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虐殺の文法とQSシグナル: 「虐殺器官」を読んで

著: 伊藤計劃「虐殺器官」を読みました。以下はネタバレを含む感想ですので、本作を未読の方はブラウザバックすることを推奨します。虐殺器官、まじで超面白いので絶対読んでください。本当に。絶対読んで。お願いします。まじで読んで。本当に。


ー以下ネタバレあり




本作で語られるストーリーは生物の進化、言語、ミーム、歴史などあまりにも多くの要素がせめぎ合った上で、それらが主人公であるクラヴィス・シェパードの意識の中で有機的に混じったような、ある1人の人間の記憶に近い構造をとっているように感じられました。まさに「僕の物語」です。実際、文章は口語調で、回顧録のような形をとっています。そのため、物語の視点は徹底して主観的で、語り手の意識の状態が明言されることは少なく、おそらく無自覚であると思われる倫理観のブレや意識の濃淡の変化が、言葉ではなく状況で語られるという場面も多々あり、自己意識というものが如何に動的で危ういモノであるか知らしめられました。

私は自分の行動を自分の意思に基づいて決定しているはずです。しかし、生存する上で意思は必要不可欠ではありません。例えば単細胞生物であるバクテリアは、当然ながら脳みそを有してはいませんが、自分の周囲の状況に機敏に反応して形質に変化を生じさせます。特に顕著なものはクオラムセンシング: QSと呼ばれる機能です。これはQSシグナルと呼ばれる化学物質のやりとりを介してバクテリア同士が複雑な集団行動をとるための仕組みで、バクテリアがその内に秘めた暴力性を発揮する際にはたらきます。バクテリアはQSシグナルのやり取り頻度がある一定以上に達すると、人間から見ればまるで何かを決意したかのように、その集団の個体全てが一斉に生物学的な悪意、つまり病原力を強烈に発揮するようになるという機能を有しているのです。言語と同様にQSシグナルには様々なバリエーションがあり、同じQSシグナルを使う集団がそれに反応します。その社会性において、脳みそも意識も必要とはされません。完全に自動的に、特定の化学反応の連鎖の末に、個体規模ではなく集団規模での振る舞いが制御されます。

この、QSが発動した状態はほとんど戦争と言えます。バクテリアの集団全体の目的は宿主への攻撃として定められ、そのために多くの個体がDNAを吐き出して自殺し、攻撃用の要塞となる構造物の材料になっていくのです。生物は集団のために死ぬことができます。もしウィリアムズが言うように個体の生存に不利な形質が淘汰されるとすれば、そもそも多細胞生物は誕生していないでしょうし、種という概念すらもカオスの縁に落ちていたかもしれません。利他的行動は生物の集団が成立する上で不可欠な要素なのです。

そして利他的行動と同様に、人間の残虐性に繋がる要素も集団の維持に役立つ場合がありました。集団のために他者を殺すという機能です。少なくともそのうちの一つをハックしたのがジョン・ポールだったのでしょう。現代社会において、先進国と呼ばれる国々の生活は、疑う余地もなく発展途上国(作中では後進国)への搾取によって成り立っています。はるか昔、それこそ古代ローマの時代から、ジョン・ポールと同様の発想で支配地域からの搾取を安定化させる試みは行われてきました。つまり、搾取される者たち同士で争わせ、植民地の独立を防ぐという方法です。それは特に近代以降、主に大英帝国によって洗練され、ヨーロッパ諸国が世界中を支配する時に大いに利用されました。ドイツ、ベルギーによるルワンダ支配は、まず『ツチ族』と『フツ族』という本来存在しなかった民族の規定から始まったとされます。支配地域での不満が高まった際に互いに争わせるためです。結局ルワンダは1962年に独立しますが、ツチ族とフツ族の対立は尾を引き、1994年にフツ族がツチ族を虐殺するルワンダ虐殺が起こることになります。この時、新聞やテレビ、ラジオはツチ族を殺すよう市民へ呼びかけ、もし殺さなかった場合は処刑すると脅したそうです。部族間の対立という構造を抜きにすると、著: 伊藤計劃「ハーモニー」作中の『宣言』とかなり似ているようにも思えます。もしかしたら御冷ミァハはこの虐殺のことを知っていたのかもしれませんね。

話が少し逸れましたが、ここでジョン・ポールの行動原理は帝国主義とリンクすることになります。そしてそれは、そのまま今の私たちのいる世界、スターバックスに行き、アマゾンで買い物をし、見たいものだけを見て暮らす日常ともリンクするのです。SF、つまりフィクションと銘打ってある本作ですが、そこで描かれる世界は私が普段見ている世界よりもずっと、現実に近いものだったのかもしれません。

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