ、この町に豊かに暮らす選択肢を作りたいんですね。
僕はかつて勉強ができるか、運動ができるかでしか認められなかった。
今後、教育・仕事・遊びもあらゆる選択肢がこの町にある状態を夢見ています。」

「最初に申し上げた三豊の歴史は俺が撮るという使命とやりたいことに本気で挑戦する自分が合わさって、これから三豊の歴史は俺が作るという覚悟を持って、自分たちの子供もこの町に住んでいるので、後世に選択肢のある町を作りたいと思っています。」

こうして1日目は終了しました。三豊という町全体を考えて事業をされているプレゼンテーター6名の話を心に刻み2日目へ入っていきます!

【2日目に続きます!!】

【Green Business Producers第一期のマガジンはこちら】


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?