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「辛い」と「幸い」は紙一重

先日の投稿にあるように、音楽好きな私は
学生時代、ロックバンド「くるり」にハマっていた時期があった。

くるりの名曲のひとつに「Jubilee」というバラードがある。
今10年以上ぶり?に聴いてみたら、「エモさ」が爆発してしまっている。
当時、私はその歌詞に首をかしげていた。

「Jubilee 喜びとは 誰かが去る悲しみを 胸に抱きながら溢れた 一粒の雫なんだろう」

喜びとは、悲しみなの?
そうとしか解釈できなくて、どっちやねんと突っ込みたくなっていた。

フルオーケストラの伴奏に乗り、全体的に切なさたっぷりのメロディー。好きな人との別れを歌った曲なのは確かだけど、復縁したいなら「今なら間に合う」のに、相手のもとには戻らない、新しい場所へいくとも書いてある。

ああそうか。悲しみを、胸に抱いて泣くけれど、それはもう未来に向かっている涙なのか。悲しいけれど、きっと別れることが最良の選択なのか。

「悲喜こもごも」って言葉にあるように、
一見逆のように思える感情って、意外と表裏一体だったりするから
人間はよくわからないけど面白いな、とも思う。

つい先週、息子の漢字プリントを見た時に、「辛」という字の注意書きに「幸」と似ているので注意、と記してあった。確かに。一本多いだけで意味が真逆じゃないか!

あなたの中にも、きっとある。
めちゃくちゃ悲しかったこと、悔しかったこと、挫折でバキバキ心が折れたこと、、文字通り辛かった思い出は、誰と比べる必要なんてないし、全部を思い出す必要もない。

でも、良くも悪くも。それがきっかけで、新しい道を見つけられたとか、この人と出会えたとか、今こんな生活ができているとか、結果的に嬉しいことを見つけられている、いや、なんとか見つけて、育てて、みんな自分を強くアップデートして生き延びている。目の前の幸せを大切にできている。

過去の嫌な事実に「プラスアルファの価値」を一個たすことができるから。
「辛い」は「幸い」になるって、私は信じていきたい。

私自身、身近な人の死も、自分の病気も、学校での友人関係も、職場の人間関係も、恋愛なんてボッロボロだったけど、
そのぶん、人の痛みがわかるようになっていると思うし、いろんな視点でものを考えられているし、講師としても、人としても幅広く頼られる存在になれていると感じている。
そして、辛かったときにたくさんの音楽やドラマが支えてくれたことで、心がめちゃくちゃ豊かになった。これは何物にも代えがたい財産だって、胸を張って言える。

辛いときは辛いぞ!!!ってまっすぐ受け止めて。
いくらでも泣いていいけど、その想いを抱きながら溢れた一粒の雫が、喜びになるように。

辛いと幸せは紙一重。大丈夫、わたしはどこからでも幸せを作っていこう。

漢字プリントを目にしたとき、私は大興奮で
「え、これすごい面白くない?!たった一本の線を足すだけで、辛いことが幸せなことになるんだって!めっちゃ面白くない?ママこれでエッセイ書けるわ。」

って言ったら、息子も娘も「ウケる」と笑っていた。
これを読んだらどう思うだろう。
何年後かに、見つけてほしいなと思う。
何十年後も、幸せを見つけ続ける人でいてほしいなとも、思う。

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