アイドルの恋愛禁止ルールは絶対である
AKB48の岡田奈々の熱愛スキャンダルに端を発して、日本の女性アイドル業界における恋愛禁止ルールについて賛否両論の議論が巻き起こっている。
AKB48の総監督たる向井地美音は「恋愛禁止」というルールを見直す必要があると発言し、運営に掛け合った。
それに対して、運営側は「恋愛禁止」というルールは存在しないと明言。
エジプト人タレントのフィフィは恋愛禁止というルールは人権侵害と言われかねないと警鐘を鳴らした。
https://article.yahoo.co.jp/detail/ee06bc6bf8a44ec57e718f4962dfd281ea624c00
松谷創一郎というライターは、海外と比較した上で恋愛禁止は日本特有の文化であり古いジェンダー観の押し付けであると批判した。
https://news.yahoo.co.jp/byline/soichiromatsutani/20221124-00325270
何よりも重要なのはファンの意見である
はぁ・・・非常に腹立たしい・・・
どいつもこいつも勝手なことほざきやがって・・・
まず、金を出していない外野は黙りやがれ!
あんたらの言うとおり、恋愛禁止という看板を取り下げたら、アイドル商売は成り立たなくなるのは目に見えている。
そのことに責任取る気ないだろ??
そして、向井地美音。
総監督としてメンバーを庇ったつもりなのだろうが、メンバーよりもその前にファンじゃないのか。
ファンがどんなふうに考えているかには思い至らずに、自分たちが恋愛したいからルールを見直したいと捉えかねられない意見を述べるとはどういう料簡だ。
運営には至っては、おいおい、あんたら何年か前は確かに恋愛禁止の看板を掲げていたよな?
いつの間に取り下げたのよ?
大事なルール変更をファンに通知しないってのはどういうことよ?
AKB48の運営も総監督もファンを見ていないことが明らかとなった。
もはや、先人達が血と汗で築き上げたAKB48は終わってしまった!
アイドルにおける恋愛禁止ルールは絶対になくてはならないものだ
さて、ここからはオレの考えを述ていく。
アイドルにおける恋愛禁止ルールは絶対になくてはならないものである。
それはなぜか?
まず、アイドルというのは崇拝の対象だ。
宗教における神崇拝と似た側面がある。
信者は神を崇拝するのは、救済を得られるかもしれないという功利的な思惑もあるだろうが、それだけではない。
神というのが尊く神聖な存在だと信じているから、崇拝するのだ。
アイドルも同様に尊く神聖な存在であると信じられるから崇拝の対象たり得る。
では、なぜアイドルは尊く神聖な存在と信じ得るのか?
神が尊く神聖な存在と信じられるのは、聖書や牧師の教えによってそのことを実感できるからだ。
一方、アイドルというのはもともと普通の女の子たちだ。
垢抜けて可愛くなっていくことで、尊く神聖になり得るのか?
いや、それはない。
垢抜けて可愛いだけならキャバクラ嬢でも十分である。
しかし、キャバクラ嬢は多くの人にとって尊く神聖な存在ではなく、崇拝の対象とはならない。
キャバクラ嬢にお金を出すのはワンチャン狙ってのことがほとんどだろう。
アイドルにあって、キャバクラ嬢にはないものは何か?
それは、アイドルでいる間は恋人を作らない、当然ワンナイトの関係など論外である、という性に関しての純潔性である。
一般的な若い女性にとって最も関心があるのは恋愛であるといって過言ではない。
その恋愛への強い情動を抑制してパブリックな存在としてファンのために活動する。
そのとき、彼女たちは尊く神聖となり得るのだ。
※「アイドルは尊く神聖である」、「キャバクラ嬢は尊く神聖でない」というと、アイドル>キャバクラ嬢という優劣があるような印象を受けてしまうかもしれない。しかし、実際にはそういうわけではなく、商品としての売り出し方が違うだけである。
(オレはキャバクラ嬢も大好きです。)
※純潔性に加えて、普通の女の子がアイドルへと変わっていく過程、さらにはグループ内の歴史といった物語性も重要である。しかし、本稿では趣旨から外れるため、深くは言及しない。
純潔性に尊さを感じるのは時代錯誤の古いジェンダー観なのか?
性に関しての純潔性にこだわるなんてキモイ、時代錯誤の古いジェンダー観という意見が予想される。
しかし、人が何を尊く感じるのかについて各個人の趣味嗜好の世界であり、自由意思の世界ではないか。
別にそのことによって誰かに迷惑をかけているわけではない。
最近は、フェミニストやリベラル寄りの人などは、SNSなどで「性の商品化」に対して過剰な弾圧を行う傾向にある。
こういった人たちはこの世界には時代を超えて絶対的な普遍的な価値観があると信じているのだろう。
そして、それを啓蒙しておくのが自らの使命のように感じているようにみえる。
ただし、彼らの掲げるジェンダー観というのは、たかだがここ十数年と歴史が浅く、地域的にもあくまで西欧社会中心である。
普遍的なものと価値付けるのは早計であろう。
また、自らが信じる価値観を一方的に押し付け、それ以外の価値観を駆逐し世界を一色の価値観に染め上げていくというのは全体主義につながる。
それこそ、リベラル寄りの人が標榜する多様性を毀損する忌避すべき行動である。
様々な価値観を認めていくことこそ、真の多様性ではないか。
オタクにも人権を!
恋愛禁止ルールは人権侵害に抵触するのか
恋愛禁止ルールが人権侵害に抵触するのではという意見もあったので、これについても私見を述べたい。
そもそも、各メンバーは恋愛禁止ということを看板に掲げていたグループに自らが望んで入ってきたのだから、人権侵害というのは無理筋だろう。
恋愛したくなかったら、アイドルを辞めればいいだけの話である。
まさか、「恋愛もしたい、でもアイドルも続けたい」というワガママを認めろと言っているのか?
それはあまりにも甘い考え方ではないか。
例えば、モデルは体型を維持するために、食事を制限し、適度な運動を行う。
食べたいものは食べる、運動はしない、でもモデルやりたいといったらふざけんじゃねえと誰もが思うだろう。
それと同じことだ。
何かを得るために何かを捧げなければならない。
アイドルの場合、その捧げるものの一つが恋愛というだけの話である。
恋愛禁止ルールを破った場合の処分について
ついでに、恋愛禁止ルールを破った場合の処分についても触れたい。
特に明文化されているものはないので、モーニング娘。・AKB48・乃木坂46を例に、実際に各グループでこれまで外側から確認できる範囲でどういった処分がくだされてきたかを見ていきたい。
モーニング娘。
安倍なつみ:押尾学とのお泊り報道 → それまではセンターだったが、シングル曲「I wish」でソロパートもない後列に追いやられた。
矢口真里:小栗旬とのお泊り報道→グループ脱退
藤本美貴、庄司智春との交際報道→グループ脱退
AKB48
指原莉乃:研究生時代の恋愛暴露報道→HKT48へ左遷。
峯岸みなみ:白濱亜嵐とのお泊り報道→研究生降格(その後自らの意思で髪を丸めて謝罪動画を公開)。
乃木坂46
松村沙友理:妻子持ち男性との路上キス報道→福神を外れるも選抜として残り続けた。
星野みなみ:通販会社御曹司との熱愛報道→卒業。
以上となるが、処分のポイントとなるのは相手と長期的な関係だったのか、一時的なものだったのかというところだろう。
前者の場合であれば一発レッドカードとなってしまうのは仕方ない。
後者の場合は情状酌量の余地ありということで、相手との関係を断ち切ることでアイドル活動を続けていくことはできる。
峯岸の丸坊主などは明らかにやり過ぎだとは思うが、ポジションの降格などは他のメンバーへの示し・ファンの怒りを沈静化のためにもあって然るべきだと考える。
また、禊を済ませるという意味で本人の精神衛生的にも良いことではないだろうか。
禊期間が済んだ後は、本人のこれまでの実績やその後の頑張り次第ではあるが、安倍なつみ、指原、峯岸のように発覚前と変わらないくらいファンから声援を受けることも可能だ。
日本のアイドル文化に誇りを持とう
さてと、恋愛禁止ルールの必要性について、どう運用されてきたことも含めて長々と語ってきた。
全面的に賛同いただかずとも、そんなルールがあってもいいか程度でもご納得いただけるようであれば嬉しく思う。
最後に追加で2点述べたい。
1点目。
これだけ熱く恋愛禁止ルールについて語ってきたのに水を差してしまうようなことを言ってしまうかもしれない。
ぶっちゃけ、バレないで隠れて恋愛することに関しては、オレとしては問題ないと思っている。
そう思うようになったきっかけは松浦亜弥だ。
彼女は2013年にw-inds橘慶太との入籍を発表した。
その際に、橘慶太との交際が実はデビュー当初の2001年からであったことを告白している。
つまり、彼女はデビュー当時から恋愛禁止ルールを破っていたわけで、ずっとファンを裏切っていたことになる。
しかし、彼女はデビュー当時にはアイドルサイボーグとも評されるくらいの完璧なアイドルを演じきっていた。(加えて言うと、歌唱力などステージパフォーマンスも抜群であった)
その裏に男の影など全く感じさせなかった。
松浦のように完璧にアイドルを演じることができ、恋人の存在を隠し通すことができれば、ファンにとっては恋人はいないも同然なので、恋人の有無は関係ないのではないかと思った次第だ。
この考え方についてはアイドルファンの中にも賛否両論あるだろうから、強要する気はない。
2点目。
冒頭であげた松谷創一郎というライターのコラムでは、K-POPのTWICEなどと比較して、男性社会で従順な大人になりきれない『少女』を良しとする日本の伝統的なジェンダー観が根底にあるとして、保守的で古臭いという批判がされていた。
しかし、この批判はいろいろと的外れである。
本稿をこれまで読んでいただければ分かる通り、TWICEはアーティスト寄りであり、本稿で言及しているアイドルとは別物なのである。
違うジャンルのものを比較するのは全くもってナンセンスである。
※ちなみに、松谷創一郎は知らなかったようだが、TWICEもデビュー後3年間は恋愛禁止であった。
※どうでもいいが、オレはTWICEも好きである。
もう一つ言うと、そのコラムでは、AKB48などの日本の女性アイドルグループが『少女』性だけが唯一の魅力であるような書きっぷりで、ステージパフォーマンスに関しては未成熟であるといった認識が前提になっているのが気に入らない。
もしかして、本稿についても、性に関しての純潔性にフォーカスして話をしてきたので、同様のミスリードをさせてしまったかもしれない。
そこはハッキリ否定しておく。
日本の女性アイドルグループのステージパフォーマンスも非常に魅力的である。
もちろん、大人数であるし、メンバーも入れ替わりが激しいので、同一メンバーでずっと活動しているTWICEなどと比べると統一性という観点でのパフォーマンスはどうしても劣る。
しかし、様々な個性を持つメンバーが一丸となったときに発揮されるダイナミズムは、どんなアーティストにも負けないものがある。
日本が生んだアイドル文化に誇りを持とう。
オレもいいオッサンになり、すでにアイドルオタクとしての現役は退いたものの、これからも陰ながらアイドルたちを応援していきたい。
日本のアイドル文化に繁栄を願って、本稿を締めさせていただく。
(了)
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