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(短編ショート) 畑仕事は草取り

 家から車で十数分のところにある畑には、もともと親戚の老夫婦の家があった。都会に住んで地元とはすでに縁が切れた老夫婦の息子から、更地にするから買ってくれないかと申し出があり、安く手に入れたものだ。その宅地跡に鍬を入れ、畑にした。
 老夫婦はハワイ帰り。明治以降、貧しかった多くの日本人がハワイに渡った。過酷な労働条件に耐えて、ハワイの基幹産業であったサトウキビ栽培を支えた日本人達。勤勉と規律。全世界からやってくる多くの労働者の中で、日本人の割合が一番多くなったのもうなずける。資本家たちにとっては最も都合の良い労働者という側面もあった。しかし、やがてその農奴達はストライキを敢行して投獄されながらも、徐々に賃金アップを勝ち取っていったという歴史がある。日米開戦時には日本人収容所もできたが、労働者たちが収容される割合は少なかったという。ハワイに根づいて、その社会を構成する重要な地位を占めていたからである。
 老夫婦が帰国したのがいつだったのかは聞いていない。英会話教室を開いていて、変なアクセントの日本語を話す夫婦だった記憶がかすかにある。夫婦はハワイで知り合い結婚し、帰国して夫の生まれ故郷に洋館を建てたのだ。

 これが恋人の卓也が父親から聞いた話。畑を買ったのは祖父らしい。どんな建物だったのか、私も見てみたかった。祖父も父も今は亡くなり、卓也の手に渡っている。卓也で三代目。卓也の父は年金生活が始まると、せっせと畑に通い野菜を育てたという。掘って帰ったジャガイモを見せながら、
(今年はいまいち、来年はもっと上手に作るぞ。去年もそう言ってたが)
と、笑っていたそうだ。卓也も、手がかからないジャガイモとサツマイモと玉ねぎだけは栽培している。それでも畑全体の一部だけで、しばらく放置しているとあっという間に草の畑になってしまい、季節によっては日曜日ごとに通っても追いつかないくらいで、近隣の迷惑になることだけは避けたいそうだ。草の生えないグランドカバーの植物を植えるらしい。それで、最近デートに誘っても断られる。

 私は野菜づくりには興味がない。だって、虫が嫌い。その集合体が恐怖なのだ。だから、卓也との結婚は無理そう。「一緒に畑作らないか?」という卓也の冗談めいたプロポーズにも「なにそれ?」と断ったまま。卓也の性格上、畑はお前に任せたって言いかねないし、飽きっぽいし。

 グーグルアースで新婚旅行の行先であるハワイを見ていて、ふと卓也の畑はどうなっているだろうと検索してみた。意外と綺麗に整理されている。
   (あれ?これは・・)
 長方形の芝生の中に、うっすらと文字らしき形が見えた。ヨ ー コ ?
私の名前だ。卓也がデートを断り、毎週日曜日に畑に通ったのは、このためだったのか。三文字の隙間をどんな思いで埋めたのだろう。私はいたままれない気持ちにになったが、でもやっぱり虫が嫌い。                                  
                          (了)

           玉ねぎ
         花言葉 永遠


 


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