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読書感想「トリエステの坂道」/須賀敦子

このまちにいない間に起こったことを、私は、こうやってひとつずつ話してもらって、過ぎさった時間をたぐりよせる。ながいこと使ってなかった時計をあわせるように。

海外の小説を読む時、翻訳家の文章が好みかどうかは割と重要な指標になる気がする。

昔の知り合いで、翻訳小説の文章はどうにも好きになれないから読まない、と言っていた人がいた。いやいや、翻訳小説という大枠にくくって嫌ってしまうのはかなり勿体ないですよ〜といくつかおすすめを貸したところ、面白い!すごく読みやすかった!と言ってもらえてほくほくした経験がある。
ちなみに薦めた中でも気に入ってもらえたのが、ドロシー・ギルマンのミセス・ポリファックスシリーズ。訳は柳沢由実子さん。一度読んだら止まらなくなるシリーズです。

確かに昔の翻訳小説は妙に読みづらいものがあった気がするけど、最近では訳に引っかかることはほとんどない気がする。
それよりも、この翻訳家さんの文章好きだなあと思うことの方が多い。そして、一番最近好きだなあと思ったのが、以前noteに感想を書いた『インド夜想曲』の文章だった。


『インド夜想曲』事態が夢か現かわからない、捉えどころのない内容である。その流れるようなうつくしい文章は、ひたひたと私の内を満たし、私は夢見心地で作品の中へと浸ることが出来た。
読み終わってすぐに、訳者、須賀敦子さんについて調べ、エッセイを読んでみることにした。
それが、『トリエステの坂道』である。

本書は基本的には、著者のミラノでの短い結婚生活について。そして、夫の死後の義家族とのエピソードが中心となっている。
非常にうつくしい文章で、読んでいるうちに何度も声に出して読みたくなり、実際少し声に出してみたりした。無駄のない文章なのに、柔らかく、そして映像がわっと目の前に立ち現れられるように、臨場感に溢れている。

著者の夫、ペッピーナの実家は「貧しい」ミラノの一家であったが、その貧しさは、いわゆる「お金がない」ことだけでなく、次々と家族を襲った不幸にあった。
一家のこれまでの歴史について、息をつめて読んでいる間、私の目の前には、夫と三人の子供に先立たれた著者の姑が、暗い台所に肘をついている大柄な背中が確かに見えた。
本書の終盤、義弟のアルドのなかなか上手くいかない人生にようやく光が差し、長かった一家の暗い歴史にやっと終止符が打たれた時、私はふうっと安堵の息をついた。
縁もゆかりもない、ミラノに住む人々の歴史、著者がこうしてかたちにしなければ、誰の目にも止まらなかった歴史を共有することが出来た。エッセイとはそういうものだと頭ではわかっていても、それを実感したのは初めてのことだった。

須賀敦子さんがお亡くなりになったのは、1998年のこと、この本の単行本が発売されてから3年後である。文庫に収録された編集者の手記によると、はじめて小説を書こうとされていたそうだが、冒頭を書かれたところでお亡くなりになられたそうだ。
正直、それを読むことが出来なかったことは、とても残念に思う。須賀敦子さんの頭の中で展開されていた小説世界を私も共有したかった。

本を読んでいるといくつになっても新鮮な出会いがある。本を読み続ける限りあるのだろう。
須賀敦子さんの小説を読むことは出来なかったけれど、まだ私には読んでいない須賀さんのエッセイ、そして、翻訳小説が残されている。
そのことを喜びたいと思う。











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