【雑談配信】乗り越えをやっていく

【要約】
学び合い教育と自分の人生のつまずきについて話しています。

【本文】 
昨日は早く寝ようと思っていたのにどうしても寝られなくて、結局寝たのが12時半くらいになってしまった。さんざん寝あぐねたのに朝起きるとしっかり寝不足。今日こそは早く寝る。

昨日は寝られなくて、気が塞がりがちだったということもあって、久しぶりにツイキャスを聴いていた。なんか気持ちが下がるほどツイキャスの視聴頻度が増える。

学校の先生をされている方の話を聞いた。やっぱり先生はいくらでもやることがある仕事ということもあって忙しいらしい。早朝から夜遅くまで10何時間も仕事をする日がざらにあるみたい。学校の先生になる人が減っていると報道される理由がわかるような気がした。ほんとうにたいへんな仕事。

公教育の現状を考えると、最近の学校の先生が学び合い教育とかアクティブラーニングをやるのもわかるような気がする。生徒たち同士で指導し合い学び合う教育。

学び合い教育と聞くと、哲学者の芦田宏直さんのアクティブラーニング批判を必ず思い出す。

要するに勉強のできる(=育ちのいい)生徒に勉強のできない(=育ちの悪い)生徒の面倒を肩代わりさせて、先生は楽をしているだけ、という批判。何をどこまで教える、という目標がないから、何をやってもやらなくても同じ、ということ。勉強が「できる(問題が解ける)」ようにはなっても、勉強が「わかる(理解できる)」ようにはならない、ということ。

これを書いた芦田先生が、若い時に専門性の高い先生に教え込まれる教育の恩恵を受けたこともあって、勉強の得意な先生が生徒に勉強を教え込まないような教育は教育じゃないと一貫して喝破する。

確かにねぇ、という感じ。若い時に恩師から多大な影響を受けて今の自分がある、みたいな話をする人は多い。社会的に成功した人からもよく聞く。だから若い時の教育の影響を重く見る主張もよくわかる。

特に恩師が現れることもなく、教育から大して何も得ることがないままその後の人生を生きることになった人がどうしたらいいのか、という疑問には誰も何も答えない。たいがいは人生手遅れと調子良く論破して話が終わる。

自分だけは自分の人生をどうにか取り戻すことを考えないといけない。若い時に恩師に出会えてぐんぐん成長できる人の人生は華々しい。そこは間違いない。だけど一方で恩師に出会えなかった人生を生きることになった自分がいる。そこをどう考えるのか。

そういえば以前こんな記事を書いた。漫画『ルックバック』のワンシーンを思い出しながら、絵を描くのってたいへんなんだなって雑感をまとめている。

ありがたいことに相互フォローの山田唄さんにコメントをいただいて、返信を考えていたときに、「いちばん認めてほしい人に認めてもらえる人生」というものに妙にこだわっている自分がいることに気がついた。ここに自分の人生のつまずきが集約しているっぽい。それは今でも何も解決していない。どうにか乗り越えないと人生が動かない。

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